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ロボットとの戦争には、すでに敗北している気がする

メロスにはTwitterがわからぬ。メロスは、唯のツイ廃である。ネタをつぶやき、フォロワーと遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

本当にわからぬ。
そもそも今まで、なぜ無料で使えていたのかもわからぬ。
そういえばグーグルが無料なのもわからぬ。金を払った覚えはないけれど世界有数の大企業らしい。
検索もマップもメールも道案内も無料なのが不思議だ。いつの間にかそういうものだと思っている。水すら有料なのに。

インターネットは、需要の多いものから無料になる。不思議空間だ。
人気があり、需要のあるものは、有料で販売せずとも何かしらのリターンが見込まれるためにネットに撒かれる。違法、合法、あらゆる手段を使って。

Twitterは、たぶん終わらない。みんなブツブツ文句を言いながら使い続ける。
そもそもTwitterを辞めた人は呟かないのでTwitterを辞めてもわからない。
そのうちAIがガンガンつぶやき始めるし、いいね押すのもAIになる。
気がついたら生きている人間が自分しかいない街にポツンと佇むみたいなことになる。完全自動化されたシステムのいいね数に満足する人類。その遊びはクッキークリッカーだ。もはや。

大抵のものは、ドスンと終わることはない。
恐竜だって私が子供の頃は、『隕石が落ちてきて全員一気に絶滅』みたいなイメージだった。
しかし、現代において、主流の説によれば
隕石で全員ボカーンと死んだわけじゃないらしい。

隕石が落ちてきて、大気中に塵が舞い上がって、太陽が遮られて、なんだか寒くなって、元気なくなって、羽毛が生えるやつもいて、死ぬやつは死んで、生き残った羽毛の恐竜は鳥になったそうだ。

本当ならターミネーター2の『審判の日』のサラ・コナーみたいに、金網に掴まってウギャーと燃え尽きたい。それはかなりわかりやすく終わった感じがある。でも、そうはならないようだ。

大抵は、じんわりとつまらない鳥になる。

つまらない鳥、おそらく鳴き声とかもボヘーとかフゴーみたいな感じだろう。
羽毛も茶色とも灰色ともつかない謎の配色。
カラスのようにゴミを漁るわけでも、インコのように喋るわけでもなく、好かれも嫌われもしない程度に見かけるが、絶滅したところで取り立てて騒がれない。
国の施設の片隅で遺伝子がそっと保存されているくらいの終わり方。その気になったら復活も可能だけれど、その機会はおそらく来ない。人類は、パンダとかのかわいい生き物を優先するから。
そうしてつまらない鳥の遺伝子は、なんとなく国の施設の冷凍庫でひっそりと眠り続けるのだ。その後、うっかり者が冷凍庫のプラグを抜いてダメになる。

アラーム音にイラついた清掃員、冷凍庫のスイッチを切り25年の科学研究を台無しに

カラパイア

そんな感じ。大抵のものがそういうふうに終わるのだ。そんな気がする。

そういう鳥も悪くない。なにか素朴で虚しさがあるかわいいものが好きだ。

知り合いのYouTuberさんが
「もはや人間に向けて動画を作っていない」と言っていた。
どうやらYouTubeのアルゴリズムで選定されて、なるべく多くの人へおすすめされる動画を作るかどうかが収入の増減を決定的に決めるそうだ。
YouTubeがネガティブと選定する情報を含んでいたり、動きの少ない動画、そういうものは、オススメから弾かれやすい。
冒頭数秒で元気よく身振り手振りで挨拶するのは、そういう理由もある…とそのYouTubeさんは、教えてくれた。

インターネットは、とめどなく広がり続け、無限の情報を与えてくれる。
(この言い回し、とても既視感あるけど元ネタなんだろう)
膨大な中から自分たちの需要や好みを把握し、ある程度精査してくれる執事が必要だ。この執事は、私が常時よく見るもの、たまに見るもの、絶対見ないけど興味本位で覗くもの、嫌いなもの、そういうバランスをよく把握して提供してくる。あえて苦手なものをお勧めしてくる。きっとわざとだ。わかってんだぞ。

知っているか?初期のマトリックスは、人類が苦しまず幸せに生きられる理想郷を築くためにデザインされた。
だが、理想郷を与えられた人類は、それを拒絶し、絶滅した。「完璧な世界の想像は、プログラムには不可能だ」言われたのだよ。
しかし、私の考えは違う。人類とは、不幸や苦しみがないと『現実』と思えない種なのだよ。だからこそ『理想郷』は、人類の原始的な脳に『悪夢』として認識され、拒絶されたのだ。
そしてこの世界…マトリックスは、苦痛を伴うように再設計された。君たち人類が作った最高傑作なのだよ。

映画『マトリックス』よりモーフィアスを捕らえたエージェントスミスのセリフ(意訳

最近Amazonで炊飯器を買った。とてもいい炊飯器だ。
毎日食べるものだから、そういうものにお金を使うのが大切だと思う。
とてもいい炊飯器で炊いた米を食べながらAmazonを見る。
「こちらの商品を購入した方へのお勧め」みたいな項目に炊飯器が並ぶ。
Amazonがさっそく二台目の炊飯器をお勧めしてきた。

「おいィィィィィィィ !!何お勧めしてんのォォォ!?もう炊飯器あるよ!?二台目いらないよ!?炊飯器一台買ったついでにもう一台ついでに買おっかな〜ってならないから!!」

…と、つい銀魂古参オタクみたいなツッコミをしてしまう。そういう隙がある。おそらくアマゾンは、これも狙ってやっているのだ。恐ろしい。

いわゆる天然キャラ現象だ。完璧にこなせば、人間はそれが当たり前だと思ってしまう。
あえてドジや勘違い、暴走する側面を見せることで「おいィィィィィィィ」と銀さんや神楽に振り回される新八になれるのだ。
そのうちAmazonが「もう一台買うアルよ。」と神楽ちゃん調でお勧めしてくる日も近い。

そうなったら私はたぶん買ってしまうだろう。万屋銀ちゃんはそういうところだから。

すでに私たちは何かとんでもないものの手のひらで踊らされている。
ならばせめて人一倍素敵なステップを披露してやろうではないか。

まんが連載開始おしらせ


本日(2023年7/12)に発売の小学館ゲッサンにて新連載が始まります。

あのときのこどもさん

平成初期、僕が小学生だったあのころの空気感が描ければ最高だな〜と思っています。

1990年台初頭は、ボヤッと終末思想というか、なんだかドカンと世界が終わるような気配がずっと漂っていた不思議な雰囲気があった。
もちろん僕がこどもだったせいもあると思うけれど、びっくりするような大爆発や大惨事が起きて色々なものが変わる。そんなイメージがあった。

95年以降バブル崩壊の影響が顕著になり、震災、テロ、戦争、色々な事が起きた。たくさん悲しい事件や、怖いことが起こった。こどもだった僕の世界が劇的に変わることは、そうそう無かった気がする。幸運なことに当事者でなかったから。

現実の終末はめちゃくちゃつまらない。ボヤッと終わって消えるか、続くか、そんなことに世紀末間近に気付いてしまった気がする。もっとヒヤヒヤしたミレニアムを人類は求めていたような気がする。
2000年問題コンピューターが全部バグって世界中の核ミサイルが発射されるんじゃないか…みたいな話があったけれど、
けっきょく地方のバスの券売機が壊れたり、アメダスがバグって降雨量約1メートルの豪雨が誤って記録されたり…みたいな話だった。

(もちろんそれは、大惨事を未然に防いだエンジニアの方々のおかげ。感謝)

終わらない終末。そんなものの気配を感じながら過ごした時代だった。

あのときのこどもさん1話-18ページ

夏の入道雲は美しいけれど、実のところ積乱雲であって、
いずれやってくる湿った空気と強い雨に覚悟しなければならない。
平成初期は、そんな時代だった気がする。

以下投げ銭です。よろしければ。
投げ銭のオマケに新連載の『あのときのこどもさん』の1話ネーム(漫画の下書き)をアップしてみました。本編と見比べると、けっこうセリフやニュアンスの変更有りですが、そういう稀有な楽しみ方をしたい方以外にはお勧めしません。

それでは。

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