暴力的なやりとりから一歩出てみる

いつも母と暴力的なやりとりになるんだけど、今回はとどまれた件。

母がクリーニングにズボンを出したが、返ってきたズボンの生地がすごく伸びていた。風合いも無くなっていた。母が何回も激しくクリーニング店を罵倒するのを聞いて、胸が潰れそうな思いになった。かろうじて聞いているけど、返しができないから、だんだん空気が気まずくなってきた。そして「もう聞きたくない!」と母に言いたくなった。たぶん「あなたを怒っているんじゃない。」と母。「そんな汚い言葉を使わないでもいいでしょ。」とわたし。というような強い応酬にいつもはなる。

でも、ここで考えたのは、なぜわたしは胸が潰れそうな思いになっているのか。母が相手を激しく罵倒しているのを聞いて、わたしは恐くなったのだ。そのクリーニング店はわたしが紹介したお店で、水だけでクリーニングするという自然派。たぶん、細々とやっている会社なんじゃないかと思う。そんなわたしがらみの弱い相手に強い口調で悪く言う母。それは、わたしが小さい頃に、わたしのことを激しく怒っていた母と同じに映った。母に怒られた小さなわたしを、わたしは思い出し、いたたまれない思いになったのだ。これ以上聞けない。

一方、わたしが怒っている時に、母はよくわたしの話を聞いてくれる。不当ではないが、会社を辞めてからの国民保険料が高すぎるという話など。だから、母が怒る時があった際は、聞かないというのも申し訳ないなあという思いも出てきた。これは、今回聞けない理由を説明しなければいけないと。

ある夕食時に話を切り出した。「クリーニングの話、話を聞けないこと、申し訳ないと思っている。いつもわたしの話は聞いてくれるのに。激しい口調で怒っているのを聞いて、子どもの頃を思い出して恐くなった。抑圧しているものが感じられるようになってきたの。だからこれ以上聞けないと思ったの。」と。母は、「怒ってないわよ。情けないの。悲しいの。ズボンがあんな風にされて。」と。「でもわたしには怒っているように見えるの。わたしが返事をしない、話を聞けない理由をは話さないといけないって思った。」とわたし。母は、「もうそんな難しい話はしたくない。」と言って席を立った。「ご丁寧にありがとう。」とも。それをどういう心境で言ったのか分からない。

暴力的なやりとりとは、自分がいったい何を感じているかを見極めないで、自分を守るために相手を攻撃しようとするところから始まるんだと思う。今回、自分の本当のところを掴んで、相手に伝えたことで、緊張感が解けたように感じた。どちらか一方でも本当のところを掴んでおくと、こうも違うんだと思う。母にわたしの真意ー怒るのは自由だけど、こういう理由で、その話はわたしは聞けないーということが伝わったのかどうかはよく分からない。再度この話をするには、母の追い詰められ方を見るとかなり気力が必要だ。