またも日にちが空いたダラダラ日記。(20220609)

……だいぶ空きました、ダラダラ日記です。
6月になったばかりのときに一度投稿してから、しばらく途絶えていました。
2日どころではありませんね。
そんなわけで、ダラダラと今日までのことを書いていこうと思います。

心に余裕がないと難しい

間が空いてしまった理由はまぁ、色々ありました。
ダラダラ日記を書いているときも、べつに暇だったわけではないのです。
やること自体はありました。
そして今これを書いている瞬間も、やることがないわけではないのです。
ですが、書いています。
この数日間と今とで何が違うのか。

「やるべきことが山積みな中での絶望感」

これの強弱だと思われます。
今も多少焦ってはいるのですが、「あ、たぶんちゃんとやれば大丈夫」という根拠があるようなないような自信というか、そういったものが芽生えてきた今、「そうだ、しばらく日記書いてない」という気持ちと勢いのまま、こやってまたも書き進められたのだと思います。

もうそろそろ、ちゃんと中身のあること(日記ではないもの)を書きたい気持ちはあるんですけど。
そこまでの余裕はなさそうです。

実際にまだやることが山積みなのは変わらなくても、実際に手をつける、その手ごたえを感じることができれば、まぁ多少心にも余裕が出てくるものなのかもしれません。

自分のことですら、どこまで書いていいものなのか

最近、エッセイ系という作品について、それを題材にした作家さんについてが話題になっています。
創作と違って、事実を面白おかしく描くというのはそれなりに需要もあるもので、私自身もエッセイ漫画を読むこともあります。
ただ自身がいざ、自分のことを色々書こうと思うと。
大体の場合「これは自分以外にも関係のある事なのでは」と思い、結局書かないことも多いです。
この日記を読んでいる人がどういう人なのかはわかりませんが、私が今一番エッセイとしてネタにしやすいのは、自分の母校関連のことでしょう。
実際、「創作論」的な話は思い出したように時々呟くこともあるのですがね。
こと「接した人」については「それ結局自分のことじゃなくない?」となって、書くのをためらわれるのです。

だからってわけではないけれど。

実体験をベースにすることはできても、基本的には「作り話である」という「創作」が自分には合うのかな、とも思うのです。
まあ、創作だって人を傷つけることはあるので、どっちのほうがいいとか悪いってこともないですけどね。
自分が何かを書く上での、「気持ちの楽さ加減」の問題なのかもしれません。

……あー。
次は(かどうかはともかくそのうち)、自分の思う創作について書き連ねてみてもいいかもしれませんね。

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