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マイホームドリーム

将来一軒家に住みたい

生れたころから官舎で暮らしていた私にはそんな夢があった。

一軒家の友達の家にいくとテンションが上がった。
玄関がひろい!
リビングがひろい!
自分の部屋があるの!?
キッチンが綺麗!
トイレも綺麗!
お風呂も綺麗!!

綺麗で広い家に住む子がうらやましかった。


そんな少女の頃の私が好きな遊びは、お絵かきとシルバニアファミリー。

お絵かきは女の子とか動物の絵をかくのも好きだったが、
街とか、家を描くのも好きだった。
こんな街に住んで、こんな家で暮らしたいと夢を膨らませた。

シルバニアファミリーでは、夢のマイホームをミニチュアとして実体験でき、インテリアはどうしたい、どういう間取がいいなどの欲が深まった。


幼いころからマイホームを持つことが夢な私は
成長してもなおマイホームを持つことを夢見た。

劇的ビフォーアフター見て、新築住宅販売のチラシを熟読した。
そして自分でお絵かきより本格的な間取を書いて楽しんだ。


高校の頃は、建築系に進みたいとも考えた。
数学が苦手なのであきらめたが。

建築関係の道に進まずともマイホームを持つという夢は変わらない。
結婚して家を買えばいいのだ。そう思った。
就活のときも家が好きという理由でハウスメーカーの企業を受けたりもした。


こんなにマイホームを持ちたいと思っている私だが
最近この夢が崩れそうになっている

崩れそうというか、別に実現しなくてもいいかなと思ってしまった。


その理由は、マイホームは負の財産になりかねないということに気が付いたから。

今まで家を持つことが幸せ!という考えを持っていた。
しかし、おじいちゃん・おばあちゃんが施設に入るやらなんやらで
家を売ることになってしまうらしいのだ。

この話を聞いたとき、正直ショックだった。


おじいちゃん家はデッカイ。たくさん部屋があって、夢のようだった。
おじいちゃん家に行くのが楽しみだった。
この家で母はたくさんの思い出を作ってきたのだろう。そう考えるとますますこの家は素敵だなと思う。

そんな家を売ってしまうなんて。


家を持つということは、その家を自由にできる。
そしてその場で思い出を作っていくということでもあると考える。
しかし、何かあった際、その家を手放さなければならないときもある。

人的要因かもしれないし、自然現象が原因かもしれない。
誰かが代々住まわない限り、いつか家には終わりが来る。

私にとってそれがとても悲しいことに感じた。


簡単に言うと、家はペットと同じなのだ。

なくてもいい、だけどあったらより豊かな生活になるかもしれない
買うときには相当迷う。
お金もかかる。維持にも。

そしてなくなるときに悲しい。


自分が家を買って、自分が死んだら、子供に残るだけだからいいじゃないか
とも思う
だが実際、残った家をどうするかというのは
大変な問題でもある

私がその立場になったら結構悩むと思う
言い方は良くないが、人によっては負の財産になりかねない。


このおじいちゃん家売却問題を目の当たりにした私は
家を持つことが全てでないように考えるようになった。

もちろん家を持つという夢を完全に捨てたわけではない、
が、
マイホーム=幸せ という考えはなくなった。


私は、マイホームじゃなくても
そこでの家族との幸せな日常を送りたい
それが夢の本質だと気づいた

実際、官舎に住んでいて、楽しくなかったわけではない。
楽しい思い出がたくさんだ。


人が家を持つ、持たないはその人の適正次第でいいんだ

ただ、持つならそれ相応の覚悟

そしてペットのように愛せるか、

最後まで責任を持てるかが

重要ではないかと思う。


これから将来どうなるかはわからないが
自分に合った場所で
幸せな日常を築きたい。


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