ある卒業生の謝辞に思うこと
こんにちは。つぶつぶミントです。
東京都知事の要請を受け、今日明日は素直に引きこもりの構えです。
さてさて、学習院大学国際社会科学部の卒業生の謝辞がバズっていますね。
(※上記のサイトは3/31で削除されるようです。)
この謝辞は3月20日に予定されていた卒業式が中止になってしまったことを受けて、学部長の祝辞とともにWEB上に掲載されたものです。
謝辞には①と②があり、話題になっているのは①の方。小堀奈穂子さんの謝辞です。(上記サイトは3/31で見られなくなるようなのでスクショを貼らせていただきます。)
今朝、この謝辞がTwitterで話題になっていたのを目にし、早速貼られていたリンクから読みに行って衝撃を受けました。
こういった場で卒業生が言葉を述べる場合、これまでお世話になった先生方や親御さんなど周りの人に感謝を表すのが一般的ですが、小堀さんは「大学で自分が努力をしてきたと言えるならば、卒業生が謝辞を述べるべきは自分自身である。感謝を述べるべき皆さまなんてどこにもいない」と、お世話になった方々への謝辞をばっさり切り捨て、今最も感謝しているのは頑張ってきた自分であると、こうおっしゃっているのです。
ん?もしかして…サイコパス?!
一読してそう思いました。
そして、これをそのまま謝辞として掲載した学習院大学の神経を疑いました。
こんなの世間から叩かれるに決まっているし、まだ若い小堀さんがメンタルやられでもしたらどうするのだい?!
いや、待て、小堀さんの文章を読むと、どうやら彼女は大学に対して苦言を呈することもあったようなので、まさかそれを快く思っていなかった大学が、彼女が叩かれることを想定した上で敢えて公開したのか?!
しかしその後、同じページに掲載されている学部長の祝辞や、小堀さんご本人のTwitterなどを読んでみて、見方が少し変わったのです。
まず、小堀さんが大学に物を言う生徒だったということは、この学部長の祝辞からも伝わってきますが、学部長はじめ多くの教職員がその声を尊重し、しっかりと耳を傾けてきたことが窺えます。
小堀さんの苦言を快く思わず、彼女が叩かれることを期待してこのような過激な謝辞を敢えて掲載したなどと勘繰った自分がゲスすぎて憤死。
次に、ご本人のツイートやリプライを読んで感じたのは、この小堀さん、多少お気の強い方ではあるようですが、決して周囲の人たちへの感謝の気持ちがないわけではないということです。
卒業にあたり、ありきたりな謝辞など述べたくないという自身の主張をはっきりさせるため、敢えて他者への感謝の言葉を切り捨てたのだと思います。文中ではかなり挑発的な表現も使っていますが、バッシングされることも覚悟の上だったのでしょう。それもこれも全て計算の上で、とにかく多くの人に刺さる文章を書きたかったのだろうと推察します。
すみません。一瞬でもサイコパス呼ばわりした自分をきつく叱っておきます。
ところで、この国際社会科学部のサイトにはもう一つ、卒業生代表の謝辞が載っています。小堀さんの謝辞①のあとに掲載されている別の方の謝辞②です。
この謝辞②は、大学生活を振り返り、教職員や一緒に学んだ同級生など、これまで自分を支えてくれた人たちへの感謝を述べ、最後に大学の発展を祈念するとともに、後輩達へのエールで締めるという大変思いやりに溢れた温かい文章です。(敢えてスクショは載せません。)
謝辞①とは非常に対照的。そして、この2つの謝辞を読み比べてみると、今の時代の多様性が浮き彫りになるようで面白いです。
今回、私も含めて多くの人たちがこの2つの謝辞を読み、様々な感想を持ち、様々な考察や議論を展開しました。それもまた非常に面白い現象だと思います。ネタを提供してくれた小堀さんに感謝です。
これからの時代、解は一つではありません。対立した主張であっても、お互いを否定して終わるのではなく、まずは相手の意見や考えに耳を傾け、自分の思いに共鳴させてシナジーを生み出していくことが、これからの多様化社会を大きく発展させてくれるカギになるはずです。
みんなで建設的な議論をしていきましょう!
今回謝辞を寄稿されたお二方の未来が、輝かしいものになることを願っています。(これは定型文でも美辞麗句でもなく、心からの言葉です。)