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Vol.22 日本らしさを考えてみる 10

タイトルからもタグからも離れて、ただの当てこすり、言いたいことを好き放題にぶちまけるため、一定のテーマを持った上で話題を区切るための方便として来た本シリーズも、多分この第10弾で一区切り。今回は、福沢諭吉と夏目漱石がらみの話題をやっておきたかったので、『自立が苦手な人へ』をネタにする。

長山靖生著 『自立が苦手な人へ』(講談社現代新書)

サブタイトルは、「福沢諭吉と夏目漱石に学ぶ」

初版は2010年6月20日。「戦後の日本人」や日本人の精神史を考える上で、なんとなく「福沢諭吉」と「夏目漱石」とを取り上げて見たかったので、両者について「自立」というテーマで取り上げ、様々な角度で比較していた本書を手に取ってみた。

とはいえ、肝心な「福沢諭吉」に関する話題、「夏目漱石」に関する部分は文量的にそれほど多くはなく、後半は割と持論を展開、その補強や話をするネタに、福沢諭吉や夏目漱石に触れているという印象。彼らがどんな時代に生きていたか、どんなことを語っていたかは割と取り上げてくれているので、そこを学ぶだけでも悪くはないのかな?

この手の書き手に多い、やや左っぽい畑の人にも思えるので、そこら辺は多少なりとも角度がついている、この人のバイアスがかかって語られているというのも、読む前に少し抑えておいた方がいい?

また、別の記事、別の表現でまとめようと思っていた、「どう働くか」「どう商売するか」に関しても、半分くらい本書で書かれていたように思うので、当該記事を待てない方、真っ当な方の書かれた分かりやすい文章の方がいい方、裏打ちのあるテキストの方がいい方はこちらを読まれた方がいいかもしれない。

そこは今回語りたいポイントではないので、あくまでも「福沢諭吉」と「夏目漱石」というところに的を絞って、考えを綴っていきたい。

江戸から明治の福沢と、明治から大正の漱石

1世代違う、自立した変わり者

福沢は1835年、大坂生まれ。漱石は1867年、江戸生まれ。福沢は適塾の塾長になったエリート、漱石も英文学を学ぶためにイギリスへ国費で留学している、エリート。主に活躍する時期はそれほど重ならず、1世代30年とすると見事に1世代の隔たりがある。江戸末期の学問を知り、明治維新で諸外国を見て回り、政治や経済、哲学に大きな影響を与えながらも、終生民間の学者として一生を終えた福沢諭吉。富国強兵を掲げて列強の仲間入りをしていく日本、日清戦争や日露戦争をその目で見ながら、海外では日本人、アジア人がどう見られているかも肌で感じ、教壇に立ちながら小説を書いていたのが夏目漱石。

人格や思想を形成するまでの背景も大きく違う二人ではあるものの、流されがちな一般的な日本人とは異なり、あえて空気を読まない頑固者、周りからどう見えるかよりも自分はどうありたいかを追求したという点では、共通項が多いように思える。

一方で、1世代前の福沢が備えていた異様とも思えるタフさを、漱石からはあまり感じられないのはなぜだろう? そこに、どんな差があって、何が違ったのか。それが気になって、考えを巡らせつつ、本書から得たヒントも織り交ぜて思考を展開していこう。

明治以前をたっぷり備えた上に、まっすぐ育った福沢諭吉?

生家が没落していく様を見せられたり、複雑な幼少期を過ごした漱石とは、そもそもの土台が違う?

下級とはいえ武士の家に生まれた福沢。心身ともにそもそもタフだっただろうし、明治以前には普遍的にあっただろう、江戸末期(開国以前)の日本的な教育もたっぷり注ぎ込まれていたのだろう。そこには、修験道的なものまで行かなくても自然と向き合う時間もあっただろうし、禅も生活の中にあったんじゃないだろうか。

なんとなく「実学主義」、「役に立つ学問優先」のイメージが強い福沢だけれども、そこには当人はたっぷり「そうでないもの」も学んでいた、学ぶ意識すらないレベルで身体に染み込ませていたように思える。当然、武士であれば身体的な稽古、修行も明治維新後の平民よりはしっかり叩き込まれていただろうから、頭だけでなく「身体で考える」ということも当たり前にやっていたのではないだろうか。

「時代の違い」や「生活の違い」はあったとしても、文学や芸術の領域、哲学といった部分で福沢や漱石の間にそれほど大きな差があったようには思えない。漱石が特別に身弱だった、丈夫ではなかったとは思わないものの、学者以前に「武士」として過ごしていた福沢はそもそもタフで、そこに「明治以前」というか「江戸の残り香」みたいなものも合わさって、精神的なタフさ、異様とも言える真っ直ぐな思考、精神を身につけるに至ったのだろう。

その点、漱石は近代人や現代人、東京で生きる人として、厳しい現実や人間の卑屈な部分、醜い部分も敏感に感じ取るようになったのだろう。育ち方からして繊細になるのは目に見えているし、時代の変化や為政者、進歩的な知識人の決定に肯定一辺倒になれなくなるのも、分かる気がする。人間や人間の欲、現代社会に対してシビアな目を向けるのも致し方ないというか、当然という他ない?

STEMな福沢、STE”A”Mな漱石

「役に立つ学問」で社会が発展すれば、人も成長すると考えた?

次世代型の教育として取り上げられている、STEM(サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、数学)教育。そこに、アート、芸術を加えたのがSTEAM教育。古典や教養の有用性、階級を維持するための装置としての無用さを知っていた福沢は、「まずは稼げること」を掲げて、「役に立つ学問」実学を優先した。

性善説に立っているのか、あるいは自分が純粋で孤高の精神を養っていたのを忘れていたのか、「衣食足りれば礼節を知る」かのごとく、「富国強兵」を掲げる明治維新後の社会、西洋列強に追いつくためにとにかく社会発展を優先させたかった時代とも噛み合ったのか、アート、芸術を抜きにしてもそのうち学ぶようになると考えていたようだ。

しかし、のちに漱石が見抜くように、人間はそんなに崇高な生き物でもなければ、孤高の生き方を貫けるような自立性、独立できる育ち方、そういう環境を構築するには至れなかった。江戸時代の末期に身につけただろう「かつての日本らしい教育」も失われてしまえば、「中身」も「自然との関わり」も「答えのない問い(を考える習慣)」も無くなっていく。

福沢が徹底しきれなかった「脱亜」も問題だ。民間の学者で居続ければ、権力から距離を保ったまま自由に意見を述べることもできるし、自由に研究することもできる。それは確かだろうが、能力のある人がその役割を果たし切らなければ、「良くなったかもしれない可能性」は簡単に吹き飛ぶ。

福沢のような人物が、外野のままで政治や経済の中枢に携わらずに言いたい放題いうだけ、民間の学者として見解を述べるだけでは、世の中は何も変えられない。そこにいる民衆の精神性なんて、言わずもがな。福沢はきちんと実務者になって、辣腕を振るうべきだった。その上で、『学問のすゝめ』の真意、「実学主義」に隠した考えもきちんと述べていく、叩き込んでいくようにしなかった責任は大きい。

福沢がその地位を得たのも、影響力を発揮したのも、収益を得たのも、「実学」とは違うところ、本人が遠ざけようとした「文化的価値」の高い部分、アートやリベラルアーツの部分から出発した要素、実学の先にある道楽に近い学びの部分であるように思う。政治や経済に関する哲学の部分、精神修養のための教養の部分、それらを彼の中で昇華させたものが、福沢を大人物にさせたはず。

そのくせ、そうやって得た名声、知見で収入を得ること、高給を得ることを嫌がった。これでは、他者に奨励、推奨していることと全く噛み合わない。その辺りの不誠実さ、無責任さは、日本国に対する裏切り、民衆に対する背徳に近いのではないか。せっかくの有能さ、思想の素晴らしさもこの有様では、何の役にも立たないではない。

その点、漱石はやはり小説家、文学者として芸術の重要性、道楽と言われようと「自分が追求したいと思うこと」の重要性、それに従事する大切さを説いている。稼げないかもしれない、禅僧のような暮らしぶりになるかもしれないが、銭を稼ぐために品性まで落とすような行為は避けろというスタンスの方が、よっぽど誠実じゃないかと思ってしまう。

福沢の功績は大きいのだろうが、その分、果たさなかった責任、成し得なかったことに対する罪というのも決して小さくはない。

当時のベストセラーで、実学を推奨しすぎたのも罪

「どう作るか」、「どう儲けるか」ばかりが、民衆に広まってしまった

学生時代に学んで良い表現だなと思ったのが、「哲理工経」。STEAMみたいなもので、哲学、理学、工学、経済(or 営)学の頭文字をとった用語。日本人はどうも、工学と経済(営)学の部分は得意だけれども、哲学や理学は不十分だ、と。

その理由、そうなる仕掛けを作ったのは、明治のベストセラー『学問のすゝめ』、すなわち福沢ではないだろうか。彼は、「実学」を推奨し、どんな商売であっても身を立てること、稼ぐことを奨励した。その結果、個人の欲望が社会を発展させていく、列強に追いつくこと、富国強兵に少しでも近づける、と。

しかし、福沢は大きな間違いを犯した。生活が豊かになり、社会が発展したところで、人間は内面を磨くように成長しない。福沢が信じたほど、ピュアな人間はそんなに多くならなかった。その結果、たった1世代後の漱石ですら、そういう風潮に疑問を呈する、距離を置こうとしている。

福沢のもう一つのミスは、彼自身が素晴らしい思想家、哲学者であり実学を極めた人だったこと。日本人の職人が得意な「手先の器用さ」や近江商人らが得意とした「どう稼ぐか」だけでなく、哲学の部分も、理学の部分も、様々な訳語、日本語をひねり出すぐらい十分に理解しすぎていた。

こうなると、「できない人」のことは分からない。自分は当たり前に身につけている(と予測する)「武道(やそれをする身体)」、「自然と向き合う、触れ合う習慣(=修験道的な要素)」、「禅(問答)」。それから数々の教養、実学。「日々稼ぐため」以外に必要なこと、備えておくべき要素を持ちすぎていたから、「持たざる人は、何をしなければいけないか」が分かっていなかった?

「できる人」向けの私塾、できる人の可能性を秘めた人を集めてくる装置を用意できたとしても、圧倒的多数の「そうでない人」を相手に、当時の10人に1人が読んだであろう『学問のすゝめ』を活用することができなかった、少々誤った方向、甘い見方で変な誘導をしてしまったことも、今からすればもう少し責めたって良いんじゃないかと思ってしまう。

「手先の器用さ」や、「いかに儲けるか」をとことん磨いて、それだけを再生産するような社会にしてみたところで、十分に豊かな社会なんてやってこない。哲学、中身の問題や、どうやって実現していくかという基礎科学の部分にも力を入れないといけない。そうなりにくい、「哲理工経」の哲理が弱くなるのは、『学問のすゝめ』の負の影響が大きすぎるのではないかと思えてならない。

これからの最重要は、「哲学」と「アート」

「自分」を磨く、「自分」を自由にすること、精神的に自立させることが最重要

つまり、文学やリベラルアーツ、福沢が後回しにしようとした、「役に立たない学問」が、「一身独立」には不可欠。精神的な独立、自立をするには欠かせない上に、日本らしさ、自分ならではの強みや在り方を見極めるには避けては通れない部分。それなのにも関わらず、いまだにSTEAMから「A」を抜いたSTEM教育、実学優先のスタイルを取ろうとしている。

外側を強化する、理系の頭で科学的に考える力を伸ばすことも大切だが、それをどう活用するか、「そもそも自分は何がしたいのか」を考える、自然と地続きの存在として、動物的な要素も切り離せない人間としてどう生きるのか、人と人の間で社会的な生き物としてどう関わっていくか、どう交流すれば良いか、どう表現すれば良いかを考える部分、中身の部分を十分に育てられなくて、何ができると言うのだろう。

目に見えるもの、文字や数字で表せるもの、経済的な価値に置き換えられるもの、ほかの何かに置き換えられる記号的なもの、代数的なものばかりになっていって、暮らしやすい世の中がやってくるだろうか。私は全く、そう思わない。

今までもこれからも、日本がどこか変なのは、アート、芸術、文学やリベラルアーツを置き去りにして、哲学を磨いてこなかったから。これだけ自然に囲まれていて、独自の美的感覚、古い文学も有している国なのに、自分たちでそれを無価値にして葬り去ろうとしているのは、さすがにそろそろ歯止めをかけないといけないのではないだろうか。

重要なのはアート、見えない部分。考える部分じゃなくて、感じ取る部分。動物であること、肉体を持っていること、感情を持っていること。そこをもっと大切にするよう、『学問のすゝめ』で触れておいて欲しかったなぁ。本当に……。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。 ただ、まだまだ面白い作品、役に立つ記事を作る力、経験や取材が足りません。もっといい作品をお届けするためにも、サポートいただけますと助かります。 これからも、よろしくお願いいたします。