#選択の代償 第39話

おはようございます、#選択の代償、私、亀川がお送りしております。
さて、ECサイト構築のビジネスにおいて、ようやく具体的な話になりそうな気配となりました。20年前の市場でのネット通販は、まだまだだったとお分かりいただけましたでしょうか?最近では、個人消費のかなりの割合が、ECサイト利用のようです。(この点は、番外編で・・・)当時は、周囲の半数以上の方々が、ECサイトでの消費(購入)に否定的でした。まだまだ、黎明期だったんですね。そんな中で、エイペックスジャパンのユーザーインターフェイスに関する仕組の価値がなかなか見いだせなかったのは事実です。
その後も、そのECサイト提供会社との打ち合わせを重ねますが、ボトルネックとなったのは、パッケージ化して提供するまでの開発プロセスでした。当時エイペックスジャパンのビジネスモデルとしては、(昭和型ともいうべき)旧来の考え方で、案件化された時点での受注金額における、手付金的な決済が優先的な考え方でしたね。システムの開発・構築にかかる人件費は収入源として充当している為、この枠から抜け出れなかったのは確かです。いわゆる大手のSier的な考え方としてあったわけです。これが、一つ問題だったのかもしれません。販売(営業)優先だと、どうしても顧客を設定して、相手との契約ありきで進める。しかし『システム』という代物は、無形であるがゆえに、顧客にとってみれば、『何に対価を払うのか?』が不明瞭です。

今にして思えば、事業計画の中に開発期間とその費用の計上が甘かったのかもしれません。いわゆる『営業先行』型に陥っていたとも考えられます。
昨今であれば、CX(カスタマーエクスペリエンス)型のシナリオを前提とするのでしょうが、当時はそこまでの見識も欠如していたと思います。
結果、パッケージ化を阻む要因は、エイペックスジャパン側にあったのですが、どうしても『売り』先行となってしまっていて、なかなか話がまとまりません。すると、W社の担当が、「では、一旦お持ちになっているライセンスを協業相手に提供するのはいかがですか?」、私「それは、具体的には・・・」、W社「御社のライセンスを活用する開発そのものを任せてみるのはどうでしょう?」、私「という事は、独占的使用権の前提条件が崩れるという事になります」、W社「そうかもしれませんが、前に進むには話合いだけでは解決しません。相手側に、技術情報を公開することは可能ですか?」、私「米国との契約上もそれは難しいと思います」、W社「では、ライセンスを売るというのはどうでしょうか?」・・・
なんとも雲行きが怪しい方向になってきました・・・当時、この手の技術的な情報は、未だ未だブラックボックス的であったことも確かですが、これに関わる人材も希少な状況でした・・・
デジタル制作部門の責任者であるTさんに相談しました。

すると、「それは、不味いんじゃないですか?これまで、米国にも技術研修に行ってもらったり、してますし少しずつ自社独自のノウハウも積上げつつある状況では・・・・」、「それに、単純に技術情報を開示するだけではなく、説明する人員のモチベーションも下がってしまうのではないでしょうか?」と・・・
この件については、単に資金だけではなく現場の実務も表裏一体となっていることは確かでした。ただ、経営的視点から見た場合の資金調達とした場合、非常に難しい状況でした。
これと並行して、親会社にも相談することになりますが、脇下常務は「米国のライセンスをそのまま売り渡したら、この会社自体の存在価値がなくなるやろ!・・・だったら、あの中古車査定システムをライセンスとして販売できへんか?」と・・・・確かにそれは一つのアイデアとしては可能性があると思われた。
そこで、ECサイトのパッケージ化の全体像から、業種別のターゲットの企画として検討することとなった。
このECサイトのパッケージ化して販売するソリューションは当時、幾つか出てきていたが、その殆どがアパレルや日用品の物販の取扱が殆どだった。大型消費財である家や車をネット通販で流通させるのは、なかなか受け入れられなかった。
結果として、ライセンスの売却の代わりに、中古車査定サイトそのものの転用を前提として、話し合いの内容を変えていった。
最初は、好感触だったが、ターゲットとなる企業の設定が曖昧だった。

最終的には、話し合いはまとまらず、この話は流れた。W社は、投資資金を投入することを前提に、協業企業を紹介したように思われた。その後も2社ほど、話を持ってきたが、当時の状況では、なかなか具体的にまとまらなかった。
結果としては、11月末時点でW社の持ち込む案件は全て白紙となったが、投資については話が継続する形となった。その後、アナログ制作部門の実績が回収できたので、なんとか資金繰りは繋いでいる状況であった。そして、12月に入り、親会社から『実績はまだ上がらないのか?』と段々大きな圧力がかけられてきた。
この頃になると、私自身は24時間起きているのか、寝ているのか境目のない状況が続いた。思考能力もかなり低下しているのが自覚出来てはいた。しかし、どこにも逃げる場所はなかった。
ひたすら、煙草の本数が増え、酒量も増えた。この続きは、また次回、お聞き逃しなく!

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