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芹摘む姫~聖徳太子の愛の形

芹摘む姫。

セリを摘む、とは、片想いの成さざる恋、あるいは願望の成就しない、という意味だそうです。春の七草で知られる芹。聖徳太子の伝説にも登場します。

芹摘む姫、とは、膳(かしわで)郎女(いらつめ)の愛称であった、という伝説です。

聖徳太子の墓には、母間人(はざひと)と、膳夫人の二人の女性が合葬されています。単純な理由としては、三人が同時期に亡くなられたからですが、膳夫人が神格化されてゆく結果となります。

聖徳太子が亡くなる前日に膳夫人が亡くなる。太子は膳夫人への思いを歌にして、辞世の言葉とされた。

この不可解な歌については、すでに考察しました。そこで謂われる、とみの井の水、が亀井水のことであろうというのが私の分析です。

ここで取り上げるのは、太子と膳夫人の出会いの物語です。

実は、夫人は名もない庶民の娘であった。ある日、人々は野に出て、野草を摘んでいた。そこに、太子が通りがかる。皆は気がついて太子にあいさつをしたが、ひとりの少女が芹を摘むのに夢中で気がつかない。その姿を見た太子は、ひとめぼれしてしまう。

私の解釈ですが、芹摘むのに夢中で太子にお尻をむけて少女はかがんでいた。太子は、まず、お尻に惚れたのではないか。

太子の身分で庶民の娘を嫁にすることは、かなわない。そこで親しくしていた膳氏に養女として縁組させて、夫人として迎え入れた。

学問的には、たわいもない話として否定されています。しかし、私はこの伝説が好きです。

芹を摘む、という言葉がかなわぬ身分差の片想い、の慣用句なのに対して、聖徳太子は礼をつくして身分の違いを克服したというお話です。

庶民の娘が伝説にすぎない。実際は膳氏の実の娘だとしても、膳氏は有力貴族ではなかったようです。

聖徳太子と膳夫人の出会いは、政治的な背景のない純愛として語り継がれてきたのです。

#聖徳太子遺言歌

いかるがのとみのいのみずいかなくにたぎてましものとみのいのみず

斑鳩の宮にいて四天王寺の清らかな水のようなあなた

あなたは死のまぎわにあの水を求めたが私はかなえてやれなかった

私も間もなく死ぬ

四天王寺のあの亀形水盤で落ち合おう

あの水を一緒に飲み旅立とう


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