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噴水や手水鉢に動物をデザインする時、口から水を出すのが人類共通の感覚です。亀井水はみごとに逆


明治末改造以前の亀井水


亀の口から水を出す。それが常識です。亀井水や飛鳥の亀は、非常識な存在です。伝聞や空想では、まず理解されません。

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17世紀絵画作品でも、まず口から水を出す亀が画かれます。写真は、古浄瑠璃版本「聖徳太子のゆらい」。伝聞で画かれた四天王寺ですが、四天王寺を描くポイントを鳥居と亀井水と認識していたことがわかります。亀井水は背中に水をたたえる水盤と画かれますが、亀の口から水が流れ出る、とされます。おしい!です。

やはり17世紀、四天王寺住吉大社屏風が大流行します。多くは模写に空想を交え画かれ(四天王寺所蔵の作品のみが亀形水盤の頭に水を注ぐ影向井を描く観察にもとづく描写となりますが)他は亀が吐水する常識で画かれます。

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18世紀末の「摂津名所図会」は多くの研究者に誤解を植え付けたでしょう。影向井とも言い亀井とも言う、という曖昧な記述は、明治の改造に根拠を与えたのかもしれません。

このベストセラーガイド本を買い求め、江戸の大田南畝は大坂見物にまわり、亀井堂でも亀が吐水している、と記録します。

こうした誤認の原因は、単純なことでした。同時代の幕府老中の視察記録「二都巡見記」には、亀井水の上が板で覆われ、中央四尺四方程のあなから覗いていた、とあります。つまり、底の亀井の姿は見えない。影向井の先端だけを見て、亀の顔と判断した。

南畝が面白い観察を記録しています。亀の頭の上に賽銭箱あり。つまり、板の上に賽銭箱が置かれていた。

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つまり、影向井の先端は、亀に見えないではない。

すると、三代目レプリカである、西門手水鉢の特異なデザインが、影向井の候補と考えられます。

初代手水鉢の記録では
凸部に孔があったと記録されています
暗い亀井堂ではこの凸部が頭に見えた


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