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前回のお話はコチラ! 次の日、起きようとしたら痛くて起き上がれず 学校を休みました。 この日からすべてがどうでもよくなり、サボリ気味になりました。 バイトはレジの仕事をしていたのですが 立ちっぱなしの仕事は出来ないので辞めたいと話しました。 しかし、事務においで、と声をかけてくださり なんとかおいてもらえることになりましたが・・・ 歩く事自体が難しいのと、痛みで休みがちの為 一部の方からは「やめてほしい」「足手まとい」 といった事を陰で言われていました。
前回のお話はコチラ! 二回目の手術から八年経過し 突如訪れた絶望のはじまりです。 ※すみません。誤字です。 外来の度に、です。 忘れもしない 21歳、5月の出来事でした。 これから、私の20代は真っ黒に染まった 「暗黒期」に突入するのです・・・。 つづく
紙芝居師かみはるです! 番外編では、足に刺さっていたネジのお話をしていきます。 入院時代の写真です。 大きめのズボンをはいて、痛い時は保冷剤で冷やしていました。 こんな感じで母親お手製の袋をつけていました。 専用の袋というのがなかったので、同じ器具がついている患者は全員お手製でした。 母親曰く、かなり大変だったようです... 作ったこともなければ見たこともないので、器具をつけている患者の母親からアドバイスをもらって、 布の素材、紐のタイプ、長さ... 工夫を重ねて
前回のお話はこちら! https://note.mu/kamiharu3/n/na24a0571202d 大変お待たせしました。 今回は少し長めです。 また、ホラー要素がはいってます...(笑) 長いネジを抜くので、当時の怖い記憶をそのままかいちゃいました(゜▽゜) 怖いの苦手、て方はお気をつけくださいませ~(><) では、どうぞ~~~ ここから、一気に8年後まで飛びます! 実は、高校時代~社会人~専門学校に行くまでも、何度か足に違和感はありました。 しかし、専門
前回のお話はコチラ! https://note.mu/kamiharu3/n/n0b6845f9bb79?magazine_key=m58e3ecd08f74 学校で苦労したのは、、、 *椅子が小さくて器具がはみだしてしまい、よくぶつかった事 *移動教室の時、自分1人では荷物の持ち運びが出来なかった事 *トイレでいちいち体勢を考えなければならない事 です。 また、当時は本当に自分の状態が 恥ずかしかったのですが 「みんな一緒」 て今考えたら怖すぎですよね(笑) 10
他にも大変なことをあげると。 足につける袋は、全て母親の手作りでして、化膿をしてしまうと 一日で3枚くらい平気で汚れてしまいます(消毒液や膿等) その度に、まだ幼かった弟を連れて洗濯&新しい袋を持って 面会に来てくれてました。 仕事もしていたので滞在時間はほんの10分とか・・・ 足の為の袋は汚れてダメになってしまったモノも含めて数えれば20枚以上 あったと思います。 その袋は何枚か思い出でとってあるので今度写真のっけます(^ν^) 後は、化膿で外泊や外出
その4へつづく・・・
※8ページ 補足 生々しい傷痕は、手術痕のことです。 股関節手術だったので、短いショートパンツをはくと、太股を切開して手術したあとがみえてしまい恥ずかしくて はくことができませんでした。 変化の年!かみはる!! 次回、③へつづく!!
レントゲンをとると... かみはるの足がいつ、どのようにして現在に至ったのか、少しお話していきます(*Ü*) かみはる