井の中の蛙井の中を知る
井の中の蛙、大海を知らず。
というコトバがあります。これは、カエルを馬鹿にしているのでしょうか。
全知全能の生き物は、いません。
また、生き方がちがえば、知識、視点もかわります。
井の中の蛙は、井の中を繊細に感知しなければいきられません。その体験は貴重です。
カエルを大海にほうりだしたら、
死にます。
人間は互いに、おまえは大海を知らないとののしりあってきました。SNSだけではなく、昔からです。
一方で、大海について語る者を、尊敬する場合と軽蔑する場合があります。
聖徳太子なら、ひとみなタムラ=党あり、とした問題かもしれません。なにが大海か、党派的なちがいがある。人のかたる大海を、感情的に排除する。
海だって、様々に変化します。異質な光景のすべてが海である。
昨今は、大海といわず、ファクト、といい、たがいに、フェイクだとののしりあっている。
(大阪市天王寺区堀越神社のかえる石)
私は66年間、目の前で交通事故で人が死ぬのを、見たことがありません。だからと言って交通事故がフェイクではなく、事実だと信じています。それが、知性です。
見たことあるんか、と批判されたら、見たことはない、と明言します。交通事故で人が死んでいることを証明せよ、と言われたら、なんらかの資料を示します。それが××新聞に載っていた記事ならば、あんなウソ新聞と、資料批判をされたりします。
警察発表の原資料をいちいち示せ、でないとお前はフェイクだ、と言ってたら、なんの会話もできません。さらに、警察の交通事故死には、定義があります。限定つきの資料です。
ファクトとは何か。それこそ、哲学者が何千年も苦しんできた、問題です。
井の中の蛙には、井の中の蛙しか体験できないファクトがあります。それを理解するのも、知性です。大海とはなにか、を理解するのも知性です。
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