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2231(仮) 第十二話

 今日の放課後も、駿の都合に合わせてキャッチボールに付き合う心算でいたら、校内放送で呼び出しがかかった。職員室まで来いと言う。掃除当番を終え、帰り支度を整えて職員室へ向かった。
 職員室から応接室へ通されると、母さんと織林刑事が待っていた。荷物は母さんに預けて、織林刑事と共に警察署まで着いて来いと言う。
「夕方にはお返ししますので」
 織林刑事の申し出に、母さんは「遅くなっても構いません」と応えた。彼女は、「遅くなるなら、連絡するのよ」と言い、弁当その他を手に応接室を先に出た。母さんを見送ってから、校内を通って駐車場へ向かう。
 道すがら、クラスメートや他の生徒に見られるのはちょっと恥ずかしい。並んで歩く織林刑事は、堂々と胸を張って姿勢良く歩を進めるが、僕は何となく身体を小さくして歩いた。
 昼過ぎから二時間ほど降っていた雨は弱まり、もうほぼ上がったも同然に思える。駐車場まで来ると、覆面パトカーらしき車が停まっていた。その横で、携帯灰皿を片手に米利刑事が紫煙を燻らせていた。彼はいつものように、「よう」と手を挙げた。
「もぉ〜。こんなところでタバコ吸わないでください」
「硬いこと言うなって。学生も来ないだろ」
 米利刑事は吸殻を携帯灰皿に納め、流れるように助手席側のドアを開けた。不満そうな織林刑事に、顎で運転席を示す。
「あ、僕は……」
「ああ、ごめんなさい。気が利かなくて」
 織林刑事が、運転席の後ろのドアを開けてくれた。何から何までやらせてしまったようで、申し訳なくなる。乗り込んだ後のドアまで彼女が閉めてくれた。
 先に乗り込んでいた米利刑事は、僕がシートベルトを締めるのを待ちながら、紙製のバインダーを差し出した。
「署までちょっとあるからな。車内で読めるか?」
 僕は渋々受け取りながら、曖昧に応えた。
「無理なら無理でいいぞ」
「ちょっと先輩、あんまり若い子虐めないでもらえます?」
 運転席に乗り込みながら、織林刑事が茶々を入れた。
「虐めるなって言うなら、お前が迎えに行くなよ」
「え〜。強面のオジサンより、お姉さんの方が嬉しいよね?」
 織林刑事は、チェックを兼ねてバックミラーでこちらの様子を探る。彼女の視線をそれとなく交わしていると、車がゆっくり動き出した。
 僕は米利刑事に手渡された資料を開く。
「思春期で気になるのは、豊かな膨らみだけだろ。中途半端なちんちくりんが来たって、妄想も捗らねえよ。なぁ、青少年?」
 米利刑事は軽口を叩きながら、窓を開けてくれた。雨上がりで少しひんやりする空気が、俯き加減の心身に心地いい。やっぱり資料は後で見るようにしよう。前でやりとりされている話は聞こえないフリをして、顔を上げる。
「一緒にいた娘は細かったけどなぁ」
「現役女子高生と一緒にすんなって、言ってやれ」
 側から見ている方がソワソワする勢いで、二人のラリーが続いている。話のきっかけが自分にあると思うと、余計に気まずいし、深入りしたくない。織林刑事が、「ドラレコもあるんですからね」と圧をかけている間に、覆面パトカーは夢洲署へ到着した。
 一足先に降りた米利刑事が、グルッと回ってドアを開けてくれた。気持ち悪いぐらいの接待に、渡された資料を車内に置き忘れそうになる。米利刑事が指差すそれをしっかり握って、パトカーを駐車しに行った織林刑事を待たず、中へ案内される。
 僕は後ろを少し気にかけながら、先導する米利刑事の後を追う。今まで通された取調室とはまた違う部屋に向かっているらしい。前を向いて、廊下を歩きながら、米利刑事は口を開いた。
「今朝の騒動は知ってるな?」
 チラリと見られて、答えに迷う。彼は「詳細までは、知らなくていい」と言った。それならと、頷いた。
「声明文のいずれも検証中の立場だが、治安維持の観点で捜査の継続が認められた」
 夢洲署の奥、署長室と書かれた部屋の立派なドアを、米利刑事は三回ノックした。彼は返事も待たずドアを開け、「失礼します」と中へ入った。ドアの外で躊躇う僕に、中へ入れと顎で示す。
 奥のデスクで、深々と椅子に座っている制服姿の男性を、「西日署長だ」と軽く紹介するなり、その手前にある応接スペースにどっかり座った。間に資料が積まれたテーブルを挟み、入口から遠いソファを勧められる。
 西日署長は僕をチラリと見て、「よろしく」とメガネをずらして片手を上げるだけで、自分がさっきまで目を通していた書類に視線を戻した。机の両サイドに、山のような資料が積み上げられている。こんな時代でも、承認待ちの書類が後を立たないらしい。
 僕が恐る恐る米利刑事の向かいに座る頃には、織林刑事が当たり前のように署長室へ入って来た。米利刑事の隣へ腰を下ろした。
 米利刑事は、僕に持たせていたバインダーを拾い上げると、資料の一番上に置き、該当ページを開いて資料の右下を指差した。
「見覚えは、あるな?」
 どちらが出した声明に関する資料かはまだ掴めていないが、彼が示しているマークは、この数日何度も目にしている。細長い長方形と、雷のマーク。
「バベルの塔は、街と表されることもあるらしい」
 聖書には、「バベルの塔」という表現では現れず、別の書き方がなされているというのは、この間自分でも読んだ気がする。
「バベルの塔の大筋は知ってるよな?」
「天まで届く塔を作ろうとして、神の怒りに触れた」
 米利刑事は小刻みに頷きながら、「そうだ」と言った。
「技術革新に対する戒めとする説もあるそうだ。そんな連中が、意思疎通を阻害されて散り散りになった。バベルの塔を表す記号を持って」
 高い技術を有する連中が、「街」を名乗って、陰に日向に偏在している。決して目立つことなく、確かな存在感を示しながら。
「チャルカ教と連中の関係は?」
「コインの裏表ってところかな。それ以上は」
 米利刑事は、両手を上げて肩をすくめた。
「これを調べ始めたら、ストップがかかったんですよね。捜査を継続してもいいんですか?」
 僕は横目で西日署長の方を見た。彼は欠伸を噛み殺しながら、書類を近づけたり遠ざけたり、メガネをつけたり外したりを繰り返している。
「問題はここだ」
 米利刑事の指が、マークの少し上を指した。カルワリオ協定に基づき、違反を検知した際はリセットを執行する、と書かれていた。
「カルワリオ協定とか、リセットとか、何なんですか?」
「全く分からん。そこまでアクセスする権限はないらしい」
 米利刑事は、「ですよね、署長」と大きめの声で言った。西日署長は「そういうことで、よろしく」と軽い調子で返す。
「何を意味するかは分からんが、治安維持命令が出た」
 朝の緊急特番をよく聞いておけばよかった。米利刑事の言いたいことがイマイチ分からない。ただ、街中の様子とか、教室での出来事を鑑みるにそうすべき理由はよく分かる。
「平たく言えば、仲良くやれよっていう脅しっぽいんですけどね」
 米利刑事の隣でおとなしそうに、資料をパラパラとめくっていた織林刑事がボソッとつぶやいた。
「双方の言い分が正しければっていう前提の上ですけど」
「正しくなくても何かが起こる可能性があるなら、警察としては市民の安全を守るために尽力しなきゃならない」
「内部の追及、情報開示は許されないのにやれることをやれ、と」
 米利刑事は「そういうこと」と頷いた。
「無茶苦茶だよなぁ、全く」
 ソファの背もたれに身を任せ、どっかりと座り直した彼の言動が見えない、聞こえないはずはないのに、西日署長は微動だにすることなく、次から次へ書類チェックに勤めている。
「で、僕が呼ばれた理由は?」
 警察の治安維持、チャルカ教とザ・シティのやり取りに、一人の男子高校生が協力、介入する余地はなさそうに思える。米利刑事は織林刑事に何やら目配せするが、彼女は全く気がつかず、マイペースに資料をチェックしていく。米利刑事は仕方ないといった様子で立ち上がり、「コーヒーもらいますね」と戸棚の前で怠そうに宣言した。
「君はどうする?」
「あ、私は緑茶」
 米利刑事は、「お前は自分でやれ」と織林刑事に言い捨て、僕の方を見直した。僕も彼と同じコーヒーにしてもらう。二人分のコーヒーと、織林刑事の緑茶を入れてテーブルへ戻ってきた。
「一旦情報を整理すると、我々が直接、ザ・シティを調査することは難しい。治安維持と、真境名の足取り、過去を探ることはできる」
「警察でもできないことをやれっていうんですか?」
「危険なことはもちろんやらなくていいし、君のご家族や君自身の身の安全は、我々がちゃんと保障する。君は、君にできることをして欲しい。必要なら、いつでも声をかけてくれ。いくらでも協力する」
 立場上できない事情があるとして、警察や大人にできないことを、僕にできるとはとても思えない。何をやればいいのかも、今ひとつ見えてこない。
「大勢の命に関わることかも知れない。改めて、協力して欲しい」
 米利刑事は居住まいを正し、頭を下げた。マイペースだった織林刑事も、タイミングを見計らっていたのか、同じように椅子に腰掛けたまま深々と頭を下げる。
 できることなら協力はしたい。幸い、協力できそうな環境も整っている。真境名は僕を舞台の主演に据えようとしていて、それを拒むことはできそうにない。コレも、彼の筋書き通り、なのだろうか。
 明確な答えが出せないまま、目の前の大人二人はじっと頭を下げている。
「ちょっとだけ、時間をもらえませんか?」
 僕が二人にそういうと、彼らはややあって頭を上げた。
「お茶も入ったことですし、ちょっと、休憩しませんか?」
 織林刑事の言い方に、米利刑事は何か言いたそうだったが、途中で言葉を飲み込んだらしい。彼女に同意して、休憩することになった。解散でも解放でもなくーー。

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