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あなたの猫も、きっとしあわせ

猫が人間の寝てる足元で子どもを産む話です。


お土産

「お土産」
仕事から帰宅した父が、ただいまより先にそう言った。
私は、発売日の月曜日から翌週の月曜まで30回は繰り返し読む週刊少年ジャンプの何回目かを読み始めたところだった。
父が仕事帰りにお土産を買ってきたことなんてあっただろうか。しかも父が抱えているのは何だか使い回され済みのヨレヨレの段ボール箱だった。
私は思ってもみない「お土産」という言葉に喜びの気持ちと、「お土産の割りに汚れた段ボールだな」と言う中身に対する不安な気持ちから半笑いで父から段ボールを受け取った。
段ボールは約30cm×60cm×20cm。ずいぶん軽い。
「なに、空っぽ?」
空っぽではないという確信を持って質問をした。そんなわけはないのはわかっている。父は日頃から面白いことを言うことを心掛けている人間で、「お土産はありませーん、うそでしたー」なんて言うまったく面白く無くセンスが無いことは絶対に言わない。
だから、この軽い段ボールに何かが入っているとしたら妖精だろう。
「……にゃ」
受け取った段ボールが小さな声で鳴いた。私は慌てて段ボール箱を極めて静かに丁寧にリビングの床に置いた。今週ももちろん面白かったジャンプでもここまで私の心臓を高鳴らせることはなかった。
箱をあけるとしゃもじで掬えそうなくらいに小さく、おそらく新聞屋さんからお年賀で貰ったであろう白いフェイスタオルにくるまっている子猫がいた。妖精では無かったし、鳴いたのも段ボールではなかったようだ。でもこの子猫が妖精だったとしても驚かないくらいに可愛かった。

農家の美猫のチャップリンの期待の子ども

「お父さんのお客さんで農家さんがいてさ、そこの猫のチャップリンが物凄く美人なんだよ。」
お土産の子猫が我が家に来る一か月ほど前、父が言っていた。
その更に半年ほど前、我が家には毎日遊びに来る通いの猫がいた。隣のお宅の飼い猫で、よくご自宅を脱走しては我が家に遊びに来ていた。本名はチロらしいが、飼い主さんが「チロちゃーん」と呼ぶのを我が家の全員が「チョッピー」と聞き間違え、そのまま「チョッピー」と呼び掛けていた。そして我が家が「チョッピー」呼びしていることをお隣さんがご存知だったことを3年後に知る。
そのチョッピーが我が家に通う前までは父は猫が好きではなかった。目が怖いと言っていた。
だがこの通い猫のチョッピー、恐ろしく顔が可愛く、人なつっこかったからか父は急激に猫好きになっていたようだった。
だが、ある日を境にぱったりとチョッピーを見かけなくなった。脱走ルートが塞がれたのかもしれない。または様々な家を訪問してみてやっぱり自宅が一番だな、と思い至ったのかもしれない。
チョッピーが我が家に来なくなって半年、父がやたらと「農家さんにいる美猫のチャップリン」の話をするようになったな、と思ってはいた。
父の仕事柄、その農家さんには3か月に一度伺えば良いハズなのに一か月のうちに2回も「今日チャップリンがさ…」と話していた。なるほど、チョッピーが我が家に来なくなったさみしさを農家さんにいるチャップリンの可愛さで癒しているのだなと思っていた。うらやましいじゃないか。私もその頃、野良猫を見かけてはあとを着けてしばしば高校に遅刻していた。高校が嫌いすぎて、自転車通学の途中、何か気になるものがあればそれを高校に行くのを先延ばしにする理由にしていたのもある。
「チャップリンが妊娠したときに、生まれて少ししたら一匹引き取ってほしいって言われててさー」
父の美猫チャップリンの子どもならもちろん可愛い猫だろうから引き取ろう計画は母も姉も聞いていなかったらしいが、とにかく我が家にはある日突然、美猫のチャップリンから生まれた美子猫がやってきたのである。

命名

ともすれば非人道的と言われるかもしれないが、我が家でこのチャップリンの娘猫は「ちょっぴー」と呼ばれることになった。自然にそうなっただけで、「この猫は通い猫にあやかった名前を付けよう」とか言う話でもなく、単に口になじんでいて呼びやすかっただけであると思われる。定かではない。ちなみに私の中では通いの猫がチョッピー、チャップリンの娘がちょっぴーである。発音に差はない。
名前の付け方は非常に雑だが、家族全員がこのちょっぴーをとても可愛がった。とはいえ、家族内で最年少の私が15歳を超えていたので分別もつく年齢の人間しかいないため過剰に触ったり構ったりもしなかった。
私はクラスメートの男女の仲が異様に悪い高校がとにかく嫌いで、朝起きてあの地獄に行くのがとにかく苦痛で、猫には眠りたいときに好きなだけ眠ってほしくて、だから猫の寝姿を見ることが本当に幸せだった。

動物病院に連れて行き、トイレなどの設備を準備し、本格的に我が家の飼い猫体制が整った。生後6か月を経過したと思われる頃、ちょっぴーの外見とキャラが安定してきた。サバトラ柄、細身、しっぽ長く、耳大きい。鼻は少し茶色くて、肉球は真っ黒。性格はやや神経質。(Top画像)
私が大嫌いな高校に行くときは玄関まで見送りをしてくれて、地獄のような高校から帰ってくると玄関まで迎えに来てくれることが嬉しかった。行ってきます。ただいま。

待機猫

ちょっぴーが大きくなってくると、私に一番懐いた。
私がトイレに行けばトイレドアの前で待機、ドアをあけるまで鳴く。ドアをあけるとトイレの中を一周ぐるりと回り点検すると出て行き、ドアの前で再待機。
私がお風呂に入ればお風呂ドアの前で待機、ドアをあけるまで鳴く。ドアを少し開けると、肉球に1mmでも水滴がつくのは嫌なので浴室には入らないがどうしても私の姿を常に視認したいらしくドアの隙間から香箱座りで待機。
私が寝ようと二階の自室に向かうと寝ていても起き上がりついてきて、ロフトベッドに一緒に乗り込み私の腕枕で寝る。
家族から「定位置」と呼ばれたちょっぴーのお気に入りの寝床である冷蔵庫の上から、どんなに熟睡していても降りてきてついてくる。
非常に可愛い。すごく可愛い。
なぜご飯をあげる母にではなく、ちょっぴーが大嫌いなお風呂担当の私に懐いたのかは不明だが、とにかくこのちょっぴーの強烈に可愛い行動は約15年間続くことになる。

末っ子の名前とペットの名前まちがえ現象

ところで、私は二人姉妹の妹である。姉は7歳上。ペットを飼っている家あるあるらしいのだが、父母姉が、ちょっぴーと私の名前を間違えるのである。「あれ?もうピリカラにご飯あげたっけ?……あ、間違えたちょっぴーだ。」長年に渡り我が家の末っ子が私だったため、突然の末っ子交代に周りの大人は対処しきれなかったのだろうか。ちなみに、その後猫と私の名前を間違える現象は20年続く。私は三人兄弟の第一子長男と結婚したのだが、やはり夫の実家でも飼い犬に対して末っ子の名前で呼びかける現象が家の中で起きていたということだった。

疑惑

「ちょっぴー最近太ってない?」
ちょっぴーが我が家に来て1年ほど過ぎたころ、誰ともなくそう言った。家族全員の脳裏には「妊娠したか?」という疑惑が横切った。ちょっぴーもたびたび家から出かけては帰宅することがあったため、可能性はもちろんある。(25年近く前の話です。ご容赦ください。)

我が家の母は子どもの頃から何回か猫を飼ったことがあり、猫に対する我が家の有識者は母だけであった。明治生まれの祖父母の家の生まれのためか、動物の妊娠、出産に対して大らかであり「まぁ妊娠してるならそのうち生むでしょう」となり経過を見守ることになった。
少し日数が経った頃、誰の目に見てもちょっぴーは明らかに妊娠していた。「いつ生まれるんだろう」「生まれるまで絶対に外に出られないようにしよう」くらいの話はしたかもしれない。
ちょっぴーはお腹が大きくなっても私のロフトベッドに上がって寝たがるのでロフトベッドの足元に籐の籠を置き、中にタオルを敷き詰めた。籠があるため、私は横向きで膝を折って寝る生活が始まった。数日は私の腕枕で寝ていたが、籠の存在に気づき、怪しい設備ではないと納得すると、ちょっぴーは籠の中で寝るようになった。インターネットも発達していなかったしチャップリンも人間はノータッチで妊娠・出産したとのことだったので特別調べもせず生まれてくる子猫を膝折り、もとい指折り待つのだった。

誕生

数日後の3月3日の夜。リビングでジャンプを読んでいる私に、ちょっぴーが鳴きかけてくる。しかも声が大きくて圧が強い。いつもの寝る時間より1時間ほど早い。ちょっぴーは5歩ほど歩き、振り向き「にゃー!」階段を3段昇って「にゃー!」二階の私とちょっぴーの部屋に誘導したいようだった。
あまりに鳴くのでこれはただごとではないと寝支度を整えて寝ることにした。
ベッドの足元の籠の中にちょっぴーをおさめ、いちおう、「何かあったら起こしてね」と声をかけて寝た。
深夜、私は足の指先に何か濡れたものが触れるのを感じ、飛び起きた。
「みゅうみゅうみゅうみゅう」
真っ暗な部屋で聞いたことのない生き物の声を聴いた。
大急ぎで部屋の電気をつけ、掛け布団をそーーーーっとめくる。
ちょっぴーは籠の中ではなく、籠の真横に横座り。お腹と脚で挟むように大事に抱えている物体を2体をひたすらなめている。
「ねずみか……?」
人生で初めて見る生まれたての猫は、極小でくったりしてしっとりしていた。我が家に来たばかりのちょっぴーの一回り小さいくらいのが出てくるだろ、と思っていたので驚いた。
しかしその極小生物たちはひっきりなしに「みゅうみゅうみゅう」と鳴いている。どうやらさっき足の指先に触った寝れた物体はこの子猫だったようだ。生まれたての猫はこういう感じなのか。フワフワしていないんだな。そりゃそうか。
ちょっぴーに「おめでとう」と一声かけ、籠に戻すのも悪い気がしたので、私は床で寝ることにした。

ベッドで子育てするちょっぴー

仮名命名

「同じのと違うのが生まれたね」
父が生まれた子猫を見て言った。2匹の子猫は、一匹はちょっぴーと同じ柄、一匹が真っ白だった。子猫たちをこのまま我が家で育てるのか?里子に出すのか?何も決めていなかったが、とりあえず仮名をつけることにした。
「おなじちゃんと、しろちゃんは?」
父が仕事から帰宅すると、子猫の名前を決めていないうちからそう呼び始めた。姉と私は大いに不服なネーミングだと思ったが、仮名だから良いか、としかたなしにそう呼ぶことにした。(柄がちょっぴーと)おなじちゃん、(体毛がぜんぶ)しろちゃん。しろちゃんが「ちがうちゃん」と呼ばれなくて本当に良かった。なんだかかわいそうだもの。

全世界がベッドの上のおなじちゃん(仮)としろちゃん(仮)

ぶちゃむくれ?

3か月ほど経って、おなじちゃんは姉の友人宅に貰われていった。さすがチャップリンの孫、顔立ちが安定してくると美猫に育ち、すぐに貰い手が見つかった。可愛い名前をつけてもらい、すごく大事にしてもらえたようで、定期的に写真を送ってくれた。
対して、しろちゃん(仮)である。なんだかいつも目をショボショボと細めていて、目つきが悪く、しっぽの先が曲がっている。私は「かぎしっぽ」と言うのを知らなくて、歯の矯正のようなつもりでしろちゃん(仮)のしっぽに棒を包帯で括り付けたりもしてみた。他の家族メンバーに「かぎしっぽに添え木って!」っと大笑いされたので速やかに外した。私のアイディアは10回に7回は採用されるのだが、3回は大笑いされる。
しろちゃんの貰い手が見つからなかった。母が「ちょっとぶちゃむくれだから貰ってもらえないかもね……」と言った。このぶちゃむくれという言葉の正しい意味はわからないが、たぶんあんまり器量が良くないと言いたいんだな、と言うのはわかった。
ただしこのぶちゃむくれ猫、のちに最も可愛い性格の猫へと成長していく。

命名2

こうして我が家の家族構成は父母姉妹の人間4人、ちょっぴー、しろちゃん(仮)の猫2匹体制となった。
改めてしろちゃん(仮)の名前を決めようと姉と私で会議になった。姉妹間では、「今度こそおしゃれでかわいい名前をつけよう」と合意しており、姉は「小茄子」が良いと言い、私は何のアイディアも出なかった。じゃあ小茄子で決定となったのだが、父が帰宅してこう言った。
「ままちょっぴーとちょっぴーは?」
母、姉、私の間に衝撃が走った。なんとちょっぴーは譲位し、しろちゃんがちょっぴーに繰り上げになったようだ。家族と仲間には温厚で、小さい生き物に対してとんでもなく優しく大好き(人間の子どもをあやすのが大好き)の父だが、基本的に人の意見は聞かないと言うか父親が法律の家だったので、小茄子は採用されず「ちょっぴー改めままちょっぴー、しろちゃん改めちょっぴー」が決定してしたのだった。
長く猫たちと暮らしているとだんだん呼びかけ方も変わってきて、最終的にままちょっぴーは「ままちょ」ちょっぴーは「ちょーちゃん」「ちょー吉」と呼ばれるようになっていった。

ままちょと大きくなって黒くなってきたちょーちゃん

伯母(猫に関する有識者)

親戚にド級の動物好きの上品で美しく毒舌な伯母がいる。彼女は動物にすごく好かれる。近所の犬が散歩をすると伯母に挨拶したくて伯母の家に向かう。伯母は喜んで家から出て挨拶する。伯母が出かけている時は家の前で長時間待機する。伯母は道で衰弱した猫を見かけると保護をして世話をして看取りまでする。良くない方向性だと動物好きが知れ渡っていて家の前に箱に入った猫を置いていかれたりすることもあったようだ。とにかく、彼女が長い人生の中でお世話をした猫は数えきれない。
「人が寝てるベッドの中で生むなんて初めて聞いたわよ。一番安心できる場所かと思ったのかしらね。かわいいわねぇ!」
当時、伯母にままちょの出産エピソードを話すと、私が好きな彼女特有の眉毛をハの字にする笑顔を見せてくれた。
身近に居る最上級の猫の有識者に猫の写真を見せずともエピソードに対して可愛いと言ってもらえて、ちょっとレアケースなエピソードなんだと思って、私は嬉しくなっていつか世にこのエピソードを伝えたいなと思ったのである。


もちろん。

家に猫が二匹いると、いつでも自然と視界に猫が入ってくる。寝てるか食べてるか熟睡している。私も猫たちがいて幸せだが、猫たちも幸せそうだなと思う。高校は嫌いだったけど、見送りとお迎えをしてくれる猫が来てくれたから何となくやり過ごせた。その後の人生でいろいろあっても「猫が幸せそうだからいっか」と持ち直すようにしていた。
よく、飼っている動物を亡くした人から「うちの子、幸せだったかな」と聞かれる。そういう疑問を持つ人と一緒に暮らせた動物が不幸であったわけが無いなと思う。私は決まって少しだけこのままちょの出産エピソードの話をして、少しだけ驚いてもらって、そのあと楽しい思い出を聞かせてもらう。もちろんあなたの猫もきっと幸せでしたね。


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