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前回のお話はコチラ! 大変お待たせしました! 専門学校で卒業公演にむけてアフレコ実習がはじまりました・・・ アフレコ実習!!! 勿論ですが、作中にでてくる 「ガーディアン03」、「わんだふる探偵!」 なんて作品はありません。超絶フィクションです( ˘ω˘ )w 実際は、TVで放映された、実在するアニメ作品を使用して アフレコ実習を行い、卒業公演作品を制作していきます。 ・・・とても難しかったのを覚えています。 マイクの前に立って、アフレコを行っていくのです
前回のお話はコチラ! ※誤字訂正 19コマ目 徐々に大爆笑していった× 徐々に大暴走していった〇 です。 当時、マイケルジャクソンとチャーリーチャップリンに 大ハマリしており、文化祭ではどちらかのコスプレをする! と決めていました(笑) 結果、杖をついているチャップリンにしたのですが ずっと挙動不審でしたね・・・ でも、紙芝居はとっても楽しかったです!!← 文化祭が終わり、いよいよ卒業間近。 専門学校編もあと数回で最終回です。
「文化祭で紙芝居を披露する」というのは 私の在学中から数えると、3年ほど?続きました。 恐らく、紙芝居の授業が大人気だったから、このような チャンスに巡りあえたのだと思っています。 ・・・足が悪化してからというもの 何がキッカケというわけではないですが 大した事でなくても落ち込んだり、笑ったり・・・ 結構、情緒不安定でした。 21歳頃~26歳くらいまで 心がふわふわして、安定していなかったと思います。 今も、人の目が見れない時があるのは
前回のお話はコチラ! オーディション編!! 落ちてなんぼなのですが、超、超、超、超凹みました。 足が悪化してから「周りの人間はみんな敵」 と思い込んで生活していたので 今考えたら「そりゃ落ちるわw」てなるのですが(笑) 本当に情緒不安定で、こういう精神状態が しばらくつづいていきます。 今は、たま~~にまいっちゃったりしますが 当時に比べるとなんともないです。 わくはるがでてきても、悪魔はるがとにかく強くて・・・ 全部自分自身の負の心に負けて、負けて、な
前回のお話はコチラ! https://note.mu/kamiharu3/n/n5247aab4ad1b この時の私は、とっても調子に乗っていたと思います(笑) 何か・・・こう・・・ 「自分は出来る。」「自分は選ばれた存在なんだ・・・」と。 今思い出す度、恥ずかしくて血涙がでそうなんですが・・・ オーディション後、生徒1人1人に結果票という紙が配られるのですが 声がかかった人にはすごい数のメモ(?)が貼られ 直接お話出来るチャンスが生まれるのですが
前回のお話はコチラ! ※このマンガに登場したイベント名、作品等は別名にかきかえております。※ 初めてお客さんの前で、生アフレコという事をさせていただいたのですが 本当に素晴らしい経験をさせていただきました。 ただ、数打ちゃ当たる。みたいな感じでオーディションを受けていたのは ・・・どうだかなぁ・・・なんて思います(苦笑 本当にチャンスが沢山ある時期だったのに・・・ 今だから、余計に悔しく思います。 それも含めて今の自分なのですが・・・ 次回へつづ
前回のお話はコチラ! 遂に人生の分岐点「紙芝居」と出会いました!! 当時、学生のほとんどが「か、紙芝居?!」と驚いていて 200名近い生徒が教室に押し寄せて説明会を聞いていました(笑) 大人気授業で、今でも、第一期生として授業がとれた事は奇跡のように 感じています。 ・・・ここから徐々に、気持ちに変化があらわれはじめます。 「紙芝居と出会ってからの私 編」はまた別に描いていきますね! 今回、マンガに描かせていただいた 恩師であり、先輩である 倉嶋らむねさん
前回のお話はコチラ! 次の日、起きようとしたら痛くて起き上がれず 学校を休みました。 この日からすべてがどうでもよくなり、サボリ気味になりました。 バイトはレジの仕事をしていたのですが 立ちっぱなしの仕事は出来ないので辞めたいと話しました。 しかし、事務においで、と声をかけてくださり なんとかおいてもらえることになりましたが・・・ 歩く事自体が難しいのと、痛みで休みがちの為 一部の方からは「やめてほしい」「足手まとい」 といった事を陰で言われていました。
前回のお話はコチラ! 二回目の手術から八年経過し 突如訪れた絶望のはじまりです。 ※すみません。誤字です。 外来の度に、です。 忘れもしない 21歳、5月の出来事でした。 これから、私の20代は真っ黒に染まった 「暗黒期」に突入するのです・・・。 つづく
紙芝居師かみはるです! 番外編では、足に刺さっていたネジのお話をしていきます。 入院時代の写真です。 大きめのズボンをはいて、痛い時は保冷剤で冷やしていました。 こんな感じで母親お手製の袋をつけていました。 専用の袋というのがなかったので、同じ器具がついている患者は全員お手製でした。 母親曰く、かなり大変だったようです... 作ったこともなければ見たこともないので、器具をつけている患者の母親からアドバイスをもらって、 布の素材、紐のタイプ、長さ... 工夫を重ねて
前回のお話はこちら! https://note.mu/kamiharu3/n/na24a0571202d 大変お待たせしました。 今回は少し長めです。 また、ホラー要素がはいってます...(笑) 長いネジを抜くので、当時の怖い記憶をそのままかいちゃいました(゜▽゜) 怖いの苦手、て方はお気をつけくださいませ~(><) では、どうぞ~~~ ここから、一気に8年後まで飛びます! 実は、高校時代~社会人~専門学校に行くまでも、何度か足に違和感はありました。 しかし、専門
前回のお話はコチラ! https://note.mu/kamiharu3/n/n0b6845f9bb79?magazine_key=m58e3ecd08f74 学校で苦労したのは、、、 *椅子が小さくて器具がはみだしてしまい、よくぶつかった事 *移動教室の時、自分1人では荷物の持ち運びが出来なかった事 *トイレでいちいち体勢を考えなければならない事 です。 また、当時は本当に自分の状態が 恥ずかしかったのですが 「みんな一緒」 て今考えたら怖すぎですよね(笑) 10
他にも大変なことをあげると。 足につける袋は、全て母親の手作りでして、化膿をしてしまうと 一日で3枚くらい平気で汚れてしまいます(消毒液や膿等) その度に、まだ幼かった弟を連れて洗濯&新しい袋を持って 面会に来てくれてました。 仕事もしていたので滞在時間はほんの10分とか・・・ 足の為の袋は汚れてダメになってしまったモノも含めて数えれば20枚以上 あったと思います。 その袋は何枚か思い出でとってあるので今度写真のっけます(^ν^) 後は、化膿で外泊や外出
その4へつづく・・・