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「SPICA」 第二話

 プラネタリウムの一件から数十分、俺はスピカを連れて第七居住区のグレモア街を歩いていた。前を歩く俺の足取りは一つの扉の前で止まる。

 コンクリート製の古いビル。そこの裏路地にある味気ない扉はどう見ても裏口にしか見えないが、扉の先には地下へとつながる一本の階段がある。無機質なその階段を下へと進み、そしてまた重厚な扉を開けると、そこは暖かな光で満たされたリビングに辿り着く。

 ソファや机、カーペット、その他棚やラジオなど、様々な家具が使いやすいように置かれた十二畳ほどの空間。部屋を構成するどの要素もボロボロだが、おかげでノスタルジックな統一感を醸し出し、リビングはさながら豪華な秘密基地といった風貌だ。

「アルト~、おかえり~」

 部屋の中央、背を向けたソファから彼女の声と手だけが出てきた。手はやる気のない出迎えを果たすためにゆらゆらと力なく左右に揺られ、声も覇気を感じさせない間延びしたもの。

「あぁ、ただいま。ノア」

 返事を聞いて、ようやくノアは体を起こす。

 よく言えばマイペースそうな、悪く言えばだらけた印象を与える少女だ。パイロットゴーグルが腰まであるボサボサの赤髪を後ろにまとめ、華奢な体には明らかにサイズのあっていない黒色のパーカーを着崩している。こぢんまりとした口にお気に入りの棒付きキャンディーを咥え、こちらを見つめる瞳は暗赤色というべきか紅色というべきか。

 ノアはスピカを一瞥すると、貼り付けたような笑みを浮かべて彼女に向かって手を振った。

「よろしくー。スピカ……ちゃん、だよね。あたしはノア。そっちのアルトの相方だよ~」

 スピカは相変わらずの無表情でノアを数秒見つめると、頷くように軽く頭を下げる。

「スピカのことは、スピカでいい」

 消えてしまいそうなか細い声でスピカは言う。

 ノアはその笑みを若干引き攣らせながら目線を俺の方へと向けると、親指で自身の背後にある扉を指し示す。

「アルト、ちょ~っと話があるから来てくれる? スピカはここでゆっくりしてていいからね」

 なんの話かは想像に難くない。

 スピカはこくりと頷いたので、俺とノアは奥の部屋へと入る。そこは普段物置として使っている部屋だ。

 薄暗く埃っぽいが、ここに越してきてから日が浅いせいで用途から想像されるほど物が置かれているわけではない。どちらかというと空き部屋という方が近いのかもしれない。

「さて、これからについてのことなんだけど」

 部屋の扉を閉めるとすぐノアはくたびれた様子で話し始めた。するのはやはりその話か。

「中央政府とやり合う上で、あの子は重要な交渉手段として使えるかもしれない。なら、あたしたちはあの子が政府にとってどんな存在なのか、それを知ることがマスト」

 軽く状況をまとめると、ノアは両手を合わせて音を鳴らす。

「てなわけで、まずはあの子の身元特定から始めたいと思うんだけど。何か異論は?」

「ない。ノアが正しいと思うんなら多分それが最善だろ」

 ノアは俺より頭が切れる。さらに言えばおそらく彼女はこの街の大体の人間より賢いだろう。もしも彼女がセーフゾーンの資産家の家に生まれ、真っ当な教育を受けれていたのなら、今頃はなんらかの分野で多大な功績をあげていたはずだ。

 それを思うと正直、ただ昔からのよしみというだけで俺とこんな底辺にいることに申し訳なさを感じてしまう。

「よーし。それじゃああの子はこの部屋に縛っておいて」

 ……当然、そうなるだろうとは思っていた。よくわからない子供でも俺たちにとっては大切な命綱なのだ。気づいたらいなくなりましたじゃ済まされない。倫理観なんてゴミ溜めにあるこの街で、監禁というものはあまりにありふれているし、珍しくもなんともない。多少声が漏れても誰も気にすら留めないはずだ。

 だが、俺の中の何かがそれを拒む。安っぽい正義感か、薄っぺらい同情心か。それとも、“あいつ”への憧れか……。

「……監禁じゃなくて、普通に面倒見るのはダメか?」

 いつの間にか言葉が口を滑っていた。あまりに感情論すぎて撤回しようとしたが、それより早くノアが口を開く。

「正気? あたしの嫌いなもの知ってるでしょ。学のないやつと話聞かんやつ。あの子は多分その両方だよ」

「そ、そうだよな。ごめ……」謝罪しようとした俺の言葉を、また彼女は遮って強引に「でも」と繋げる。

「アルトがそんなこというの珍しいじゃん。面倒見れるって約束できんなら、あたしはそっちで構わないよ」

「……いいのか? これはただの我儘だぞ? ただの感情論だし、いつもノアの方が正しいし……」

「だぁ! もうネチネチネチと! あたしが気にしないって言ってんだからやりたいようにやればいいの! それともやっぱり監禁にする!?」

「いや、別にそんなわけじゃ……」

「じゃあこの話はこれで終わり! あたしはもう寝るからあの子のことは頼んだよ! ほんじゃおやすみ!!」

 ノアはそう言ってドアノブに手をかけたが、思い出したような声を漏らして振り返る。

「それと! トラウマ、克服おめでとう!」

 ノアはそう最後に吐き捨てて、扉を大きな音と共に叩き閉めた。

 物置に取り残された俺は、一人自分の右手を見つめた。

 ――そういえば、なんであの時は“声”しなかったんだろう?

 降って湧いた疑問を俺は深く考えず、その部屋を後にした。


 ※


 寂れたバーの中には六人の人物がいた。一人は賞金首で四人は賞金稼ぎ、そして残りはバーテンダー。

 取り囲む賞金稼ぎを気にも留めず、フードローブを深く被った賞金首はカウンター席に腰掛けながら注がれたバーボンを揺らす。

「……おい、揉め事なら他所でやってくれ」小心そうなバーテンダーが懇願するような声で言う。

「おいあんた、俺たちと一緒にきてくれねぇか?」

「俺たち乱暴なことしたくないからさぁ。頼むよぉ」

 賎しげな笑みを浮かべる賞金稼ぎが賞金首の肩に肘を乗せる。賞金首の肩は小さかった、というより彼の体格は華奢に見える。囲む連中が大柄なせいか、それでも同じ背丈の人物と比べても痩せて見えるだろう。

「もしもーし、ブルって動けなくなっちまったかぁ?」肘を置いていた賞金稼ぎが、今度はフードの中を覗くように顔を彼の斜め前へ持っていく。

「うちの奢りっす」

 覗く賞金稼ぎの顔に、揺らしていたバーボンが浴びせられる。目に入った酒が相当目に染みるようで彼は濁った呻き声と共に後ろへ倒れた。

 即座に賞金首が握りしめるはカウンター上に置かれる小洒落た酒瓶。彼はそれを後ろにいた賞金稼ぎの一人めがけて振り下ろす。男は咄嗟のことに反応しきれず、酒瓶が割れる音と共に意識を手放した。

 バーテンダーが情けない悲鳴をあげる。

「てめぇ!」残った二人の賞金首が腰の鞘から剣を取り出す。

 賞金首はカウンターを乗り越えて、それを挟むようにして連中と向き合う。彼は背後の棚に飾られる酒瓶を手に取った。

「そ、それ高いやつです! せめてその隣のを――」

 バーテンダーの静止を無視し、彼は酒瓶を投げつける。だが男たちには当たらない、握られた剣で弾き割られる。

 負けじと賞金首も手につく限りの酒瓶を投げつける。数十秒も経たずして店の被害総額が嘆かわしいものになったが、賞金稼ぎにはさほど外傷を与えられない。少なくとも値段ほどの効果はなかっただろう。

「こんのクソアマが……」

 最初にバーボンを食らった男が起き上がる。目は充血し、周りも赤く腫れていた。わざわざ言うなら酷い顔だ。

 相手取る数が二人から三人に。

 賞金稼ぎは「っげ」と言葉を漏らす。

「じゃあとっておき、いくっすよ!」賞金首はフードの中から片手サイズの球体を取り出した。彼はその球体につけられたピンを引き抜くと、賞金稼ぎたちの方へ放り投げる。

「正気か!? 爆弾だ!」賞金稼ぎたちが騒ぎ、近くの物陰へ隠れる。

 木製の床に爆弾が落ちた。

 小気味良い音をたてて床を転がる。

 やがて机にぶつかって静止した。

「……」

 揺るがすような衝撃も、つんざくような爆音も、焦がすような閃光もない。ただただ気まずい静寂がバーの中を満たす。

「おい! 賞金首がいねぇぞ!」ようやく顔を出した賞金稼ぎの一人が言った。

「クソ! 偽物じゃねぇか!」賞金首が投げたものを拾い上げて男が言う。

「あの野郎……。探すぞ! まだ近くにいるはずだ!」

「お、お客様代金は……」

 バーテンダーの声は誰にも届かず、賞金稼ぎたちは店を飛び出した。ちなみに店の弁償代は気を失っていた賞金稼ぎが払ったのだが、それはまた別の話である。


 ほぼ同時刻、その賞金首は人混みの中にいた。第八居住区のロープ繁華街。昔からの老舗と入れ替わりの激しい個人店からなるそのメインストリートは、昼間ともなると数百数千の人々が巨大な人波を形成する。

 一度その波に飲まれると抜け出すことは容易ではない。現に今、賞金首も身を捩り、なんとか人の間を縫って歩き進んでやっとの思いで波から抜け出したのだ。大通りを外れた小道に抜けても、布を敷いて商売をする出店のせいで人の通りは決して少なくない。それでも先の大通りと比べればずっと常識的な人口密度だ。

 賞金首はその小道からさらに裏路地へと入り、小走りで奥へと進んでいく。

 もう十分小道からも外れたところで、ようやく賞金首は振り向く。

 追手がないことに安堵の息をついた。

 だが、彼の頭上から二人の人物が降ってきたのはその直後である。

 一人は晴れだというのに傘を握る機械の眼を持つ青年と、もう一人は青年の脇腹に荷物のように抱えられ、紙袋を大事そうに抱いている白い少女だった。

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