国民教育会編集国民日常大鑑東京 国民教育会蔵版

序  

 国民教育会において編纂された「国民日常大鑑」は、一般国民が個人としても、また一国民としても知らねばならぬ事を細大となく載せてある。誠に便利でかつ有益な書物である事は論をまたない。

 この書物を座右に備えて置けば、事に当たってまごつかずに済むのであるから、この上なき重宝なものである。

 しかしながら今日の国民が知らねばならぬ事柄はこの書物の中に見るような事柄には止まらないと思う。立憲政治の行われている国家の一国民として、殊に普通選挙の近き未来に実施されるる大国家の一国民としては、この書物に記載されている以外に、よく知りかつ行わなければならぬ一大義務があるのである。

 その義務を果たす為に、大なる権利を行使しなければならない事は言うまでもないと思う。  

  思うにいやしくも日本国民たる者は、この国家の国体を明らかに知って居なければならぬ。日本の国体は一大家族的国家と言うことにある。国民同祖と言うことにある。皇室本幹国民枝葉と言うことにある。その枝葉の繁茂を図るが為にも本幹の根底に培わなければならないことは言うまでもない。  

  日本国民たるものはこの国体をよくわきまえるのが極めて肝要な事であるが、立憲政治の施かれている今日においては、尚その上の覚悟を要する。我が輩の解釈する所によれば、日本の国体を永遠に維持し、かつその繁栄を図る努力を称して、忠君愛国と名付けるのが至当であると思うけれども、その忠君愛国にも忠君愛国その物には変化がないとしても、如何にすれば忠君愛国になると言う事は、時代によって自ら異なる所があると思わるるのである。

 即ち立憲治下の国民は、消極的の忠君愛国に安んじてはならぬ。また単に服従的のみの忠君愛国であってはならぬ。その忠君愛国は、積極的であると同時に、輔翼的でなければならぬのである。即ち日本国民は誰彼を問わず皇室中心主義を懐いて、それによって動作せねばならぬのは勿論だが、積極的にして輔翼的の皇室中心主義でなければ、立憲治下の国民として国家に尽くすべき責任が完いとは言われないのである。

 その積極的、輔翼的の皇室中心主義を我が輩は新皇室中心主義と称えている。即ち日本国民は何人に拘わらず新皇室中心主義によって、大いに国家の為に尽くさなければならぬ。国家の為に尽くすのが即ち皇室の御為に尽くす所以である。  

 国民教育会が教ゆる所の種々の事柄は、素より知らねばならぬ大切な事であるが、それに先立ってこの皇室中心主義を捧持し、それによって立憲国民として活動することを、我が輩は深く一般国民に期待せなければならぬと思う。  

 大正十四年 十月        法学博士 高田早苗  

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