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巨勢三杖(こせのみつえ)が斑鳩の宮で歌う、聖徳太子追悼の三首。有名な片岡山の飢人の歌の、出典はこれでした。

見出し写真は、カンリンポチェ山(カイサル山)。

この追悼歌三首は、聖徳太子自身の辞世歌とあわせて、最重要史料です。とみのいのみず、とみのをかわ、を奈良の富雄川と決めつけてきたため、解釈不可能になっていました。(2020年5月追記)


聖徳太子の死後、巨勢三杖(こせのみつえ)が、斑鳩の宮で詠える、追悼歌三首。法王帝説より。


いかるがのとみのをかわのたえばこそわかおおきみのみなわすらえめ


みかみおすたばさみやまのあじかげにひとのもをししわかおおきみはも


いかるがのこのかきやまのさがるきのそらなることをきみにまをさな


聖徳太子の絶唱歌の、とみのいのみず、が膳妃を亀井水にたとえた、と承知していたならば、とみのをかわ、は伝説の無熱龍池からの亀井水の流れ全体を意味します。

すべての学者は、奈良の富雄川ときめつけてきましたが。


私訳

あのとみの井のはるかな源流のように偉大なあなたがなくなったとは!わが大王のお名前が忘れさられるような、ありえないことではないか。


(第2首でその名前が謎かけされる)

水上にいらっしゃるあなたよ。多聞天の門の間の耳こそがそのお名前である。須彌山の多聞天の山のもとの、#アノクダッチ、無熱龍池の涼やかな木陰に、あなたはいらっしゃる、と、みなが申します。


ふと現実にかえると、斑鳩の山々の木々はうなだれている。むなしゅうございますと、お伝えしなければなりません。


第1首のみが、後世、片岡山の餓え人の歌と、脚色されて伝承してゆくことになります。


写真、アノクダッチ無熱池が麓にあり、須弥山のモデルと信仰を集める、カンリンポチェ山。

そして、亀井水。


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