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ごめんね

受傷からもうすぐ3年。同じような障がいの方から、「どうですか?」という質問をいただきます。

「まだ死にたい時期です。」

と答えると、なんとなく、それですべて理解してもらえるようです。健常者の方には理解できないと思います。
YouTubeを観ていると、いろいろな情報、例えば、車椅子の乗り方、移乗の仕方、排便排泄、日々のルーティン等など、多くの情報を障がい者自身が、男女や年齢を問わずに発信しています。非常に参考になるのですが、それらを発信している方を見ると、大体が障がい者になって少なくても「4~5年」が経ってからのような気がします。
それが「死にたい時期」を乗り越える期間なのでしょうか。特に若い方、20代30代の方は、それを乗り越えなければ生きていけません。大変なことです。
70歳になりました。そろそろ死んでいい時期です。にも関わらず、「まだ死にたい」と思います。若い方より生きる執着は不要なのですが、思いとどまっているのは、嫁さんとアーチェリーです。嫁さんがいるから、アーチェリーがあるから生きているように思います。無ければ生きていられないでしょう。

「ありがとう」、障がい者は何をしてもらっても、「ありがとう」です。そうでないと一人では生きていけない世界です。車椅子は3㎝の段差にもつまずきます。8cmの段差を越えられません。砂利でも砂でも動けません。片手だけでは漕げません。先日ホテルに泊まるのに電話で確認して、バリアフリーですからといわれて行ってみると、玄関にはスロープがありましたが、部屋の戸を開けた途端、柱があり、入れません。ベッドの幅は車椅子より狭く、動かすことができません。洗面所は30cmの段差です。そんなことは覚悟したうえで、すべて「ありがとう」です。
ただ、「死にたい」と思っているうちは、「ありがとう」の後に、言葉になるかならないかはともかくとして、「ごめんね」という言葉が付いています。「ごめんね、そんなことしてもらって」「ごめんね、こんなことになってしまって」「ごめんね、障害者で」「ごめんね、こんなこともできなくって」「ごめんね、助けてあげられなくって」。
「ごめんね」が消えた時、良いか悪いかは分かりませんが、「ありがとう」だけで生きていくような気がします。しかし、まだ今は、「ごめんね」なのです。

車椅子アーチャーは千差万別です。健常者は、車椅子に乗っていれば、足が不自由、立てないと思っているでしょう。そして多くの人は、健常者が普通に椅子に座って弓を射つのと、車椅子アーチャーが射つのは同じと思っているかもしれません。とんでもない間違いです。車椅子といっても、立てる人もいれば、足が動く人もいます。足がない人もいれば、脊椎損傷の人もいます。足だけが動かない人もいれば、腰も胸もまったく動かない人もいるのです。そんな様々な人がいるのに、弓を射てば「車椅子アーチャー」と十羽一からげに呼ばれるのは、障害者差別です。


実はこれは次に書こうとした本の、「前書き」の下書きです。
「Aiming for the Best」を電子図書にした後、生きた証にもう一冊アーチェリーの本を書こうと思ったのです。最初は書き忘れた内容を想っていたのですが、車椅子で弓を射っていると、それ以外の書かなければならないことがあるような気がしてきました。
「亀井 孝のアーチェリーノート」は、その下書きとして始めました。ここでは、車椅子で射つことについても書こうと思っています。それは健常者が立って射つことにもつながる、そして車椅子で射っているアーチャーを理解するためにも重要なことです。
よければ、健常者も障がいのあるアーチャーも、お付き合いください。大好きなアーチェリーの話です。

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