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M 愛すべき人がいて/小松成美

2019年、本書の単行本が出版されたとき、ついに彼女の暴露本が出版された、そういう印象を受けた。おそらくメディアとしても、彼女の過去に一体何があったか、こういう事実があったのだという暴露本ぽく仕立てることで売れることを期待したのだろう。

当時の僕を振り返ると、こういう本は確かに面白いだろうけど、誰かの過去を知って、そういう真相があったんだと知ったところでどうするのと、疑問を持っていたような気がする。きっと叩かれるだろうし、過去のことをまたやーやーいうネット民が沸いてくるだけのような気がしていた。だったら読まない。読まなくていい。そう思っていたと思う。

浜崎あゆみといえば、平成の歌姫と言われる。人によってその称号が与えられる人は違うのかもしれないが、世間的には彼女がそう言われていた。平成2年生まれの僕からしても、確かに幼いころから彼女の歌は存在していた。でも、これといって特別自分がその音楽にはまる感じはなかった。当時の僕としては、多分SMAPとかGlobeとかポケットビスケッツなんかをよく聴いていたと思う。ギャルで、金髪で、派手、若者の中心と呼ばれる存在がどこか自分には遠い存在だと。あの頃も、今もいるが、車のバックガラスに浜崎あゆみのマークをどかんと掲げている車、あの車の持ち主があんなにリスペクトしているのが分からなかった。もちろん当時からYAZAWAの書いてある車もあったけど。その後は倖田來未とかが書いてあるのも増えてきていたと思う。

なんで彼ら彼女たちがあゆ(浜崎あゆみと呼ぶとなんだか遠く感じるのでこの呼び名に変更)をリスペクトし、彼女を平成の歌姫と呼んでいたのか、本書で理解できた。

本書で中心に書かれているのが、20歳そこらの話だが、デビューから凄まじい勢いで駆け抜けていった彼女、あの年齢でそんな経験をしているとは。それであの歌詞やあの曲、表現をしていたと考えると確かにリスペクト以外何もない。彼女が当時書いていた歌詞の全てがMへ宛てたラブレターだという。そうだとしたら、彼女の愛というものに対する表現の広さにびっくりする。さまざまな言葉で表現されている歌詞は、彼女がMと駆け抜けてきた時間と見てきた景色がその歌詞から想像できる。時間と景色が想像できる言葉を本当に美しく感じる。

Mと離れ、1人で楽曲を作り、Liveを作り、自らをさらにプロデュースしていったあゆ。まじでリスペクトです。

この本はあゆのことが中心に書かれていると思うが、忘れてはならないのがMの存在。ドラマでやっていたときに少し見ていたけど、三浦翔平さん演じるMの仕事に対する迫力は怖いくらいすごいなと思った、その怒りを表現しているシーンが今でも思い出せるくらいだ。もちろん当時の会社の命運をかけたプロジェクトであったこともあり、そのくらいの気概がないと、もしかしたら会社の存続も危なかったのかもしれない。あの仕事に対する姿勢にもリスペクトしかない。

そういえば、あゆは自分のことをあゆって呼ぶのと、少し鼻声っぽく聞こえるのは昔からテレビを見ていて気になっていたけど、そのことについても本書では触れられていて。なんか可愛らしい理由だったんですね、カリスマとか呼ばれていたけどやっぱり20歳らしさを感じました。あ、でも今も言ってたような気がしますね。

『Mと一緒にいられる時だけ、あゆは人間に戻れるよ』

急激に自分のいる場所が変わって、普通の生活が無くなった。当時のあゆにとって、ただ料理をして、洗濯をして、映画を見て、家でゆっくりするということすらできない状況だったのだろう。ただそれでも、Mが一緒にいる時だけ、普通の生活を感じられるということ。彼女からみた、普通の生活を送っている僕らにとっては、今送っているこの普通の生活が彼女は送れなかった。もちろん、僕らが体験できないことを彼女はたくさんしているのだろうけど、当時の彼女が欲しかったのは僕らが何気なく過ごしているこの日常、普通の生活だったのだ。

誰かが生きたかった今日は、誰かが生きられなかった明日だとかいう名言が確かあったと思う。僕らこの人生でどちらかの選択を迫られた時に、やっぱり一つしか選ぶことはできない。彼女の選択は、苦しい選択だったかもしれないけど、その後の決断と結果から見ても、素晴らしい選択だったはず。

今の彼女をたまにテレビで見ることがあるが、随分とかっこよく感じる。衣装がクールだったり、Liveの演出の影響もあるが、平成の時代のカリスマとは違う、独自のカリスマを貫いているように感じる。出産や育児を経験し、年齢を重ね、さらに自分のパフォーマンスを高めていこうとする姿に大きなエネルギーを感じるのだ。

小学生の頃から見ていたあゆの印象が変わった。ただカリスマ、最先端、流行り、そういう風にしか見ていなかった彼女を『自分の身を滅ぼすほど、ひとりの男性を愛しました』と言えるくらい、本気で生きてきたひとりの女性としてリスペクトしかない。

車のバックガラスをあゆのマークにするとまではいかないが、しばらくは彼女の歌声をBGMに通勤、ランニングをすることになりそうだ。

一度くらいLiveを観にいってみたくなってきた。


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