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高津宮の陰陽石


高津宮の長い参道

仁徳天皇の宮

仁徳天皇の宮中には
イクタマとイカシリの二つの巫女集団があった
イクタマは難波の海のラグーンの生成する力イカシリは上町大地の巨大な地下水の恵

聖徳太子は高津宮の南、荒陵(あらはか)の龍神の聖域に、地下水の流れを制御する大規模な工事をおこない、四天王寺を建立した。
龍神が導く水を、朝の太陽礼拝の水鏡となる亀井水に可視化された。
上町台地は地下水の大動脈。この大阪の背骨となる台地は、龍神の力がみなぎっている。
それは活断層でもあり、ここで地震がおこれば大阪は壊滅する。
聖徳太子は四天王寺により、龍神の怒りを鎮められた。

2024年は龍歳です。龍神のおだやかならんことを祈ります。


高津宮、右手崖下、陰陽石をめぐる。足場が悪いので、めまいの持病もちには、必死の撮影です。

言うまでもなく、男女のシンボル。

高津宮はいくつかの落語の舞台となっているが、好きなのは、崇徳院。

瀨をはやみ岩にさかるる滝川の
別れてものちにあわむとぞおもう

若い男女が高津宮でであい、名もつげずわかれてしまう。てがかりは、崇徳院の歌だけ。

ちなみに、崇徳院は皇室史上最大の怨霊とされています。そのせいもあるのか、恋わずらいは重症で、寝たきりに。

相手の女性を何としても見つけてくれと依頼された男、しかたないから大声で、せをはやみ~と叫んでまわる。

というわけで、高津宮陰陽石。



仁徳天皇は高津宮から庶民の暮らしの豊穣なることを祈られた。

陰陽石は幸福のシンボル。いつの時代も。

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