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2231(仮) 第四八話【最終話】

「君はコレから、どうするんだ?」
 空湖さんは、しっかり前を見ながら言った。そう言われても、今日の予定や目的地は特に聞いていない。答えに迷っている僕をミラーで見た空湖さんは、「そうじゃなくって」と付け加える。
「身の振り方というか、出処進退というか、君の将来の話だよ。ウチの桂花もだけど、君も一生、ザ・シティの監視下に置かれるんだろう? 桂花は研究職志望だから、ゆくゆくはザ・シティに関わるとして、君の今後はどうなのかと思ってね」
 空湖さんの言いたいことがやっと分かった。フライの落下地点予測もまともに処理できないド文系、この間の期末テストもやっぱり悲惨だったのも判明した今の僕に、その話も答えにくい。追試でなんとかなりそうな雰囲気もあるけど、現役での大学受験は厳しい気がする。
「君のところにも、そういう接触はあるんだろ?」
 空湖さんは、僕の目を見て言った。僕は最近の出来事を思い出しながら、口を開く。
「ザ・シティからは来ないですけど、チャルカの方から、次のグレゴールにならないかって打診は何度か来ました」
「次代の監視者か。いいね、似合ってるじゃないか」
 空湖さんは、声を出して笑った。彼の脳裏に、あの衣装を纏った僕の姿でも浮かんでいるのだろう。どちらかというと理系集団のザ・シティよりは向いていると思うが、例のベネチアンマスクと、「見張るもの」の名を継ぐのは遠慮したい。
「じっくり悩め、青少年。それが青春さ」
 空湖さんが運転席でうるさいぐらいに笑うと、車は駐車場に入った。そこは、陸上競技場の駐車場だった。
 空湖さんが車を駐車スペースに入れると、桂花さんがスッと車外に出た。彼女は花束を手に、後部座席のドアを開ける。
「ほら、行っといで」
 空湖さんはシートベルトを外しながら言った。彼は、運転席のリクライニングを倒してケータイを取り出した。一人で面食らっていると、ドアを開けてこちらを見ていた桂花さんにも、「ほら、行くよ」と促された。
 彼女に強引に車外へ引きずり出され、二人で駐車場を抜け、陸上競技場の裏へ向かう。左足首を撃ち抜かれた桂花さんは、左脚だけケイ素製の脚に取り替えていた。急増っぽい織林刑事の左腕とは異なり、左右のバランスは悪くなさそうだが、まだ完全には馴染んでいない。随分と、歩きにくそうにしていた。
 彼女と二人で、お供物の痕跡がなくなった場所に辿り着いた。入駒の存在はなかったものとされているので、ここで彼女が亡くなった事実も覆い隠されている。何もない、人通りの少ないただの道端に、桂花さんは花束を置いた。
 彼女が両手を合わせるのを見て、僕も慌てて両手を合わせた。目を閉じて何を唱えるか迷っている間に、桂花さんは目を開けた。彼女は足元の花束を見つめている。
「入駒さんも、災難だよね。昔告白した男と、あんまり喋ったことのないクラスメートの女が並んで、一緒に手を合わせてるなんて」
「あの子は気にしないよ、そんなこと」
 桂花さんは僕の方を向いて、「分かってないなぁ。全く」と肩をすくめる。急に強い風が吹いて、花束から顔を覗かせている小さな花の花びらが、何枚か散った。
 桂花さんは風に吹かれて暴れる髪を手で押さえながら、「次行くよ。次」と言った。僕はもう一度その場で手を合わせ、駐車場へ向かって歩き出した彼女を追いかけた。

 空湖さんの運転する車は、ハチ公タワーの足元へ向かった。隣接する公園指定の駐車場へ車を止め、今度は彼も一緒に車外へ出た。江辺野親子に先導され、ハチ公タワーの側まで来る。
 僕はつい頭上を見上げ、この間はあの上の方まで行ったんだと、想いを巡らせた。ハチ公タワーの由来も、俺は知ってるんだぜと心の中で思っていたら、大きな金属音に思考を遮られた。音の方へ視線を向けると、空湖さんが中に入るドアを解錠していた。
「さ、行くよ」
 彼は自然にドアを開け、ボサっとしていた僕を手招きする。桂花さんは、僕より先に中へ入った。内部は、この前入った時と何も変わらない。こんな感じだったと、数日前を思い出しながら周りを眺めていたら、空湖さんは下へ向かう螺旋階段に足をかけていた。
「何してるの。行くよ」
 入ったところから動かない僕を見て、桂花さんが声を掛けてきた。僕は慌てて彼女の背中を追いかける。空湖さんは、階段の先へ進むドアも持っていた鍵で開け、ズンズン下へ降りていく。
 彼に導かれるまま階段を降りていくと、その先には広大な墓地が広がっていた。
 空湖さんは、案内図も見ずにどんどん先へ行く。比較的新しそうな墓標の前で、急に立ち止まった。名前は特に掘られていないが、以前、ザ・シティからそんな通知を受けた気がする。
 空湖さんは、桂花さんと手分けして、三つの花束をそれぞれの墓標に置いた。奥の方から順番に、入駒、ばあちゃん、駿の墓になっている。
「地上で抹消された人たちの墓は、ここに移される」
 彼はそう言って、墓標の前で手を合わせた。桂花さんも、それに合わせて手を合わせる。入駒の墓も、ばあちゃんの墓も、市営の墓地にあったのに、中身はここに移されている。駿はそもそも、最初からここに墓が造られていた。
「越智くんのこともだが、お祖母さんのことは大丈夫かい?」
 墓標の前で屈んで手を合わせていた空湖さんは、立ち上がって僕に尋ねた。僕は墓標の前でしゃがみ、入駒、ばあちゃんと順番に手を合わせる。
「海難事故の時に、僕を助けて亡くなったことになったので、何の問題もないですよ」
 僕がまだ小さかった頃、この近くから乗船する遊覧船で海難事故に遭遇した。実際は、その時の事故で下半身不随になり、罪滅ぼしも兼ねた僕のヤングケアラー人生は、そこから始まったのだけど。
 今、家族に刷り込まれた偽の記憶では、ばあちゃんのおかげで助かったところだけが残り、後の時間は無かったことになっている。
「そうか。そんな出来事が」
 空湖さんは、僕の話を聞いて悲痛な面持ちになる。僕は、「もう、随分前のことなんで気にしないでください」と言った。
 駿の墓標の前で、しっかり手を合わせ、目を瞑って長々とアイツに語りかけた。連れてきてくれた二人に「お待たせしました」と伝え、広大な地下墓地を後にする。
 ハチ公タワーを出てドアを施錠すると、鍵を持っていた空湖さんは、僕にそれを差し出した。
「持っておかなくて、大丈夫か?」
 自由に墓参りをするには必要なものだ。僕は一瞬迷ったが、「要りません」とそれを押し返した。空湖さんは鍵をポケットにしまいながら、「強いな、君は」と呟いた。

 その後、週末の現場巡りはサクッと終わり、他に何処かへ立ち寄るでもなく、お昼ご飯だけご馳走になって帰ってきた。江辺野家の玄関、敷居も跨ぐことなく、普通に我が家で晩御飯を食べた。
 向こうのお父さんも同伴でお出かけした割に、特にその後の進展はなく、上陸してきた台風も家にこもって難なくやり過ごし、何事もなく追試も終わった。何度かの猛烈な雨の日も過ごし、大規模な土砂災害にも巻き込まれることなく、あっという間に一学期の日程が終わった。
 体育館で集まって校長先生のツマラナイ話を聞き、教室で通知表を受け取って、テッちゃんと「ヤバい」だの「思ったりヤバくない」だのの話をしながら、いつものように渡り廊下を渡ったところで、「じゃあ」と分かれた。
 妹の世話からも解放されたけど、結局、どこの部活にも入っていない。連日のようにチャルカ教からの遣いも来るが、適当にやり過ごして帰宅部を堪能していた。
 家に帰れば、明日から夏休み。久しぶりにできた自由な時間をどう過ごすか考えながら、下足に履き替えた。外は明るいのに、天気雨が降っているらしい。せっかく自転車で来たのに、押して帰らねばならない。
 気落ちしながら、カバンの中の折り畳み傘を取り出した。色の濃さに少しだけ気分を盛り上げながら、傘を差して外へ出る。左手のグラウンドで、雨にも関わらず、野球部が声を出して白球を追いかけていた。駿の姿も、古谷の姿も、そこにはない。
 目を転じると、陸上部も小雨の中、練習に励んでいた。その中に、練習着に着替えた桂花さんも混じっている。彼女は今日も、走り高跳びの練習らしい。ポールと紅白のバー、その奥にある大きなマットに向かって走り出した。新しい脚はパワーが違うのか、以前より助走のスピードが上がっている。いいタイミングで、バーの手前で踏み切った。
 雨粒が日の光で煌めく中、青い空を白いユニフォームが横切った。前は跳べなかった高さを、易々と超えていく。
 見事は背面跳びを決め、桂花さんはマットに沈み込んだ。彼女はマットから出るなり、満面の笑みを浮かべ、自分がやり遂げたことを全身で喜んでいた。他の部員も、彼女の周りを囲って、喜び合っている。
 それをフェンス越しに眺めていた僕に気がついたらしく、彼女は「また覗き見?」と、僕に向かって言った。
「甲斐くんのむっつりスケベ」
 桂花さんは周りの女子部員と、僕を見て笑った。僕は流石にムッとして、必死に否定する。それを見た桂花さんは、「ごめん、ごめん」と謝った。
「じゃ、またね」
 彼女は笑って手を振った。その笑顔に、僕はこれからも翻弄されるらしい。雨が次第に弱まり始める中、僕はグラウンドを背にして駐輪場へ歩き始めた。

(完)

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