見出し画像

祖父が肺炎で入院して別れについて考えた話(まよなかめがや#16)

(はじめに)
祖父の肺炎は一般的な肺炎(軽症)でした。

***************

月曜日に父から昼間に電話があった。
うちの家族は仲がいいから
電話自体は珍しいものではない。
けれど「いつもの時間ではない」
たったそれだけのことで
「なにかあった」という意味が生まれる。

とっても余談になるけれど
きっとこれは恋愛でもいえることで
いつもの電話に出なかったとか
返信が異常に遅かったとか
それだけで不安になりそわそわする。
経験的にあてはまる記憶が多々溢れてくる。


父の電話の内容は
「祖父が肺炎にかかって入院した」
というものだった。
前日の日曜日の夜に熱が上がって
父が祖父の家に行き#7119
(救急相談センター)へ
救急車を呼ぶべきかの相談をし
状況を把握した窓口の人の指示が
「すぐに呼べ」とのことだったので
救急車を呼んで搬送されたとのことだった。

#7119 (救急相談センター)とは

最近のニュースでよく見聞きする
病院で受け入れてもらえないとか
判断に時間が何時間もかかってしまって
結局自宅にいるだけになった
みたいなことになっていなくて
とてもとても安心した。

冷静に考えればうちの祖父は92歳になるので
救急車で病院に搬送されて入院にする
という流れが当たり前に感じる。
不安になってしまっていたのは
それだけ最近のニュースに触れていることが
余計な不安につながっていたということに
電話を切ってふと気がついた。


祖父は病院に着いてそのまま入院し
翌日の火曜日にPCR検査をして
新型コロナウイルスは陰性という結果が
木曜日に出た。
父からその連絡をもらったとき
久しぶりに心から「安心」した


「安心」という感情はとてもとても温かった。


祖父の年齢も年齢だから
もし万が一新型コロナウイルスにかかって
しまったとしたら…
なんて考えてはいけないことを考えてしまう
そんなことが日常のなかに
いきなり降ってきた。


志村けんさんや岡江久美子さんが
新型コロナウイルスで亡くなってしまい
ご家族は最期に顔を見ることも
骨を拾うこともできずに
骨壺を抱いている映像をニュースで見た。

その前に入院すると
もちろん面会はできないので
気軽に会いに行くこともできない。
(ただでさえ外に出れない
ということもあるけれど)


PCR検査の結果を聞くまでの
火曜日・水曜日・木曜日はとても長かった。
一番考えたくない
考えてはいけない
「もう会えないのかもしれない」
ということを何度も考えている自分がいた。

先々週急に気温が上がった月曜日
ぼくは祖父に電話をかけた。
ほんの1分くらいの電話で
もう耳が遠い祖父にぼくは大きな声で
「暑いみたいだから気を付けてね!」
と話しかけていた。

もしかしたらあの月曜日が
祖父と交わした最後の会話に
なるのかということが
なんだかリアルに頭のなかを
ぐるぐるめぐって
知らぬ間に目に涙がたまってきていた。


大人になると
自然と出会いの数より
別れの数のほうが多くなるということに
気づき始めた。

ぼくが小学生のころ
飼っていた白文鳥が死んでしまって
その一羽を囲みながら
家族でおいおい泣いた。
そのとき父がぼくを肩に包みながら
「出会いは別れの始まりなんだよ。」
と言った。

父は言わなかったけれど
「だから出会いと別れの間に
存在しているもの・ことが大切なんだ」
と思う。


誰しもいずれどこかで
この世界との別れを迎える。
いい別れによくない別れ
そのどちらでもない別れ。

いずれくる別れのために
伝えられる今のうちに
伝えたいことを
心の中身をそのまま
伝えられる人でありたいと
改めて思った。


祖父が退院して
電話ができる状態だったら
まず電話をしよう。
会いに行けるようになったら
会いに行こう。
その前に手紙を書こう。


想いを伝えようとすることは
きっと思っている以上に
難しくない。

かめがや ひろしです。いつも読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、インプットのための小説やうどん、noteを書くときのコーヒーと甘いものにたいせつに使わせていただきます。