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四天王寺庚申堂の庚申塚

疫病封じの道の神として、全国津々浦々に置かれた庚申塚。かつては、無数の講があり、60日おきの庚申の日は、徹夜して朝をむかえたものです。

日本の庚申信仰は、701年四天王寺に帝釈天のお使い、青面金剛童子が流行病封じのために顕現されたのが、始まりとされます。

古代オリエントに起源がある、三猿とむすびつきます。また、地域により、猿田彦ともむすびつき、道祖神として、庚申塚が置かれました。

四天王寺の飛び地境内。南大門から南へ歩五分。

庚申堂の本堂は、70年万博の仏教館を移築した、万博遺産のひとつです。

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井戸には豊富に水が湧いています。

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百度石も三猿。

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境内の西に、庚申塚が集められています。都市開発で廃棄された庚申塚が無数にあったでしょう。ほんの一部ですが、庚申信仰発祥のこの地に、集められたのでしょう。

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これは青面金剛童子です。

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三猿が多いです。

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よくわからない仏さまもあります。

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701年四天王寺で庚申信仰が始まりました。

710年ウカノメ、オオミヤノメ、サタヒコ(猿田彦)の三神が伏見山に降臨。稲荷信仰がはじまりす。

アマテラス信仰を皇祖神と定め、猿田彦の聖地伊勢に神宮を創建した、持統天皇が702年になくなります。アマテラスを中心とする、記紀神話の編纂が進むなか、猿田彦をめぐる民間信仰の大潮流が生まれました。

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