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フィアット 500e Pop(2022年モデル) 3/3

希望だらけの未来ではないけれど

本音を言えば、うるさくて排ガス臭いエンジンに今でも並々ならぬ愛情がある。
けれども、だからといってエンジンにずっと固執する気にはなれないし、必ずこういう議論で誰かが言い出す「EVは退屈」だとは1mmも思わない。
たしかに1ヶ月暮らしてみて、充電インフラを取り巻くさまざまな使いづらさや、どうしても頭を掠める今後のニッポンの発電政策など、心配な部分はなくはない。そんなふうにクルマそのもの以外での気掛かりが多いのがEVの特徴とも言える。
急速充電器を使用しているときの、あまりにも高速でエネルギーが注入されるが故に覚える「ある種の罪悪感」もいままでにはない新たな感覚だった。
視界に入っている自動車の9割以上が当たり前のようにピュアEVになりエネルギー注入に対する罪悪感が消えるには(そんな時代が来るだろうか・・・)あと3-40年はかかるだろう。あるいは来ないかもしれないが。

急速充電器にはラオウの闘気のようなエネルギーが周囲に溢れる

「電気自動車がカンタン」のワケがないだろう

EVはエンジン車に比べて部品点数も少ないし、モーターと車輪があれば誰でも作れるでしょ、などどインフルエンサー気取りの連中が知ったふうなことをそこかしこでコメントしている場面を最近よく見かける。
たしかにEVの構造はざっと見ただけでは至ってシンプルに見えるだろう。
ギアボックスも高価な燃料噴射装置も不要とあれば、新規参入も容易に感じるかもしれない。
しかし忘れてはならないのはEVも立派な自動車であり、乗る側も内燃機関でさんざん移動の素晴らしさと蕩ける乗り味を経験してきた連中だということだ。
生半可なモノでは納得しないことは明らかだし、今まで以上のクオリティを求めてくるのは明白。「誰でも作れる」とよく言えたものだ。
動力源がなんであれブレーキやシャシー性能は一朝一夕には仕上がらないことは、ちょっと想像すればわかることだろう。
十分な覚悟がなければ、アタマひとつ抜けるようなEVなど作れっこないのはメーカーは当然承知。
テスラにはポルシェやボッシュなどから引き抜かれたヴィークルダイナミクスや制御技術のスペシャリストがうじゃうじゃいると言うし、ベトナムの新興メーカー・ビンファストはBMWとの関係が親密だ。
薄っぺらなインフルエンサー気取りが簡単に喝破するように、白が黒へと変化するが如くムーブメントはすぐに変わるわけがない。
20世紀から続けられてきた蓄積がこれからも生き続け、徐々にEVへと引き継がれていくはずである。

それでも自動車はつづく

新しもの好きとしては、電池の交換方法や画期的な交通システムのアイデアがまだまだ登場するのは楽しみだし、メーカーが慌てて過去のデザインデータを引っ張り出して「リミックス」を試み、懐かしいモデルの片鱗を覗かせた新型車を登場させている最近の動きはとにかく面白い。
お金では買えない過去100年にものぼる長い歴史を持ち、コア技術やデザインを大事にしてきた(もしくは発掘した)フィアット500eのようなモデルと、そんなことはおくびにも見せず新しいカルチャーを見せつける新興中国メーカーから登場するモデルとの切磋琢磨がますます熱気を帯びるはずである。

そんな熾烈なタタカイはいったん端に置いても、フィアット500eの魅力は十分に「アリ」だ。
モーターの冷徹さ(?)からイメージされるようなシロモノ家電の退屈さはないし、運転している実感も濃密だ。
カーシェア全盛の現在をもってしてもわざわざ所有したくなる愛着感が備わっていると思う。
コンパクトなボディと、遠出をするとちょっとドキドキする冒険心あふれる心許ないバッテリー容量を持つフィアット500eは、まさに「足るを知る」を体現したかのようなクルマだった。
地面を削るかの如きパワーやトルクを持て余し、値段が異様に高価で重いEV(しかもインテリアは液晶だらけ)が主流になりつつあるなか、もっとこのテの普及型EVが積極的に登場してきて欲しいものである。
フィアット500eを街中で見かけると、耳の奥からあの始動時の軽やかなフレーズが蘇り、またアレを聴き、街中をシャキシャキと流したくなっている自分がいる。
それが記憶に刻まれただけでもあの1ヶ月は貴重な体験だったと思う。