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【エッセイ】水色の服

小さい頃から水色が好きだった。

青よりも痛くなく、緑よりも透き通ったやさしい水色。当時から好きだったキャラクター(チルット)のこともあり、私は水色の虜になった。
だから当然のように水色の服を着ていたし、水色の筆箱、水色のタオルなんかを揃えて身を包んで学校に行くのは、私にとってとても幸せだった。

ある日、突然登校中に「雨女」「雨女がいる」と言われた。理由は「水色の服ばかり着ているから」だった。相手は幼稚園よりも前から付き合いのある一つ上の学年の女の子二人で、家族ぐるみで仲が良く、よくお泊まり会やらお出かけやらをする仲だった。だからその子たちが私を「雨女」と呼び、クスクス笑うその顔を見て、私はひどく怖くなった。そして、目元が熱くなって、気がついたらぽたりと涙が溢れた。それを見た彼女たちは「そんなことで泣くなんてバカみたい」と言いはしたものの、まずいことをしてしまったから逃げようといわんばかりに、早足で私から離れていった。それも余計に悲しくて、嗚咽を漏らしながらその日は学校へ向かった。
結局、そのあとは何もなかった。その子たちとはいつの間にか以前のように遊ぶようになったし、親にこの出来事を伝えることもなかった。だから、みんなは知らないだろう。私がこの件以降、水色の服を買わなくなったことを。

くだらないとはわかっていた。なんてレベルの低いからかいなのだろう、それを真にうけて傷ついてる私もバカみたいだ。くだらない。そういう想いも含まれた涙だったに違いないと思う。でも、確かにあの時私は、自分の好きなものを利用して攻撃されたことに涙が出るほど傷ついたのだ。そして、「好きなものを身につけることは、好きなものを表現することは、怖いことなのだ」と思ってしまったのだ。

時が経って、あれから約20年。いろいろあって私は大人になった。当時の記憶なんかもう忘れてしまっていたけれど、無意識的に水色の服だけは避け続けていたようで、クローゼットを眺めても水色の服は一つもない。
この記憶を思い出したのはたまたまだった。アニメを見ていて、晴れ男だとか、雨女だとか、そんなセリフを聞いて、急に呼び起こされるように思い出したのだ。

体が大人になった私は、ちゃんと心も大人になってきたようで、私を表現することに、私が私の好きを示めすことへの恐怖は薄らぎつつあった。私が私で在れないことは、やはり苦しい。

だから、今度買う服は水色にしよう。
そうやって、人は少しずつ自由になっていくんだ。

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