1970年 全日本選手権大会
高校2年で初めて出場した「全日本」。写真は一枚もなく、この切り抜きが貼ってあります。日本記録が初めて1200を超え、それも「1234点」の日本新記録です。
1970年11月全日本選手権、大阪長居の陸上競技場で行われた大会に参加できたことの感動ではなく、凄い点数に立ち会えたことへの感動でした。「1234点」日本新記録樹立(286日本新-318日本新-296-334)。
それは日本で始めて1200点台が記録されただけでなく、世界記録に16点差と迫るとんでもない更新でした。そしてこの快挙が翌年5月、名古屋森林公園で中本新二さんが射つ「1252点」世界新記録への導火線となるのです。日本のアーチェリーがこの時から世界を射程に置き、倒せる手ごたえをつかんだ瞬間でした。ぜひ、記事↑を端から端まで読んでください。
今読み返すと、知らないこともいっぱいあります。
川西さん、日本記録持ってたんだ!(すいません)。手島さん、5年後に2度目の不幸を経験するんだ!すいません。
そして前月、神戸王子の陸上競技場で行われた都道府県対抗で、若槻さんが更新した「1196点」。確か70mで若槻さんと中本さんが、同点で日本記録更新じゃなかったですか。この射ち方なら出るでしょ。
そんな日本新記録と美しい射ち方を目の当たりにした高校生には、どれも想像もできない世界でした。
1970年から日本記録、そして世界記録へのラッシュが始まったのです。
そう言えばあの頃、「都道府県対抗」というシングルの試合がありました。若槻さんが喜ぶ中で、初めて1100点を超えた(1110点)高校2年生です。
ところで、こんなとんでもないことをいとも簡単にやってのけたのが、当時神戸大学3年の「赤沢 実」さんです。
世界制覇を目指し動き出したヤマハが、世界戦略第1号モデルとして投入したヤマハ「YG」の66インチ40ポンド。弓は最新なれど、矢はXX75の「1618」26 1/4インチと、とんでもないサイズの矢で、物のない時代とはいいませんが、もう少しマシなスパインの選択がありそうですが、ご本人はこれが完璧に飛んでいたとのことでした。そんな道具で、2日間に亘り他を圧倒しての優勝でした。
ところがこれも、今考えてみると凄いことだったのかもしれません。昔、韓国の女子チャンピオン キム・ジンホウが、凄い風の中で50mで男子の記録を上回ったことがありました。まだカーボンの矢が登場する前です。女子の16径などの細いシャフトは断面荷重が大きくなり、カーボンシャフトのような効果を持ったのです。
それを思うと、赤沢さんの「1618」はカーボンアローそのままだと思いませんか。あの頃馬鹿にしていたのを、心からお詫びします。すいません。
それと忘れないのは、赤沢さんが最新の弓ではあっても、腰のクイーバーはビールの「栓抜き」を曲げたS字金具にぶら下げていたことです。
あれから10年以上が過ぎ、リカーブで親指と人差し指の間ではなく、人差し指と中指の間に弓を挟んで射っていました。そして10年以上滑車の弓に依存していましたが、元気でいてください。
日本のアーチェリーの歴史を切り拓き、新しい時代に導いてくれた偉大なアーチャーです。トップアーチャーのひとりというだけでなく、歴史に残る1人です。決してそれを忘れてはいけません。忘れないように、そして知らない多くのアーチャーのために書いておきます。1・2・3・4!