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2231(仮) 第二六話

 正面に見えるステンドグラスや、脇に見える立派なパイプオルガンが、独特の雰囲気を作り上げている、チャルカ教の礼拝堂へやって来た。中には、僕らの他に、教会へ心身の安全を委ねに来た信者や関係者らしき親子、家族の姿もある。
 米利刑事らのパトカーによって連れてこられた時は、チャルカ教を糾弾する集団が集まり、シュプレヒコールを上げていた。警察によって厳重な警備が敷かれ、直接的な暴力行為に発展する芽は摘まれていたが、時折空き缶や空瓶を投げつける人たちもいた。
 礼拝堂の中にも、警備のために制服警官が部屋の四隅に立っている。ここに来る方が安全なのか、そうでないのかは簡単に答えが出なかった。
 僕らを礼拝堂の中まで案内すると、米利刑事は念の為にと織林刑事を置いて、自分は夢洲署へ戻っていった。僕らが頼んだ捜査に戻るらしい。一人置いて行かれた織林刑事は、礼拝堂の片隅で長椅子に身体を預け、うつらうつらと一人、舟を漕いでいる。
 礼拝堂で僕らを待っていたのは、グレゴール十八世だった。一度その姿を目にしていても、サイズと異様な姿に正体不明の畏れが全身に満ちてくる。
「ようこそおいでくださいました」
 彼は以前と変わりなく、くぐもった合成音声で言った。
 外はいつの間にか雨が降り出したらしく、窓には水滴がつき始めた。表のシュプレヒコールが若干小さくなり、グレゴール氏の声でも聞き取りやすくなった。
「早速、再協議に臨まれますか? 融和の父たるアナタには、その資格がある」
 多少はそのつもりで来たのに、いざそれを目の前に突き出されると、躊躇してしまう。資格があると言われても、自覚も自負もない。駿や桂花さんの突き刺すような視線をやり過ごしつつ、質問を考える。
「融和というのは、種の垣根を超えて子を成せるという意味ですか?」
 グレゴール氏はゆっくり頷いた。
「そして、その子も新たに子を成せる。そうでなければ、真の融和たり得ない」
 グレゴール氏に言われて、ハッとする。子供を作れない単なる雑種なら、これまでにもいたのかもしれない。新たな種が新たな種として繁殖できること。その条件を満たせるのが、僕と桂花さんの組み合わせ。
「アナタの言う、赤と白の兄弟に、僕らが融和をもたらすと確信したから、例の発表をしたんですか?」
 グレゴール氏は再びゆっくり頷いた。
「その結果、今回のような対立や騒動、リセットの発動条件が揃うかもしれない状況を招いたとしても?」
 グレゴール氏は三度頷いた。
「人はそれほど愚かではありません。困難も対立も、いつか乗り越えていきます。作られたもの、紡がれたものの可能性を信じましょう」
「夢物語が過ぎるぜ、おっさん。乗り越えられなかったから、今まで、隠して来たんだろう?」
 横から駿が口を挟むと、周囲にいた他の人たちが彼へ視線を集めた。
「平和のための尊い行為だ」
「何が尊いだ。都合のいい偽善じゃねぇか」
 信者と駿の言い合いがヒートアップしかけるのを、桂花さんが無理やり止めた。駿は冷静さを取り戻し、不貞腐れながら乱れた衣服を整える。
「アナタ方は、真実を得ました。アナタは資格も有しています。改めて問います。再協議を望みますか?」
 グレゴール氏は、途中のやりとりなどなかったかのように、さっきから僕のことをじっと見続けている。淡々と僕を見るその目に萎縮して、返事を躊躇っていると、グレゴール氏は「おや?」と言った。
「アナタより優位の有資格者が居ましたか」
「僕より優位の資格者?」
「ええ。それも、お一人ではないようだ」
 突然の出来事に一人で困惑していると、側にいた教団関係者の男性が、歩み出た。
「再協議の申請が可能なのは、最上位資格の保有者、一名のみとなります」
「つまり、僕がいま申請しても、再協議はできない?」
 補足説明をしてくれた男性と、目の前にいたグレゴール氏が頷いた。
「再協議、もしくは無期限の凍結がお望みなら、その者をお連れ下さい。門戸はいつでも開いておきます」
 グレゴール氏の言う「その者」が誰かも分からないまま、彼は話は終わりだとばかりに一歩下がった。さっき捕捉してくれた男性は、少し申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、「お引き取り下さい」と手で合図した。奥の部屋へ移動しようとするグレゴール氏を手伝うべく、そちらに近付く。
「わざわざ呼び出しておいて、何だよソレ」
 駿は周囲の目も気にせず、悪態をついている。その気持ちはよく分かるが、ここでそういう態度をとり過ぎるとどうなるか、分かったもんじゃない。次の目的地も決まっていないけど、さっさと織林刑事を叩き起こして移動した方が良さそうだ。
 駿と桂花さんとを伴って、礼拝堂の後ろの方へ歩いていると、外へ通じる扉が開いた。少し強くなってきた雨が、開いた場所から内部に吹き込んでくる。近くにいた人たちは、雨に濡れないよう、少しでも奥に入るべく移動する。
 扉の開いた音、あるいはよく聞こえるようになった外の物音に、織林刑事は目を覚ました。彼女の視線の先には、随分古そうなレインコートを着た警備ロボットが一台、ずぶ濡れのまま立っていた。
「ちょっとアナタ、何やってんの? 扉を閉めなさい」
 警備ロボットの向こうには、今にも流れ込んで来そうな民衆と、ソレを食い止める制服警官の姿が見える。雨粒だけでなく、中にいる人の安全確保の観点からも、扉は閉めておくべきだ。
 織林刑事の命令に、警備ロボットは耳を傾ける節がない。彼は、グレゴール氏をジッと見据えたまま、何やら呟いている。
「危険物を発見しました。排除します」
 壊れたラジカセのように、何度も何度も同じフレーズを繰り返す。急に音声が途切れたかと思いきや、彼は一目散にグレゴール氏へ駆け寄ると、誘導棒を振りかぶって叩きつけた。グレゴール氏は、付き人の男性を突き飛ばし、力一杯に振り下ろされた誘導棒をその身に受けた。
 礼拝堂の中は一気に騒然となり、四隅にいた警官は、中にいた市民を守るべく誘導に当たった。織林刑事も、僕らのことを後回しに、周囲の指揮を取った。僕らはひとまず扉を閉め、鍵を下ろした。
 グレゴール氏に暴力を振るった警備ロボットは、誘導棒を持っていた右腕を損傷し、誘導棒は粉々に砕け散っていた。それっきり動きを停止していたが、制服警官の一人が安全を確保しながら徐々に接近し、背中にある動力ユニットを完全に破壊した。
 グレゴール氏に突き飛ばされた男性は、慌てて彼に駆け寄った。しっかり胸の中に抱きかかえ、グレゴール氏の消息を確認する。止むに止まれず、僕と駿もそちらに近付いた。
「大丈夫ですか?」
 恐る恐る、グレゴール氏を覗き込む。どうやら頭部の外装に損傷があるようだが、それ以外はさっきまで喋っていた時と何ら変わりないように見える。付き人の男性も不安そうな表情を浮かべていた。
 しばらくそうやっていると、グレゴール氏のベネチアンマスクの下に光が灯った。ゆっくりと顔を周囲に向け、付き人の支えを借りながらゆっくり身体を起こす。
「大丈夫ですか?」
 僕は再び、同じ言葉を発した。グレゴール氏は、ゆっくり頷く。
「ただ、今の一瞬で協定違反が確認されました。二十四時間後にリセットが発動します」
「そんな、急に」
 慌ててケータイを取り出し、時刻を確かめると、今は六月二二日の午前七時五八分三九秒。明日の午前八時前には、ピューパが起動する。
「止める方法はないんですか?」
「止めるには、有資格者による再協議の申請か、協定の無期限凍結のいずれか。ただし、無期限凍結は、有資格者の再協議放棄が条件です」
 グレゴール氏の説明は、要領を得るようで全くもって要領を得ない。
「有資格者って、誰なんですか?」
「賢明なアナタなら、もうお分かりでしょう。父より優先される資格者が誰なのか」
 随分もって回った言い方をするが、要するに融和そのもの、子が該当者か。見つけるためには、真境名を探す必要がある。
「無期限凍結の申請方法は?」
「月が南中に差し掛かる時、ジグラットの尖端で有資格者の証を掲げなさい。申請が間に合えば、リセットの執行が停止されます」

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