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3.11を経て、そしてまた

どうも、仮名です。
最近はどうも荒野行動にお熱な仮名です。
ツイキャスでやかましく配信なぞしておりますが、来てくださる方皆が優しくてうれしい限りです。
でも、こんなに平和な毎日を享受することを考えさせられる日だな、とも思います。それが今日の本題です。

▽▽▽

今日という日は、私史上忘れることなど到底できない日です。
それはもちろんあの東北大震災です。

もう絶対に忘れることのできないその日は、奇しくも私の中学卒業の日でした。
卒業式なんて昼過ぎに終わるものですから、私は友達三人と隣町のイオンに自転車で出かけていました。
最後の中学の制服だー、なんて浮かれながらプリクラを撮ったり、ガラケーでお互いの制服を撮り合ったりなんてして。

夕方過ぎまで遊び尽くして、私はまだ受験が終わっていないものでしたから、すぐに受験勉強しなきゃなんて思っていました。
帰宅してすぐ、私はテレビを茫然と眺めていました。
もう既に津波が何もかもさらった後だったのです。

あの光景は約二~三週間ほど報道されていたのではないのでしょうか。
テレビをつけたらそんな状況を映し出され、大阪の地で何もできない自分に激しい無力感を突き付けてきました。

無事に受験も終わるころにはそんな報道も少なくなってきましたが、まさかそんな節目の日に震災が起きるなんて思いもしていなかった私は、高校の入学もかなりナーバスに受け取ってしまいました。
しかしながら、当然のように日は落ちてまた昇ります。
どうしようもない時の流れに、私はとりあえず身を置いておきました。

そこで、フォークソング部に入部。
私の通っていた高校はフォークソング部が一番大きな部活として、課外活動なども盛んに行っていた部活だったことは全く知らない状態で入部しました。
そして始まったプロジェクトが沢山の高校の軽音楽部、フォークソング部などに声をかけて始まったチャリティーライブでした。
一年生の私はそこに一緒について行って募金を募ることくらい。募金をしてくれた方に手作りのワッペンやバッジを渡して、そしてその募金は部活の顧問が責任をもって東北の支援活動をされている団体に送ってもらっていました。

学年が上がり、私たちもステージに上がるようになってたくさんの曲をそこで演奏しました。
そんな時、私は一人の方と出会いました。
ステージが終わってもしばらく募金を募っていたもので、私はステージが終わってすぐに募金箱を持って募金を呼び掛けていました。
そんな時、募金活動をしているときに私が持つ募金箱に一万円を入れていただきました。そしてワッペンを受け取った時に、私の手を強く握りました。

「本当に、ありがとう」

その方は被災されて大阪に引っ越してきた方で、しばらくは仮設住宅に住まわれていたそうです。
その際、旦那様とお子様の一人を亡くされたそうで、残された中学生の子と一緒にこちらへ越してきたそうです。
私の手を握りながら、涙ぐみながらそんなことを教えてくれました。
私たちがこうしてやってくれていることは無駄なんかじゃない。そう思えました。

「私たちの受けた傷は消えないけど、こうして若い子たちが頑張ってくれていることが何よりも効く薬だと信じている」

そう仰って、その方は帰っていかれました。
私は今、ギターも弾かないし、歌も歌いません。だけど、あの言葉だけはずっと胸に残り続けています。
その方が今もどこかで幸せに暮らしていることを望まずにはいられません。

△△△

一人暮らしをしたての頃に、私も大きな地震を経験しました。
大きな揺れは朝方にあって、本当に怖かったです。幸いにも津波などはなかったものの、その日は夕方から雨が降り、その年に直撃した台風はトラックの横転や、近所の放置された家を崩壊させるものでした。
自然災害はいつどんなタイミングで起こるかわからない。だからいつ何時でも動けるような備えと、後悔しない行動が必要なのかなと思いました。

被災された皆様が今も健やかにいてくださることを願います。
では、また。

仮名(かめい)25歳。
趣味が高じて小説家の道へ進む。なんの変哲もない永遠の女子。
誰かの心に届くような文章を心がけています。
Twitter → @kamei_tyan @kamei_novel
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