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壊乱(仮) 第七話

 事前に相談もなく、僕とアレンで適当に選んだ店へ入ったのに、ドルトンは連絡もなしに僕らの元へ辿り着いた。先についた僕とアレンで、自分達の飲み物を頼んだところで、厨房に引き上げていく給仕に、彼も自分の飲み物を頼んでいた。
 ドルトンが隣に座ると、給仕がドルトンの分もおしぼりを持ってやって来た。彼はそれを受け取るなり、両手を拭いたのち、豪快に顔も拭う。アレンはそれを見ながら嫌そうな表情を浮かべ、メニューを持って体を背けた。彼が「適当に頼むぞ」と言うと、僕は同意したが、ドルトンは顔を上げて手を差し出した。
 アレンの手からメニューを分捕ると、「コレとコレは頼んでくれ」と看板メニューらしいデカい肉料理と、大盛りのライスを要求した。あとは、アレンにお任せでいいと言う。アレンは飲み物を運んできた給仕を呼び止め、ドルトンのオーダーと、彼なりに選んだメニューを伝えた。
 アレンが注文を終えるのを待ち、運ばれて来たばかりのよく冷えた黄金色のドリンクを各々の目の前に取り分けた。グラスをしっかり持ち、「乾杯」と三人で打ち合わせる。一気飲みは身体に悪いと思いながら、身体を動かした後のビールは早々止められない。肉体労働後のドルトンは、完全に一回で飲み干して、おかわりを頼んでいた。
「しかし、よく分かったな。店は幾らでもあったのに」
 僕が頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出すと、ドルトンは「まぁ、直感?」と笑った。彼はおかわりと空きのグラスを交換し、「ーーというのは、冗談だ」と言い、自分の鼻を触った。
「匂いだよ。お前は焦げ臭い匂いがするし、アレンは木の匂い、植物の匂いがする」
「本の匂いとか、インクの匂いじゃなくて?」
 ドルトンは頷きながら、「おまけに、お前らは匂いが強い。格別に」と付け加えた。ドルトンが言うように、そんなに匂いが強いなら自分でも分かる気がする。自分の体臭を確かめようと匂いを嗅いでみるが、彼が言うような臭いは分からない。アレンの匂いも確かめようとすると、彼は少しのけぞりながら、「筋肉バカの言うことなんか、真に受けるな。機械いじりのオイルが臭ったって、指先ぐらいのもんだ」と言い放った。
「大体、そいつの鼻がおかしいんだよ。犬並みだからな」
 アレンの言葉に、ドルトンは褒められたと思ったらしく、恥ずかしそうに自分の後頭部を撫でた。アレンは「褒めてないんだよなぁ」とボソッと呟いた。
 ドルトンは自分の元に運ばれてきた肉肉しい塊肉と、デカい白飯に集中し始めた。僕とアレンは、パラパラと運ばれてくる食事を適当に摘みながら、ビールを楽しんだ。多少お腹が落ち着いたところで、アレンが肝心の話題を切り出した。
「で、例の件、どうするんだ?」
「二人は、どうなんだ? 家族とか、仕事とか」
 急に水を向けられた僕は、そのままアレン、ドルトンに話題を投げ返した。ドルトンはライスを掻き込みながら、「オレはどっちでもいいぞ。いざって時の話はつけてきた」と言った。
「オレも、お前が決めた方でいい。お前が自分で決めたならな」
 二人に話題を振って、少しでも判断材料を引き出す予定が、綺麗に崩された。彼らの生活や意思を軽んじているのではなく、僕にとって何が最良かを考えてくれているようだ。その分、誰かに押し切られた決断では納得してくれないのだろう。
 アレンもドルトンも、僕の回答を黙って待っている。わざわざ時間を取ってくれたのに、僕は未だに答えが出せない。
「おっと、そこにいるのは誰かと思ったら、ハイランド少佐じゃないですかい?」
 近くを通りかかった酔っ払いが、僕の顔を覗き込んできた。一緒にトイレへ行っていたらしいツレの男が、「誰だって?」と足取りもおぼつかない男に訊ねた。
「ほら、アレだよ。鬼神のハイランドとかいう異名で、姉ちゃんもバカみたいに強ぇ姉弟だよ。しけたツラしてるから、気が付かなかったよ」
「本当だ。母殺しのハイランド少佐だ。没落貴族が、こんなところで何のようだ?」
 二人は僕に罵声を浴びせながら、大きな声で笑い合った。話の中身までは広まっていないようだが、大声が周囲の注目を集めている。どうすべきか判断に困っていると、徐々にアレンやドルトンの目つきが険しくなってきた。
「おい、何とか言ってみろよ。少佐殿」
 呂律の回っていない方の男が、テーブルの上にあったグラスを掴み、僕の頭上でひっくり返した。中に残っていた液体が、真っ直ぐ僕に降り注ぐ。流石に堪忍袋の緒が切れたのか、ドルトンが箸をテーブルに叩き付けたのをきっかけに、彼とアレンが同時に立ち上がった。
「ーーちょっと、お客さま」
 不穏な空気を察してか、綺麗なおしぼりを手にした給仕が近付いてきた。僕らより十歳前後年上の、目尻に皺が見える女性だった。彼女は、食って掛かりそうな酔っ払いに臆さず、ずぶ濡れの僕におしぼりを差し出し、「大丈夫ですか?」と自分の手にも持っていたそれで僕の身体を拭き始めた。
 彼女を威圧する酔っ払いは、それぞれアレン、ドルトンが間に割って入り、睨みを効かせていた。二人を超えて、直接手を出すのは難しそうだった。
「お会計は結構なので、今すぐお帰りいただけますか?」
 僕の世話に区切りが付くと、彼女は酔っ払いに向かって毅然と言い放った。酔っ払いは一瞬、「何だと?」と間合いを詰めるが、アレン、ドルトンに阻まれて強気には出られなかった。二人は、舌打ちを残し、自分達の荷物を持って店の外へ出て行った。
「もう二度と来ねえよ、こんな店」
 店を出る間際に悪態をついた。それを耳にしたドルトンは、「あいつら、まだーー」と一人で外に出て追いかけようとする。彼女はそれには目もくれず、床に拡がっている水分、汚れを拭き取りながら、「もういいんで」と言った。ドルトンはその場で立ち止まり、さっきまで座っていた席に腰を下ろした。アレンも、いつの間にか自分の席に座り直していた。
「後で、塩でも撒いておきますから」
 彼女はそう言うと、背中を伸ばしながら立ち上がった。汚れた布を身体の後ろに隠し、ついでに空いた皿を厨房へ運んでいった。新たなおしぼりを持ってきて、僕に渡したおしぼりを回収した。
「あの、ハイランド少佐、なんでしょうか」
 彼女は何か言いにくそうに、モゴモゴと言った。さっきの毅然とした態度とはかけ離れた様子に、僕は曖昧に「ええ、まあ関係者みたいな……」と言った。
「本人に会う機会があれば、伝えてもらえませんか? 旦那と息子を返せ、と」
 彼女はそれだけ言うと、そそくさと厨房へ引っ込んだ。
「ウチの近くに、ああいう手合いが大挙して暮らすと思うと気が滅入るな」
 アレンは、残ったビールを美味しくなさそうに飲み干した。食い散らかした残りを摘みながら、帰るムードを漂わせている。
「そう言うなって。彼女らには、彼女なりの事情があるんだ。分かってやれよ」
 ドルトンは、自分だけしっかり食事を摂ったにも関わらず、まだ何かを入れる隙間があるらしい。アレンと共に、残りを平らげていく。
「有名人は辛いねぇ。全部、お前の責任にされる」
 ドルトンはボソッと呟いて、最後の一口を頬張った。彼が食べ終えるのを待って、店の会計を済ませた。ドルトンだけ飲み食いが多かった気もするが、綺麗に三人で割る形になった。
 店の外へ出ると、ドルトンは身体を大きく伸ばした。アレンが最後尾で店を出た。
「結局、結論は持ち越しか」
 アレンがポロッと零すと、ドルトンは「まあ、いいじゃないか」と言った。
「で、もう一軒行くか?」
 ドルトンは二軒目が多そうな方へゆっくり歩き始めた。僕とアレンは顔を見合わせ、「僕らはいいや」と言うと、彼は残念そうな顔で振り返った。
「もう一軒だけ、行こうぜ」
「行きたいなら、一人で行けよ。オレたちは帰る」
 アレンが突っぱねると、ドルトンは、つまらなさそうに舌を打ち鳴らした。
「お前も明日、仕事だろ? コイツはコイツで時間が要るし」
「じゃあ、仕方ないか」
 アレンの言葉に、ドルトンは素直に納得し、一人で商店街の奥へ歩いて行く。僕はその背中に「じゃあ」と声を掛けると、彼は振り返りもせず手を挙げた。
「さ、オレらも帰るか」
 アレンはその場で、「じゃあな」と彼の店の方へ向かって歩き始めた。僕は僕で、木馬を停めた場所まで歩いて行く。本当はもう少し、二人と共に過ごしたかったが、答えを出さずに逃げ回っていても仕方ない。どうしたものかと迷いながら、夜の街を木馬を押しながら、孤独に歩いた。

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