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なぜ、「編集者」の道を選択したのか #1

地元の市役所を退職して1ヶ月経過しました
今まで慌ただしい日々が嘘のように、ゆっくりした時間を過ごしています
人生の中で、そんな時間があってもいいかもしれませんね

ちょっと、市役所時代のことを振り返ってみたいと思います
多くの人がイメージしている市役所の仕事といえば...
窓口・手続き関係、観光・PR関係、移住関係、都市計画関係、企画・広報関係、防災関係、財政関係…etc

こんな感じでしょうか
例として挙げていないものもたくさんありますが、どれも街を構成する大事なセクションです

この10年間、デスクワークではなく、ソーシャルワークというフィールドで、現場で人とひたすら向き合い、地域や色々な機関・業種とやりとりしたりすることをメインにやってきました
ゆりかごから墓場まで、という言葉があるように、赤ちゃんから高齢者までが僕にとってのクライアントで、常に色々な意味での生と死の間に身を置いている状況でした

当たり前ですが、人が違えば、置かれている環境や状況、今までの経緯、性格も違います
ケースによっては、どんなに足を運んでも、話をしても、道筋を見出せない
むしろ、そういうことのほうが多かったかもしれません
「僕は答えや出口の見つからない道をクライアントに対して示しているのではないか」
この仕事をするようになって、そんな悲しい気持ちになることもありました

ただ、次第にその気持ちに変化が起きてきました
そのきっかけは、クライアント一人一人の小さな一歩
仕事・アルバイトが決まった、進路が決まった、学校に行くようになった、病気が完治した・通院する必要がなくなった、希望する施設への入所が決まった、家族との関係が良くなった、生きようと思った...etc
その人が生活を営む上で、ほんのわずかな一歩だけど、その一歩を踏み出すまでの道のりはとても遠いのが実情...
だからこそ、僕はこの小さな一歩は大きな喜びだったのです

「僕はいきなり、答えとか出口とか、最終的な結果や実績をクライアントに求めていたのかもしれない」
小さな一歩の大事さに気づいてから僕は過去の自分に対してそう思うようになりました
そこの考えに辿り着いてからは気持ちが楽になったし、クライアントに対していきなり大きな結果を求めない・押しつけない、ようになった気がします

これは僕一人の力ではありません
ケアマネージャー、学校の先生、ハローワークのスタッフ、病院の先生やソーシャルワーカー・スタッフ、介護施設のスタッフ、自治会長・民生委員、不動産屋、大工、家主、葬儀場のスタッフ、警察、消防、雇用主、親族...
数えきれない人たちのサポートがあって、この小さな一歩に対して背中を押していけるのです
僕の役割はあくまでクライアントの内面を引き出して、そこから次へと進む道筋を設計して、色々な職種の人に相談やお願いをすること
役割を全うする中で、僕自身が背中を押してもらえることが多かったなと思います

そんな状況を楽しんでいる自分がいたし、ソーシャルワーク以外のフィールドでもこのような仕事をしてみたい、その道で稼いでみたい、と思うようになりました

それが僕の中で頭に浮かんだ仕事が編集者でした

実際仕事として携わったケースワーカー、一緒に仕事をさせてもらっていたケアマネージャーは、色々な専門職の人と連携し、どのようにしたらクライアントが望んでいる普通の暮らしをすることできるか、その道筋を作っていくのが仕事です

編集者も色々な専門職の人と一緒に誌面を創ったり、イベント・企画を練ったり、他にも僕が想像もしていないようなこともたくさんしています

一人ではなく、色々な人と向き合いながら、一つのものを創り上げていくこと...

これは、僕がやってきた仕事と編集者という仕事の共通点

僕の思いや今挙げた共通点をかけ合わせると、編集者、という道筋ができたのです

(続く)

※ケースワーカー https://careergarden.jp/caseworker/work/

※ケアマネージャー https://www.acpa-main.org/caremanager/

#編集者見習い #かみさま #てまえ #ソーシャルワーク

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