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もうひとりの理想、種田山頭火

本日も、時間がタイト…につき、みじかめの投稿♪


私には、もうひとり、理想のひとがいます。
それは、種田山頭火です。

かたや良寛和尚もお坊さん。山頭火もお坊さん。
いえ、単なる偶然です。

そして、ふたりとも詩人というか句を詠むひと。
これも、偶然。(笑)

でも、ふたりはたしかに僧侶であり、
句を詠むひとではありますが、
生きかたはまったくちがいます。

良寛和尚が、子どものように
天衣無縫、天真爛漫に生きたのにたいし、

種田山頭火は、酒に女に煩悩におぼれ、
破天荒な生涯を生き抜きました。

けれども、私は、この2人が、まるで、
人間の裏と表、対のような存在に感じるのです。

ふたりの句を、見比べてみましょう。

良寛和尚
・鉄鉢(てっぱつ)に明日の米あり夕涼

種田山頭火
・鉄鉢の中へも霰

良寛和尚
・萩すすきわが行く道のしるべせよ

種田山頭火
・まつすぐな道でさみしい

なんと好対照な句ではありませんか。
ふたりの生きざまそのままのように感じます。


けれども、この句はどうでしょう。

良寛和尚
・倒るれば倒るるままの庭の草 

種田山頭火
・おちついて死ねそうな草萌ゆる

何か、死生観がつながっているように感じませんか?


次の句は、同じことばは入っていませんが、
死生観という意味では、やはり共通に感じます。

良寛和尚
・散る桜残る桜も散る桜

種田山頭火
・分け入つても分け入つても青い山


今日は、時間がないので、ぱっと目についた句で
照合していますが、

もう少していねいに調べると、
またちがう光をあてられるかもしれません。

こころやすらかに生きたであろう良寛和尚と、
煩悩のなか破れかぶれの人生を生きた種田山頭火の、

いずれも、それぞれのいのちをまっとうした
潔さを感じてしまうのです。

その潔さこそが、私の理想でもあるのです。


この稿、またあらためて起こし直します。


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