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水の女神タナバタツメと天皇

七夕にタナバタツメの織る帯と、天皇を意味するタラシに帯の字をあてること。日本の七夕信仰には、推古天皇の時代の天皇制の起源がかかわるかもしれない。

という、重大な問題のスケッチ。

#タナバタツメ

大阪府交野市文化財事業団発行、天の川と七夕・星伝説のまち、より。

在原業平、伊勢物語より

狩り暮らし棚機つめ(タナバタツメ)に宿からむ 天の川原にわれは来にけり

日本の七夕の始まりは、交野市の私市(きさいち)星田一帯であろうとされています。交野山のイワクラを望む、機物(はたもの)神社が、七夕発祥の地と信仰されます。ただ、肝心の天の川からやや距離があり、天の川の七夕伝説とこの神社が結び付くのは、創建から後の時代と思われます。

ニギハヤヒ降臨伝説の巨大イワクラの下を流れる天の川が、私市の平野に流れ出す、その河辺で、神の妻となるべき妃が、神の衣を織った。

推古帝が、若き日大后となったお祝いに、私市部と日祀部が与えられた、と日本書紀にあります。私市部は所領、日祀部はおそらく暦方と天文学の研究センター。私は、私市は推古の所領にして、天文学の研究センターであったと推測します。必然的に、ここが七夕伝説の地となった。

タナバタツメという女神は、中国の七夕伝説の織女と同一視されていますが、日本の古い水の女神ではないかと思われます。

折口信夫の難解なる論文に「水の女」という作品があります。その、天の羽衣、の項目で、みずのをひもは禊ぎの聖水の行事を記念している語である、という指摘があります。

ひも、帯は、生命のおおもとを結びとめるため、特殊な結びかたをした。禊ののち、神の妻となるべき妃が、その結びを解いて神の妻となる。

また、后は、水の霊位のこもる小屋でその帯をおる。その小屋をタナとよびハタをおる神の妻を、タナバタツメとした。

タナバタツメの織り上げた帯を、特殊な結びで、生命力を固定し、大王は神となるべき苦行をへて、最後に水の禊ののち、后が帯をほどき、再生する。

古来のタナバタツメとは、そういうものではなかったか。

聖徳太子が隋に派遣した小野妹子は、日本の国王はタラシヒコ、と説明した。古事記はタラシに帯の字をあてます。

タナバタツメは、水の霊位を帯に織り上げたのち、帯に生命力を結ばれた男の妻として、水のみそぎののち、それをほどき、ともに神となる。

私の現時点での理解です。

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