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奈落の擬死者たち(仮) 第十二話

 ロジャーについて何かを喋るまで独房生活から抜け出せないと思っていたが、その日のうちに自宅へ送り返された。オレがどこへ行こうと牧や刑部さんの目がある上に、放っておいた方が都合がいいと判断されたのだろう。
 刑部さんが身元引き受け人として、オレを迎えに来てくれた。彼が守り抜いてくれた自宅兼オフィスへ、久々に足を踏み入れる。いつもは忌々しいこの底冷えが、今は非常に懐かしい。
 綺麗で明るい地下の穴蔵から、散らかり放題で薄暗い穴蔵へ。誰かと暮らすなら独房の方が好ましそうだが、個人的な精神衛生上はこちらの方がありがたい。適度に汚れたままを保ってくれた刑部さんに礼を告げると、彼は長居せず、自分の仕事へ戻って行った。
 デスクの固定電話には、牧からの留守電が入っていた。「街」で敵に回って以来、オレは着信拒否を貫いていたが、それでもオレに連絡を寄越すとは。オレは留守電を無視し、溜まっていた郵便物とメールを処理し始めた。
 大半はしょうもないDMや、付き合いで送られてくるお知らせの類。わざわざ目を通すほどのものは一つもない。
 牧という太いパイプを一本失ってしまった状況で、このメールボックスは少々キツい。早急に、次の仕事を何とかしなくては。とはいえ、誰に連絡して、何から手をつけたものか。営業活動なんて、久々すぎて何をやればいいか、全く思いつかない。
 オフィスの扉がノックされた。あの扉が鳴ったからと言って、仕事だと喜び勇んで開けない方がいい。こんなところに、向こうから来る仕事なんて碌なもんじゃない。
 ノックなど気のせいだと決め込んで、目の前の悩みに向き直る。端末のモニターを睨んでいると、再びドアが叩かれた。流石に気のせいではないようだ。オレは「はいはい、今開けますよ」と椅子から腰を上げ、ドアの側まで歩み寄った。ドアノブに手をかけ、扉を開けると、そこには大人しそうな雰囲気の、地味めな女性が立っていた。
 彼女はオレがドアを開けるなり、オレが招き入れるのを待たず、「失礼します」とオレを押し退けながら、勝手に入った。顔の印象も含めて、全体的に丸みを帯びた風貌からは想像も付かない動きに、オレは少々驚いた。
 そこらの主婦か、どこかのオフィスで事務員でもやってそうな地味な風貌。身のこなしにも、どことなく上品さが漂っている。背丈も身体付きも、目を引くような特徴は見当たらない。
 彼女は、オレの視線など気にすることなく、二、三歩踏み入ったところで立ち止まり、オフィスの中を眺めている。ウチにもいつか余裕が出たら、彼女のような秘書、助手を雇い入れたいものだ。
 オレは両手の指でフレームを作り、彼女を真ん中に入れながら画角を考える。あまりにも自然な光景で思考停止していたが、余所者が入り込んで眺め回していい場所ではない。オレは彼女に、「ちょっと、アンタ」と声を掛けた。
 彼女は振り向きもせず、部屋の隅から隅へ視線を走らせる。彼女に近寄ると、香水でも着けているのか、甘い香りが鼻をついた。匂いに気を取られたオレは首を振り、頭をハッキリさせる。
「勝手に入られちゃ困るよ」
 オレは彼女の前に立ち、顔の前で手を振った。彼女は少々驚いた様子でオレを見つめ、何かを悟ったように、小さく頷いた。
「流石ですね。この程度の神経毒じゃ、ダメですか」
「神経毒?」
 彼女の言葉をオウム返しすると、腹に強い衝撃と痛みが走った。徐々に熱を帯び始めた痛みの正体を確かめたかったが、身体が満足に動かない。オレはその場に横たわった。床に倒れたオレを彼女は安心した表情で見下ろすと、今度は手と足を動かして部屋の中を探り始めた。
 オレは床に顔を擦り付けながら、彼女の動きを注視した。首も動かしたかったが、目を動かすのが精一杯だった。声を出して注意することもままならない。だんだん視界がぼやけ、意識も薄れていくーー。

 意識を取り戻した時には、彼女はオレの顔の前でしゃがんで、顔の前で手を振った。左手はスカートの裾を押さえている。
「あ、気が付きました?」
 彼女はオレの顔を覗き込んで、パッと笑顔を見せた。
「流石に高性能ですね。毒は相性最悪か〜」
 彼女はケラケラと笑いながら、応接スペースのソファに腰を下ろした。いつの間に入れたのか、来客用のカップでコーヒーを飲んでいる。
 オレはゆっくりと身体を起こし、発声練習代わりに「毒?」と呟いてみた。声は何とか出たらしく、彼女はニコニコと笑ったままこちらを見ている。
「一体、何の話だ? 客じゃないなら、さっさと帰ってくれ」
 オレはまだ痺れが残る身体で、彼女の向かいに座る。痛みの元を確かめると、腹には小さな刺し傷が残っていた。大きめの注射針でも刺さったような傷跡は、すでに塞がりカサブタと化している。
「用が済んだら、帰りますよ。私も暇じゃないので」
 彼女は、華奢な腕時計に目を落とした。その腕時計も飾り気が少なく、文字盤が小さなキャラクターもののようだった。彼女はゆったりとコーヒーを啜っている。
「用事はもう、済んだだろう?」
 オレは、彼女の手によって散らかされたオフィスを振り返った。最も、元から散らかり放題の場所だ。どこがどう変わったかなんて、オレにすら分からない。向かい合って座る彼女は、首を振った。
「ボスの置き土産はどこかしら?」
「ボスの置き土産?」
 オレは彼女の言葉を繰り返すが、そのフレーズに思い当たる節はない。
「アンタのボスが、どこの誰かも分からない」
「本当に?」
 彼女は小首を傾げ、微笑んだ。何やら含みを持たせた笑いに、オレは再起動したばかりの頭を働かせる。今までのやり取りから察するにーー。
「ああ、そちらさんか。オタクは人材も能力も多様だねぇ」
 オレの言葉に、彼女はニコニコと嬉しそうにしている。いつぞやの小僧が無理やり置いていったアタッシェケースなら、その辺に置いてあるはず。あらゆる収納を引っ掻き回したらしい彼女に、見つけられないとは思えない。
「例の金なら、その辺に有っただろう。好きにしてくれ」
「見つからないから、聴いてるんだけど……」
 見つからない? そんなはずはない。アイツが置いていった日から、ほとんど触ってもいないのに。オレは散らかされたオフィスを振り返るが、それなりに目立ちそうなアタッシェケースの影も形も見当たらない。
「なかったか?」
 オレの言葉に、彼女は頷いた。オレは思わず頭を抱える。散らかり放題の自宅兼オフィスではあるが、何かの不注意でなくなるような書類や小物とは訳が違う。何者かが盗みにでも入らない限り、なくなるとは思えない。
 十分に気を配っていたつもりだが、手抜かりがあった。
「オレの不注意だ、スマン。で、済む話じゃないよな?」
 顔を上げて彼女の様子を伺うと、彼女はゆっくり頷いた。
「どう詫びればいい?」
「耳を揃えて返すか、依頼を受けるか……」
 アタッシェケース一杯の金なんて、期限がいくらあっても返せるとは思えない。オレはダメ元を承知で「必死に探すっていうのは?」と尋ねてみたが、即座に首を振られた。
「どちらも断るなら?」
「交渉決裂。あとはよくご存知でしょう?」
 オレは、さっき腹に食らった一撃を思い出した。アレは、神経毒でも少々刺激の強い、麻痺毒か。毒は相性が悪いとぼやいていたが、無効なら無効で対策を立てて次の手を打ってくるだろう。溶血毒なら、分が悪い。
 ネコババするつもりは毛頭ない。割のいい悪いはあっても、仕事はキッチリこなさねば気が済まない方だ。金の出どころが何であれ、人の金を黙って懐に入れるような生き方はしたくない。
「必ず見つけ出す。しばらく待ってくれ」
「そんな話が通じると思います?」
「思わないが、それ以外は飲み込めない」
 オレが突っぱねると、彼女は「あら、そう」と呟いて押し黙る。先の展開は予想していたが、こんなところでおっ始めるつもりなら、話が違う。オレは彼女に「ちょっと待て」と声を掛けた。戦闘モードに入りかけていた彼女は、白けた顔でこちらを見た。
「殺り合うのは構わんが、場所を変えよう。ここには大事な書類もある」
 オレが必死に頼み込むと、彼女はため息をついて、「仕方がないわね」と飲み込んでくれた。オレは彼女をオフィスの外へ追いやり、出かけるための準備を整えた。不注意で盗みに入られたばかり。二の足を踏まないよう、しっかりドアに鍵を掛け、表で待たせていた彼女を伴ってビルの外、地上へ出た。

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