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自分で走らないと決めたゴールドトレジャー。母になるまでの苦闘の末の、走らない馬生。

ゴールドトレジャー(競走馬名ゴールドゴールデン)を引き受けるにあたってのハードルは四つ。
一つは購入代金。

二つめは毎月の維持費。

三つめは、トレジャーは芦毛だ。メラノーマ等の芦毛特有の病気に詳しい場所に預ける必要があった。

四つめは、ゴールドトレジャーは人を乗せて走らない。乗馬ではない彼なりの馬生…。

遠くにはやりたくない。側にいて何かの時には支えてやりたい。

そして、トレジャーの所属する乗馬クラブに伝えた。

もう後戻りは出来ない。

「ゴールドトレジャーを買い取るなら、どの位の資金の準備が必要ですか?そして、お預けするには毎月どの程度必要でしょうか?」

すると先生は、非常に驚いた様子で、
「今ですか?ゴールドトレジャーは人を乗せて走る事ができません。ゴールドトレジャーをどの様な目的で買われますか?」

「走らなくても構いません。養老の様なイメージで。トレジャーはリトレーニングもして頂いて、一年近くも面倒をみて頂きました。目安として準備を始めたいので、教えて下さい。」

そして先生の口から伝えて頂いた金額は、予想通りであった。
「馬を持てる方は、私とは住む世界が違うんだろうな。私なんかとはお話なんてしてもらえないんだろうな。」
そんなイメージが現実味を帯びる金額に、愕然としました。

「無理だ…。」

購入代金を無理して払えたとしても、一個人では預託代が払えない。
深夜まで仕事をしたとしても、知れてる…。

「分不相応。」

この言葉が頭を駆け巡り、トボトボとトレジャーの部屋に向かった。私が元気がないのを感じた様だ…

すると…。あの荒ぶれ者のトレジャーが、目を閉じてピッタリと私の顔に寄り添ってくれました。
私は気持ちが良くて、しばらくそのままでいました。

「あれっ…?トレジャーってすごくない?優しくないか?」

その当時、私は母が代表者の訪問介護の事業所で、ヘルパーとして働いていた。主人が管理者なので、主人と母は私の上司にあたる。

余談であるが、
訪問介護の現場は、高齢者の方、障がいを持たれる方のお宅でサービスの提供をするのだが、人手不足なこの時代、1時間程度のサービスの提供を一日に6件から7件。

時間内でサービスが終わる様、掃除、洗濯、入浴の介助、調理を行う。

走ってこなさないと、時間内に終わらず、次の利用者様のお宅のサービスに間に合わない。
なかなか若い方とのご縁がなく、私達の事業所のヘルパーさんの平均年齢は、私と主人を除くと、70代を超えている。
それでも、みな一丸となってサービスの提供に励む。
利用者様は待っていて下さるし、私達の訪問を楽しみにして下さっている方も多いのであるから。
派遣できるヘルパーがいない時は、他事業所を検討して頂けるのが一番なのだが、利用者様にとっての環境の変化は、ご体調の悪化にも繋がりかねない。
だから私達は、自転車を必死にこいで移動して、長い一日の仕事をこなす。

であるから、働いてくださるヘルパーさんは宝なのである。

みな高齢になっても、働かないと生きていけない。
厳しい世の中になったのだなと、痛感する。

それでも働く事は生きるにあたって、健康の源だと思っています。しっかり体を動かして、年を重ねても歩きたい。

お身体が自由にならない利用者様は、余程の向上心のあられる方以外は、どこか孤独な様に感じる。
一部を除いては、話し相手がいない毎日は、やがて認知の運命を辿る。
「去年はしっかりされていたのに…」
なんて言う事だらけである。
「自分はなんて無力なんだろう…。」
やがて、お家を去られて気がつく。

「もっとこうしてあげれば良かった…。」

人生なんて、こんな後悔の連続。後悔のない人生なんてどこにも存在しない。父だって。マップだって。

話が脱線してしまったが、その時私の中に湧きあがった一つの考え。

トレジャーの力で、利用者様を癒してほしい。
互いの皮膚を通して分け合う温もり。

「トレジャーをうちの会社の社員にできないか…?」

「トレジャー、新しい仕事できるね?もう走らんでもええけぇ。鉄も外してもらおうや。お母ちゃん、絶対にあんたに跨る事はせんって約束するけぇ。
ね、トレジャー君、できるね?すぐに耳を絞ったらいけんのよ。
カブッもしたらいけんの。ね、できるね?あんたは偉いんじゃけぇ。トレジャーはホンマに賢いんじゃけぇ。」

電話だけだと、非常に年配者と間違われる私の広島弁を、トレジャーは覚えているのではないかと思います。

調子にのってうっかり前から手を伸ばしてしまい、カプリといかれてしまいました笑

「ごめん。ごめん。前から触ったらだめよね。お母ちゃんが悪かった。」

と謝っても、耳が見えない程に絞り上げ、不機嫌な顔で
じっとこちらを睨みます。

「お?これは威嚇か?」と思い、

「ごめんね!!」と棘のある言い方だったでしょう。

「ガルルルー」みたいな声を出し、何か言い返してきます。

「やばい…。大きいけぇ、怖い…。でも負けてはならん」
と思い、

「じゃーもー帰るけぇ。りんごもあったのに、全部他の仔にあげるけぇね。じゃーね。また来週ね!!」
と立ち去ろうとすると、私のリュックを引っ張り、

「こっちに戻ってこい!!誰も帰れとは言うとりゃせんじゃないか!!」と言わんばかりのリアクションをした。

私はおかしくなって、大笑いをし、トレジャーの頬をスリスリしました。
「温かいねー。気持ちいいねー。ありがとう。ありがとう。」

「ワシも、ちょっとだけ悪かったわい…。」
と言っていると信じていますが、

「あのー、今日りんごまだですかね?」
「あっ、あの人参とりんごをくれるオバハンだ。」
なのかもしれません。

その答えは、永遠に知る事はないのでしょう。
それでも、私はお馬さん達の力を信じている。
分かり合えると…。

別れ際、じっと私をみつめるトレジャーは、
「しょうがないのぅ…。やるわい。そうせにゃ、あんた困るんでしょうが?」
と言っている様だった。

ゴールドトレジャーよ…。困るのはお母ちゃんではないのだよ…。お前なのだよ…。
困ったのぉ……。

余談であるが
こんな喧嘩は今でもたまにする。仲直りの印はでっかいりんごの切り身を半分こ。

「あー。夏のりんごは甘くないねー。はよ冬にならんかねー。」
と私が話しかけると、

「ほんまですよね。」
と言ってる様なゆっくりとした食べ方である。

人参がやっぱり、テッパンなのでしょうか??
甘いスイカを持っていた時などは、甘い香りに大興奮し、スキップを始めて、

「くれやー!!はよくれー!!お前はトロいんじゃい!!お母ちゃーん!!」

と甘えの中に軽く威嚇が混じりの興奮でしたが、一口食べると、

「プーッ!!ペーッ!!なんじゃいこりゃー!!」

と勢いよく私の顔に向かって吐き出しました。
欲張って、大量に口に入れたがために、私の顔はベタベタになった。さぞや糖度の高いスイカだったのか、
顔を洗う羽目になり、水だけといえども、厚化粧はほぼ落ちてしまい、

「トレジャー、帰るよー!!またすぐに来るけぇね!!

と挨拶に行くと、

「えっ、お前、誰や!!」

とビクッとしていたので、馬は人の顔を認識できるのか…?それともアヤツだけなのか…?

そんな不思議な不思議な仔だ。

寡黙過ぎる程の主人は、トレジャーのために翻弄する私を横目に、何も話す事はなかった。
そんな主人がその帰りの道中、外で見るほぼスッピンの私に、
「お前、歳とったのー!!どしたんや??」
と、さぞや驚いた風に言うので、ひとつも要らぬ反応に、非常にムカつき、また沈黙となった…。

セラピーホース…。この仔に務まるか…。
それ程に自己主張の塊…。
「こんなに大人しくて、可愛くて、純粋なん仔は、
他にはおらん。本当にいい仔。」
最初の頃の私の口癖…。

一年が経とうとした頃、頭によぎるのは、

「純粋ではないのだろう…。」

それも、全てが魅力の塊。私はもう離れられなくなってていた。

人の子も、手が掛かる子程可愛い。
愛すべきヤンチャ坊主。ありのままで生きさせてやりたい。そのままで。この仔の生きたい様に。

今の乗馬クラブの先生方は、本当に優しく良い方ばかり。何より、トレジャーを連れてきてくれた。
あの時、あの瞬間、トレジャーがここに来る事ができていなかったら…。競走馬達の過酷な運命を知り、経済動物と割り切る事は、とうてい私にはできなかった。
殊更、トレジャーに関しては…。

しかし、芦毛特有の病気、放牧の状態、壁に囲まれ、外が見えない馬房…。
これは、現乗馬クラブと私との価値観の違いであって、
決して乗馬クラブを非難する事ではない。
今でも、もう一度行きたい。先生達に会いたい。お馬さん達に会いたい気持ちが、湧き上がる。

初めての馬を買い取るという行為。

あまりにも情報量がなく、どこに向かって行けば良いのか思案に暮れた。

食欲は段々となくなり、介護の体力がもたなくなり、移動中も、時折自転車を停めては、しゃがみ込んでいました。

とても孤独であった。

そんな中、たまたま一つの乗馬クラブの噂が耳に入った。余程神経が逆立っていたのか、

「乗馬クラブ」
というキーワードに飛びつく様になっていた。

「とても名門だけど、すごく馬に詳しく、人柄が良い真面目なオーナーよ。」
と。
名門と聞いて、私なんか相手にしてもらえないと躊躇していると、主人がおもむろに電話をとり、その乗馬クラブに電話をし始めた。

「不躾なお願いなのですが、現乗馬クラブで買い取りたい馬がいまして、知識がないもので、ご相談させて頂きたいのですが…。」
と…。

「いいですよ。来て頂いて、お話しましょう。」

どこの者とも知れない私達に、非常に穏やかに目線を合わせてお話して下さいました。

そちらの乗馬クラブに訪れてみると、目を見張る様な光景に驚いた。
掃除が行き届き、馬房ごとの扇風機。全ての馬房には窓があり、馬達はみな、のんびり外を眺めるのが好きな様子であった。
階段や段差はなく、車椅子も楽々と厩舎に行ける。

「ここなら、利用者さんを連れて来れる。足が悪くても。目が見えなくても。」

厩舎の中を自由に歩いているお馬さんがいる…。
戻りたくなったら、自分で部屋に戻るそうだ。

まず、オーナーの奥様にご挨拶頂きました。とても美人であるが、非常に品のある優しい話し方をされる方で、
緊張の糸はプツリと切れ、私は笑顔になった。

そして、オーナーが出て来られた。
「えっ?こんなに若い方なの?」
と年齢を聞いて驚く程のスタイルでした。


環境を見て、トレジャーの窓から外を眺める姿、のびのびと放牧する姿などを想像して、

「ここを終の住処としてやりたい。」

そう強く思った…。

本題に入り、トレジャーの経歴や性格、特徴などを話させて頂いたところ、

「あー、それはダメですね。やめておかれた方がいい。
乗馬としては難しいでしょう。ちゃんと乗れる馬を考えられた方がいいです。ゴールドシップというと、サンデー系ですよね。サンデー系の馬は非常に頭が良いので、
引き取る覚悟がいりますよ。」
とゆっくり、柔らかく言われた…。

私は動揺を隠さず、
「先生、走らなくていいんです。もう走らない。のんびりと寿命を全うさせてやりたいんです。でも、あまりに相談できる場所がなくて、会社で…。えーと、養老みたいな感じで…。若いから養老じゃないのかもしれないんですけど…。あの…。あの…。」
涙が溢れた。

そうじゃない…。そうじゃないんだ。走らせたくない。
もう走らせたくないんだ…。


すると先生は、
「よく分かりました。せっかく買われるなら、調教すれば乗れる可能性はあるかもしれませんよ。乗れる様にする自信はあります。どうされますか?走らない生涯と決められますか?」

「はい。それ以外の考えはありません。」

「うちで引き受けますよ。走らないのであれば、裸足の生活を送らせます。買い取られるなら、早い方が良い。
ゴールドトレジャーですよね?」

「えっ?何で名前ご存知なんだろう…。」

馬の世界は狭く、事前にほとんどの情報を持ってお話を聞いて下さった先生…。
知ってる内容を、私の話を遮る事なく黙って聞いていてくれた。
人間性の良さを感じ、心が温かくなった。

「お気持ちを考えると辛い事を言いますが、ご自分達で
所有権の移動をされて下さい。その後、うちに移動させましょう。」

と言われた。

「あぁ。トレジャーを連れてきて頂いた乗馬クラブなのに、私はなんて不義理をするんだ。どんなにガッカリはれるだろうか…。」
また心は沈んだ。

乗馬クラブに買い取り移籍をさせる。
何よりも、何よりも、社長である母の承諾を得なければならない。
そして…、なかなかの難所がもう一つ…。
冷や汗で、背中はびっしょりと濡れていた。

私の父は生前、税理士であった。
私も長く父の元で税理士業務の補佐の仕事をしていた。

19歳の頃、夜のアルバイトをしながらプラプラ適当に生活をしていた。

そんな折、父の事務所の事務員さんがこぞって退職するという、なかなか大きな事件が起こった。

そして父は、
「簡単な事務作業だから、お前がやれ」
と声をかけてきた。

正直、絶対に嫌だった。
頑なに頷けない程に、父は筋金入りのケチであった。

しかし、困っていそうな姿を見ると、何だか可哀想になった。
本当に仕方なく、手伝い始めた。

高校もまともに行かず、なんとか卒業した後、遊んでばかりいた私は、まともに漢字も書けず、読めず、簿記の知識もない。

「決算処理事項」
という漢字が読めず、当時はインターネットなんて便利なものはなく、父に聞くと、

「お前はどうやって生きてきたんや?」
とだけ言われた。

もう何かを質問するのはやめた。つまらぬ質問をすると、鬼の如く怒鳴り散らされた。

父と二人きりの事務所。何も教えてはもらえず、毎日毎日、お客様に怒られ、税務署に怒られ…。
「誰でも簡単に分かる簿記」
の本を片手に、貸方、借方を永遠にブツブツ呟いていました。
「消耗品」が読めず、
「なんでフリガナがないんか?不親切な本じゃ。」
その当時の本を今でも持っているが、辞書でひいたのか、フリガナが書いてある。
フリガナだらけで真っ黒な本。きっと、小学生でもここまでのフリガナは必要ないだろう…。

「本を読め。何でもええけぇ、本を読む癖をつけろ。」
と、真っ黒な本にビックリした様に父が言った。

漫画を沢山買って休憩中に読んでいると、
「お前はどうやって生きて行くんじゃろーのー。」
と、どっかに行ってその日は戻って来ませんでした。


「できないと、色んな人に怒られる。相手が何を言っているか分からないと、言い返す事も出来ない。」
と、生まれて初めて勉強というものしたのである。
勉強をしないと、いつか困るという言葉は本当であるのだと、毎日思った。

半年もすると、大体の業務はこなせる様になった。

税理士を目指す様にと、父はいつも私に言った。

しかし、高校普通科が最終学歴の私は、税理士の試験に臨むまでの道のりが長く、まともに考えた事はなかった。

そして、妹が税理士の資格を取得し、義理の弟と共に事務所に入所して来るのである。

二人とも税理士であった…。

私は衝突の末、事務所にいられなくなってしまった。
優等生の妹と、叩き上げで来た私とは、意見が折り合う事はなかった。

私はたくさんの時間があったのに、努力をする事を怠り、努力した妹夫婦にはどうやっても勝てず、居場所を自ら失くしてしまった。

折れると言う事を知らない私は、苦労の末、人の顔色ばかり見ている子供時代とは違い、あり得ないくらいに気性の荒い人間になっていました。

「今迄会った人間の中で、一番怖い。」
と言われたの事は、一度や二度ではなく、自覚もない私は、優しさや、思いやりに欠けていた。

短気で頑固。自分の考えが通らないと、理屈で相手を責め上げる私は、随分と周りに嫌われていたのではないかと、今思う。

立場をわきまえる事のできない言動が、大切な妹を苦しめていた事に、今になって気がつくのである。

そして私は妹と疎遠になり、妹も私を避ける様になった。
妹は、結婚式にも私だけを呼ばなかった。

そして、私は母親に拾ってもらった様なものだ。
また一から介護の仕事を覚えなければならない。

あの頃と決定的に違うことは一つ。

私は歳をとっていた。新しい事を始めるのに抵抗する年齢になっていた…。

訪問介護というハードな仕事に、最初は立っているのが辛い日々であった。
母の仕事を
「ふーん」と見ていた自分が情けなくなった。

「みんな、みんな、こんな大変な思いをし働いているんだな。私こそ何もないのに、つまらない人間だったんだ…。」
偉そうな事を言いながら、周りに褒められて来たその正体は、税理士である父親の七光りでしかなかったのである。そして、今度は母親の七光り…。それでも大切な事に気が付かけない。

そして、主人が会社へと入社した。
主人は看護師だ。私とは違い、入社と共に、管理者というトップの位置に就いた。

ちょっと寂しかった。

精神科に長く勤務していたのだが、会社のヘルパー不足の背景があり、入社する事となった。

最初のうちは、身内、尚且つ夫婦という甘えがあり、
家庭内でカカア天下の我が家。主人に注意されると、
「うるさい!!」
と怒鳴りつけていた。

すると母に頭をはたかれ、
「身内であっても、立場をわきまえられないならば、
もう明日から来なくていい。人は見とるよ。私達は
サービス業じゃ。どこかで誰かが見ているかもしれない。
普段の関わりからの気をつけて行かないと、うっかり外でもその癖が出る。それを職員は真似をする。あんたは一番謙虚でなければならない。家庭の態度を仕事に持ち込むな!!」

そこでやっと気がつくのある。
自分の頑固で我儘な性格に。

私は父にそっくりになっていた。

「本当に変わりたい。」

そんな事を経験しながら、教わりながら、生涯勉強なのであろう。

子供を産んだからといって、急に母親にはなれない。子供が母親として育ててくれるのと、同じ様に。

そして父が亡くなり、妹がうちの会社の顧問税理士となった。生真面目すぎて、慎重すぎる妹。

「あぁ。お母ちゃんの前に、この子の承諾を得ないと
トレジャーは買えない…。」

意を決し、
「kちゃん?ちゃっと相談なんじゃけど…。あんた動物好きじゃけぇ、すごい良い話……。」

ギクシャクした話し方であった。長く長く話をしていなかった。


小さい頃から、父は留守。母は仕事。夜は二人で留守番。二人で寄り添いながら成長してきた。

母親恋しさに床につくと泣く妹の泣き声に、私も幼いので涙が出ます。小さい身体で妹を膝に抱き、一緒に泣いた日を思い出す。
長い疎遠を経て、普通に話ができない関係になっていた。

「えっ?何が、どこが良い話なん?
ダメ!!ダメ!!ダメ!!うちはそんな事例扱った事がないけぇ、分からん。分からん事はしたくない。」

「やっぱりダメか…。」
電話をきった後、グッタリと垂れる頭は、机につく程であった。

「時間がない…。」
私は発作的に母に電話をしていた。

「お母ちゃん…助けて…。お母ちゃん…お母ちゃん…。」

トレジャーを買い取り、社員に迎えたいと伝えた…。

「ええ加減にしんさい!!
あんたは馬に狂ってから、何を考えとるんか!!
貧乏人がそがな道に進んでからに、あんたはお父ちゃんに地獄を経験させられたのに、また地獄に突き進むんか!!
それをするのは、あんたじゃないじゃろ!!
どこにそがな銭があるんか!!
そこは地獄よ!!」

声が枯れる程でした。

「地獄でええ!!
うちはトレジャーと一緒に地獄へ行くんじゃー!!!!ほいで、神様にトレジャーを助けてもらう様にお願いするんじゃ!!
トレジャーが生きれるなら、うちは一人で地獄へ行くんじゃー!!」

母はさっきまでの勢いがなくなり言った。
「あんたは地獄へ行かんでええ。私が代わりに地獄へ行く。」
寂しそうな声でした。子供の口からそんな言葉は聞きたくなかったのでしょう。
母は静かに、
「あんた、独立するんかね?」
と言いました。

「あんたはお父ちゃんに似とる。根拠のない事には進まんじゃろ?そういうノウハウをくれたお父ちゃんに感謝しんさい。利用者さんもヘルパーさんも、あんたについて行く人はおるじゃろう。私は残ったヘルパーさんを最後まで守るよ。」

「お母ちゃん、ごめんね。ごめんね。」

「ホンマよ。あんた、大きな子供ができるんじゃけぇ。
人の子と同じエネルギーで守らんにゃ。」
「分かっとる。」

「買うお金はもっとるん?私は出してやられん。可哀想じゃけど、出してやられんのよ。持っとらんのよ。」
「個人年金解約する。借金はしたくないけぇ。」

「ならええ。しっかり働いて、また貯めんさい。働きさえすれば、お金はまた貯まる。介護を目的にするんなら、乗馬クラブは変えんといけんよ。階段や段差は登れんし、車椅子が登れんじゃろ。」

そう言うと電話置き、暫くの間母とは話をしませんでした。

実は母、競馬が唯一の趣味で、メジロマックイーンの写真がずっと家に飾ってあったのを覚えています。
一日千円。
ラジオ片手に。
バスに乗って、阪神までナリタブライアンのレースを観に行った事もあります。
ですから、トレジャーの事が気にならない訳がないのである。

あの自宅に飾ってあった、芦毛の馬の子孫の仔を引き受ける…。
運命は、あの時から決まっていたのであろう。

そして、事業所開設に向けての目まぐるしい日々が始まる。
父の古くからの友人の先生が、快く顧問税理士を引き受けて下さった。
トレジャーの事を相談したところ、

「いいでしょう。頑張ってね。」

身体の力が抜けました。
外では仏のように良い人だった様で、
「お父さんの娘さんなら。」と言って下さった。

初めて父に助けてもらった気がした。

「側におる?お父ちゃん、ありがとう。」

さあ、いよいよトレジャーを買い取る。

年金の積立を解約する手が震えた。

「うち、もう後がない。やり切るしかない。絶対に
逃げん。あの仔を守るんじゃ。」

乗馬クラブに電話をし、

「ゴールドトレジャー、自馬にします。購入代と月の維持費を振り込みますので、請求書、準備して頂けますか?」

2022年7月25日
ゴールドトレジャーは、私の本当の息子になった。

馬房の前にかけられた名前の下には、私の事業所の名前。
この名前しかあり得ない。

愛している。忘れない。ずっと忘れない。
あなたは永遠…。

「訪問介護とれじゃーまっぷ」

なんだか、奇跡が起こった様だ。
しかし、努力なくしての奇跡は起こらない。
もしかしたら、奇跡と努力はとても近い位置にあるのかもしれない。

トレジャーは、いつもの様に、スリスリとしてきた。
でも、また前から触ってしまい、怒って後ろを向いて、
二度と振り向いてくれなかった…。

それでいい。
そのままでいい。

誰の子だからではなく、ゴールドトレジャーは私の中の唯一無二の宝だ。黄金の宝。
トレジャーマップから命名した、その名前の意味のとおりになった。それも運命。

ある一頭の無名の引退した競走馬は、自らの魅力をもって、人間の上に立った。私に全てを捧げさせた。

主人は最近、「トレジャー先輩」と呼ぶ。
何の先輩かは不明だが、すごい力で悪さをしては、叱られる前に窓際にクルリと逃げる。

「メッ!!メッでしょ!!」と言うと、
顔を上に上げ、
一歩下がって、万が一のお仕置きの予防に努める。

「えっ?叩いたりせんよ。ごめんね。そんな風に思わせたんじゃね。」

そうではない。悪さをしている自覚があり、もしかしたらお仕置きがあった場合を予測している。

常に予測をした上で、丁度良い具合の絶妙な悪さをする。

人も馬も同じ。血は争えない。

私もトレジャーも、いつの間にか親に似てきたのであろう。

私はね、嫌だった。

お父ちゃんみたいには、なりたくなかった。
でも、私の中には半分お母ちゃんがいる。

誰かに愛された経験がなかったら、私は誰かを愛する事を知らなかったのかもしれない。

人を傷つける事に鈍感で、トレジャーの発したサインに気がつくどころか、トレジャーマップの存在を、忘れていたかもしれない。

大変なのはこれから。

「わしも一緒にそっちの会社行くわい。トレジャーがおるんじゃけぇ。わしゃ、ゴールドシップが一番好きなんじゃけぇ。お父ちゃんがおらにゃ、始まらんわい。」と、今回の件で乗馬クラブの電話以外、初めて喋った主人。

厚かましい事を、いきなり喋り散らすので、ビックリした…。
私は苦笑いをし、言った。

「ほいじゃあ、ホンマにトレジャーを先輩にしようね。
あんたは、今日からトレジャーの部下じゃわ。」

と言うと、二人で笑った。

さて、次は乗馬クラブの移籍へと話は移る。
まだ、現乗馬クラブには話せずにいた…。


つづく…
























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