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奈落の擬死者たち(仮) 第四話

 まだ飲み足りなかった俺たちは、野久保の気持ちが落ち着いた頃合いを見計らって、彼が置いていったと言うウィスキーを取り出して、いつから取り置いてたか記憶が定かでないミックスナッツを肴に飲み直した。
 それなりの度数というのも気にかけず、ひたすら盃を重ね、あっという間に一瓶飲み切ってしまった。オレはグラスに残った最後の一杯を、チビチビと舐めながら野久保の話に耳を傾ける。
「僕の話なんか、もう十分だろ。キミの話を聞かせてくれよ」
 野久保は随分と酔っ払った様子で、呂律も怪しくなっていた。
「オレに、誰かに語るような話なんてないさ」
「そんなことないだろ? 久しぶりに会う昔馴染みに、とっておきの話の一つや二つ。最近の仕事の話でも構わないんだ、こっちは」
「本当に何もないんだ。守秘義務もあるしな」
 オレは、野久保の追求をのらりくらりと交わした。彼は、「ちぇっ」と不満気に舌を鳴らした。
「こっちから一方的に情報を話しただけか。なんか、損した気分だな」
 野久保は椅子に腰掛けたまま、微妙にふらつき始めた。彼は舟を漕いでいるのか、それとも限界を迎えようとしているのか、どっちともつかない様子で、不規則なリズムで左右に揺れる。大きく右に傾くと、「お、そうだ」とデカい声を出した。
「キミの方はどうなんだ。買い戻しの進捗は」
 野久保は顔を上げ、オレの目を真っ直ぐ見据えた。コレなら、オレにも答えられるはず。野久保は無言でそう言っているようだった。オレは降参の意を込めて、両手を顔の横に上げた。
「全くダメさ。ちょっと稼いでも、養育費だの、ツケの支払いだのに消えて行く」
「私立探偵ってのは、そんなに稼ぎが悪いのか?」
「私立探偵ってのは、カッコよく言い過ぎたな。ただの便利屋だ。そんなに美味しい仕事ばかりじゃない」
 おまけに、雑居ビルの地下二階、空きテナントばかりの一角で事務所を開いていても、依頼はほとんど入ってこない。浮気調査やら、犬猫を含めた迷い人探しでは、手間がかかるばかりで儲けはほとんどない。
 ちょっと稼いだところで、娘の養育費と事務所の維持費でほとんど消える。手元に残る金額を考慮すれば、野久保の稼ぎとそれほど変わるまい。
「便利屋ってことは、汚れ仕事もやるのか?」
 野久保の問いに、オレは一瞬答えるのを躊躇った。彼はオレの様子を見て、「そうか。そいつは良くないな」と言った。
「オレは、どれだけ稼ぎが悪くても、子どもに誇れない仕事はしないんだ。たとえ二度と抱けなくても、手を汚さない自慢のオヤジでいたいんだ」
 野久保は、「どうだ、凄いだろ?」と誇らしげに言った。オレはそれに、「ああ、凄いよ」と答えた。
「どれだけ時間がかかっても、コツコツ稼いで、自分の目を買い戻すんだ。いつかきっと、自分の目で子どもの姿を目に焼き付けるんだ」
 野久保が興奮気味に話す姿を見ていると、昼間耳にした噂話なんて、とても切り出せない。せめて、噂の真偽が確定してから、シラフの時にちゃんと話そう。
 グラスに残ったウィスキーを、飲み干さないようにチビチビ舐めていたが、流石に限界を迎えた。オレは空になったグラスを卓に置く。すると、それが合図だったかのように、ケータイに通知が入る。半分寝かけていた野久保は、その振動音に身体をびくつかせた。
 オレは彼に、「悪い。仕事の連絡だ」と言った。
「こんな時間に?」
 彼はガラガラの掠れ声で言った。時計に目をやると、いつの間にか日付が変わっていた。オレは、「ああ、牧からでね」と答えた。
「牧か。懐かしいな」
 嬉しそうな野久保に、オレは牧の現状を簡単に伝えた。野久保は興味深そうに、今のオレと牧の話を聞き入った。
「刑部さんといい、牧といい、犬上は昔の仲間と縁が深いんだな」
「お前もそうだろう? 困った時は、いつでも声を掛けてくれよ」
 オレがそういうと、野久保は「その時は、お友達価格で頼むよ」と言い、自分の上着を胸元に引き上げ、毛布代わりにして本格的に寝始めた。オレは寝息を立て始めた彼に、「ああ、もちろんだ」と呟いた。
 オレは野久保に申し訳ないと思いながら、デスクの端末を立ち上げた。年代物の端末は、静かに立ち上がってはくれず、音量をゼロにしていても電子音やディスクが回転する音がやかましかった。
 端末が立ち上がると、今度はメールソフトを立ち上げる。牧からの新着メールを確かめた。前回もらった儲け話に関する詳細だ。また、「昔の仲間」繋がりの仕事らしい。牧は「しっかり稼いでくれ」と言っていたが、その理由も明確に書かれていた。
 久しぶりの汚れ仕事。流石に大分慣れたが、いい加減にこっち路線は引退したくなる。それでも、手っ取り早く稼いで己の心臓を取り戻すには、引き受ける他ない。生ぬるい仕事では、事務所の維持もままならない。
 オレは対象者の情報と、当日の詳細を念入りに確かめ、メールソフトを終了させた。念入りに偽装してあるため、通信記録を辿る程度では足はつかないが、無用な連絡はしないに越したことはない。
 端末の電源も落とし、オレもそろそろ寝床に着く準備をする。一旦、野久保を起こしてベッドに案内し、オレは昨夜と同様にソファに深く腰掛け、押し入れにあった薄い毛布を身体にかけた。相変わらず、窓は一つもないのに底冷えがひどい。オレは今度こそ風邪をひくか、身体が痛くなるのを覚悟して目を閉じた。

 翌日目を覚ますと、野久保の姿は消えていた。今度は書き置きも残さなかった。
 その日からオレは、牧が寄越した汚れ仕事に取り掛かった。事前に刑部さんへ連絡し、しばらく事務所を開けること、昼間の間借り、店番を休むことも伝え、道を踏み外した昔の仲間を処分する仕事に全力を賭した。
 仕事が終われば、即座に金が届けられる。オレはその金を握り締め、娘の鈴鹿をデートに誘った。元嫁の忍の了承を得て、友達や部活との都合も付けてくれたスズに、オレは顔を合わせるなり小遣いを渡した。
 中学二年にもなったスズは、かなり母親に似てきた。幼い頃はオレにそっくりだったのに、オレの影響は年を重ねるにつれ、どんどん薄まっていく。
「もー、もうちょっと考えてよね」
 彼女は、剥き身のまま一万円札を出したオレに、忍とそっくりな声で文句を言った。
「エンコーとか、パパ活に見えるじゃない。もうちょっと工夫してよ」
 彼女は頬を膨らませながらも、オレの差し出したお札をサッと受け取ると、自分の財布にしまった。以前は、可愛らしいキャラクターが描かれたポチ袋に入れて渡していたが、それを嫌がったのはスズではなかったか。
 無骨なデザインを選んでも、多分嫌がられるのだろう。ひとつ屋根の下に暮らさなくなってしばらく経つが、思春期の娘の気持ちは、未だに掴めない。
 オレは娘に相当煙たがられながら、今シーズンの新しい上着を買わされた。今着ているものでも十分使えそうだが、流行りには乗り遅れたくないらしい。コートを買ってしまうと、娘は早々に帰ると言い出した。本来は、朝から友達と遊ぶ予定だったのを、夕方からに変更したらしい。
 中学二年ともなれば、家族より友達か。それも、離れて暮らす父親となら、そんなもんか。オレは友達の分もと、「母さんには内緒な」と一万円札を追加で二枚手渡し、最寄りの駅まで送ってそこで別れた。
 帰り道で銀行に立ち寄り、養育費の振り込みも済ませる。仕事関係の支払いもついでに終わらせると、残りは微々たる金額だ。野久保は理想論を述べていたが、年内にもう一、二件ぐらいは汚れ仕事を手掛けたい。
 木々はいつの間にか紅葉の見頃を過ぎ、街中にイルミネーションが目立ち始めた。ショッピングモールに入ればクリスマス、スーパーマーケットに足を踏み入れれば年末と、寒さが増すとともに、年の瀬感も徐々に増してきた。
 オレは薄手の上着に限界を感じながらも、身体を縮こめながら日々の生活を送っていると、事務所が入るビルの出入り口を過ぎたところ、大通り沿いにある植え込みのところで誰かが横たわっているのを見かけた。
 普段なら手を出すことも、近寄ることもしないのに、身につけているものや背格好に見覚えがあるような気がして、その人物に声をかけた。植え込みに突っ伏す形で亡くなっていたのは、久しぶりに見かけた野久保だった。

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