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暗闇の先で待っているなにか(まよなかめがや#23)

ここ最近は週3-4くらいのペースで
フットサルをしている。
このペースでボールを蹴るなんて
中学の部活ぶりで
気づくと右のふくらはぎに
いい感じの筋肉がつき始めた。

どこに向かおうとしているのか。笑


今では習慣となっていることも
いざやり始めてみると
なかなか難しかったり
環境に馴染めなかったりすることがある。


実際フットサル場に通い始めた半年前は
知っている人は一人もいなかったし
なんとなく行かなくてもいいかな
なんて思う日もあった。
無論趣味なので行く行かないは自由である。

主に行っているのは
フットサル場が〇〇歳以上という制限をかけた
個人参加型のプログラムで
来ている人たちは見ず知らずの人たち同士でありつつも
実際そこにはすでにコミュニティ的なものもできつつあって
なんとなく雰囲気違うかな
と思う日々も両手で収まらないほどあった。


それでも、なにごとも続けてみるものだ。
行き続けていると声をかけてくれる人が現れたり
お話をするようになる常連の人と繋がったり
今では父親と同世代の2人のおじさんと
「今日も疲れましたねー」なんて言いながら
帰ることがお決まりになっている。

本当にありがたいことである。
そして60歳前後で自分たち世代と同じように動けることが
純粋にすごいと思う。


*****

「続けることが一番難しい」

よく耳にする言葉であって
実際にそのとおりだと思う。
最近では筋トレなんてなかなか続いたためしがない。
頭のなかではもうだいぶ前に
シックスパックのお腹を手に入れている。


ぼくは本を読むことが好きだけれど
最初の3分の1を読むことに苦痛を感じることが
まあまあある。
小説の文庫本だとだいたい100ページ過ぎくらいが
その苦痛の終着点で
それまでの道中は登場人物についての説明や
淡々とした背景の記述も多く
いつ面白さと出会うのだろうと思いつづける期間である。

ちょっと好きということと矛盾しそうだけれど
落ち着いて流していただきたい。


苦痛を感じる
=暗闇のなかにいる
だと思っていて
人間は暗闇が続くとパタリと歩みを止めてしまう。

その暗闇を抜けると
想像していなかったなにかが待っている。
それは面白さなのか喜びなのか
また違った苦痛なのかはわからないけれど
きっとなにかは待っている。

もちろんなにも待っていなかった。
みたいなこともあるとは思うし
身の危険を感じたり心が疲れてしまったら
止まったり戻ったりすべきと思う。


それでもこの暗闇を抜けたら
きっとなにかが待っている
なにかと出会えるはず
なにかも「良いなにか」と信じられるうちは
歩みを続けるべきなんだと思う。


会いたいなと思える人がいる
そんな場所へ明日も朝早くから
足を運ぶ予定になっている。

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