ことの発端は、2000年9月に実施された「第14回ヤマハカップアーチェリー大会」での出来事でした。全ア連はリムに「KAMEI」の名前があるという理由で、試合への参加を拒否したのです。この大会は、1971年川上杯時代から30回(年)連続出場の大会であると同時に、その間3度の優勝を飾り、実施要項に明記されている「招待選手」の扱いでした。
上記は事実誤認、誤表記、誤字も含め、原文のままですが、試合に出してもらえないというので、この後、弁護士を通じての何度かのやり取りがあったのですが、正式回答も行われない中で2000年11月10日に下記決議(全日ア連総務00-027号)が行われました。
よって、2001年2月5日、(社)全日本アーチェリー連盟 を相手取って調停を求める申し立てを、東京簡易裁判所に行いました。
2001年3月8日、第一回調停を目前にして、3月2日「答弁書」を提出。そして調停当日は、委任状により全日本アーチェリー連盟側からの出席はなく、議決に参加していない弁護士だけが出席。
冒頭、調停は調停員より「競技者規定」自体に不備(あまりにも粗末であるという点)があることと、「同じ議案に対し二度(8月22日と10月2日)の議決」が行われている不自然さを指摘することから開始されました。
民事調停は訴訟ではありません。話し合いの中で俗に言う「落としどころ」を探すわけです。とはいっても、こちらから調停を申し立てた以上、引くつもりはないのですが、決議された内容を取り消すための手続き上の問題や時間的なことなどを考慮して(これは調停員より話されたことです)、いくつかの提案が調停員から示されました。そして、当面3月25日に行われる理事会の議決での調停和解に向けて、双方の努力を示すことで話し合いが持たれました。時間的には前後しますが、2001年4月16日第二回調停の下記内容をもって、和解することとしました。
実は、裏の事情もあったのですが、全ア連も調停に持ち込まれるとは予想していなかったようで、、、