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ドゥラメンテという馬とわたしという人間の話

※こちらの記事は2022年4月に執筆・公開したものの再公開です。編集などを加えていないので、一部情報が古いものがあります。


ウマ娘から競馬に初めて触れたという方でも、ドゥラメンテ、という名前をご存じの方はとても多いだろう。

菊花賞馬タイトルホルダー、そしてつい先週スターズオンアースと2頭目のG1馬を輩出した、クラシック2冠の鹿毛の馬。

アプリゲーム「ウマ娘プリティーダービー」では、彼の戦績をモチーフにしたであろうウマ娘がキタサンブラックの育成シナリオ中に登場する。

キングカメハメハとアドマイヤグルーヴを両親に持ち、サンデーサイレンス系とノーザンダンサー系の血を引く、その時の最良をひたすら凝縮したような血統。

彼のことを知ってから、またウマ娘にハマってから、競馬のことや血統のことをいろいろ調べているけど、彼の中に流れる血は日本競馬界が脈々と継いできた血統のある一つの到達点とも言えるだろうと初心者ながら思っている。(そして血統については彼をモチーフにしたであろうウマ娘にも濃い目の設定がつけられている)


そんな彼、ドゥラメンテのことが、私はとても好きだ。


自分語りで申し訳ないが、2015年は個人的に非常に参っていた時期で、割とここで失敗したらこの先どうしていこうかな、と考えこんでいたタイミングだった。結構塞ぎ込んでいることも多かったからか、見かねた父親が気晴らしにと日曜日に競馬場に誘ってくれた。当時は競馬を楽しむなんて考えられなかったけど父親が気を使ってくれたのはわかったし、久しぶりだったこともあってその誘いにありがたく乗ることにした。

当時、東京に住んでいたから、電車に乗って一番近い府中に行った。

2015年4月19日。その日、競馬場を異様な熱気に包んでいたメインのレースは府中で行われるものじゃなくて、別の競馬場で行われるものらしかった。

中山競馬場の第11レース。

競馬に対しての知識なんてミジンコほどしかない私でも、そのレースの名前は知っていた。

忘れもしない、第75回皐月賞だった。


「誰が来そうだ」

隣で父が買った競馬新聞をバサバサと開きながら私に聞いた。おそらく父なりに娘に気を遣ったんだろう。

新聞を覗いてみると、今日出走する馬たちはどうやらどれも粒ぞろいらしいということが分かる。過去の戦績の欄は1と2ばかり。彼らは私と違ってエリートだなあと思った。

とはいえ、私は競馬にさして興味がないし知識もまるでない。騎手の名前は武豊しか知らないし、どうせ1番人気の馬が一番強いはずだからその馬が勝つんだろう、そんな風に適当に考えていた。

「あ、」

だから、未だに、どうして彼を指さしたのかわからない。

「2番」

その馬の名前は、ドゥラメンテだった。

「2番来そうだよね」

「そうか?」

私が彼の名前に丸を付けると、父親は首を傾げた。

多分、父親はノーマークだったと思う。ドゥラメンテは、あの時人気こそ三番人気だったが重賞は未勝利。共同通信杯で彼に勝ったリアルスティールや、2歳G1を勝利したダノンプラチナには鉛筆で丸が付いていたと記憶している。

当時の私はそんなことを知らないから、多分第一印象だったんだろう。中山には行けなくても、モニター越しに見た彼の姿はなんだか格好良かったから。

父は元々割と穴を狙う人だから、予想にはムラがあった。だから、あの日、父が勝った馬券の詳しい内訳はわからない。私は馬券を買う気にはなれなかったし買ったこともなかったから外の椅子に座って待っていると、戻ってきた父が100円分の馬券を私に差し出した。

「2番な」

単勝、100円。多分それが初めての、私の競馬だった。


2枠2番。2000mのコースのとても内側を彼は走ることになっていた。

人間の徒競走と同じで、インコースは走る距離が短くて楽なはず。私はぼんやりとそう思っていた。

しかし、いざレースが始まってみると、その体は馬群の内側に隠れてしまって、あろうことか一番後ろの方へ。他の馬はみんな前の方にいて、速く走っているのに。ああやっぱり競馬なんてこんなものなのか、さして面白くもない。しかも本物じゃなくて中継だし。全然意味なかったな。

そう思った時に差し掛かった第4コーナーカーブだった。

他の馬たちの間から一閃の鹿毛の馬体が飛び出してくるのが、モニター越しでもはっきりと分かって、息を飲んだ。

後ろの馬にぶつかりそうな、競馬を知らない人間が見ても危ない斜行。(実際この時彼に騎乗したM.デムーロ騎手は数日の騎乗停止を受けている)怪我のリスクは、ルール的にはどうなのか。でもそんな気持ちを全部置き去りにしてしまうほど、彼の走りは私の頭を撃ち抜いた。

隣で父親の声が聞こえる。私が目で追っている馬より一拍速い応援、多分彼よりギリギリ前を走るリアルスティールを見ている。

その後ろから飛び掛かる影に、私も思わず声が漏れた。


『外からドゥラメンテ!!』


その実況の後は、彼の走りは一瞬だったし、直接その雄姿を目にすることはできなかったけど、その脚に私は心底驚いて、喜んで、圧倒された。インコースから一頭大きくはじき出されても後ろからまくってくるその力強さに、強く心を惹かれた。

最初に自分語りをさせていただいた通り、私は当時私生活のほうで非常に参っておりちょっともう後がないぞ、という沈みかけの状態だった。彼の末脚は、大げさでなくそんな人間に、少しでも道を切り開く勇気を与えてくれたのだ。

レースが終わって彼のことを調べてみると、どうやら冒頭で書いたような『すごい血統』らしいということを知った。当時の私にわかるのはそこまで。ただその『すごい血統』は単純な能書きだけで終わらず、彼の中で本当に生きているらしかった。そうじゃなかったら、この馬の力に説明がつけられないと思った。

これが競馬なのだと気が付くと同時に、私の個人的な生活の方も忙しく、でも少しずつ良い方向へと向き始めた。

日々がどんどん目まぐるしくなり、ドゥラメンテが一番人気に押されたダービーを競馬場に見に行くことは私も父も叶わず、新聞を片手にテレビで見た。

かくして、彼は東京の2400mも勝った。強い競馬。完勝だ。

身につけたにわか知識で知ったクラシック三冠といわれるレースも残るは一つ、菊花賞。安心した。どんなレースかはよくわからないけど、彼ならきっと勝てると思った。

そんな彼に、両前脚の骨折が襲い掛かった。菊花賞は回避となり、『とてもすごい』ものだと思っていたクラシック三冠への夢は、夏を前にして途絶えてしまった。

この頃、私自身はといえばさほど変わらずやたらに忙しい日々を送っていた。菊花賞に彼が出ていたとしても、西へ会いにいくことは叶わなかっただろう。そして、菊花賞には彼は出ないと知って、競馬へ向けていたリソースも減っていった。

気が付いたら夏が明けていた。彼はまだ走れない。

秋になって、冬になった。競馬の話題は有馬記念で賑わっていたけれど、彼はまだ走れない。

彼が復帰したのは2016年の中山記念だった。一番人気には応えたものの着差はわずかで、圧勝とまではいかなかった。

『すごいレース』としてG1レースくらいしか知らなかった私は、G2ならドゥラメンテが勝って当たり前だろうと思っていた。実際はきっとそんなことはなかったし、とてもすごいことなのだけれど、無知とは恐ろしく愚かなものだ。

だから、この後もっと『すごいレース』をたくさん勝ってくれるんだろうと、夢を見ていた。

しかし、ドゥラメンテはその年の海外遠征と宝塚記念を2着で終え、故障が見つかり、そのままターフを去ってしまった。

荒々しく、疾く、賢く、そして儚い馬だった。


これは競馬のことを調べるようになってから知ったことだけれど、奇しくも彼の『すごい血統』の父たちは、クラシック戦線で功績を残した後に故障を起こしていることが多い。彼の父キングカメハメハも、彼に色濃く血が流れている名馬ノーザンダンサーも。今は、これも血統なのかと、ぼんやり思う。

同期のキタサンブラックは無事是名馬を体現するような馬で、ドゥラメンテのいない菊花賞を勝った後古馬のG1で7勝をあげて有終の美を飾った。競馬にたらればはご法度だ。それでも、彼が向けられた素晴らしき賞賛を、ドゥラメンテももっと受けるチャンスがあったんじゃないか、などと考えてしまった。

そして、彼の引退後は私も競馬を追いかける理由がなくなってしまった。たまに大きなレースを日曜15時からのテレビで父と一緒に見るだけ。たまに競馬場に行っても、適当に馬を見て適当に馬券を買って適当に外すだけだった。

その内、競馬自体から興味は薄れていった。


私がウマ娘を通して再び競馬にハマり始めたのが1年と少し前のこと。(アプリ事前登録組ではあったがアニメなどは見ていなかった)

ちょうど、のちに2021年の菊花賞馬となるタイトルホルダーが弥生賞を勝った頃で、そこで久しぶりに父の名前としてドゥラメンテの名前を見ることになる。

タイトルホルダーは父が勝った皐月賞を2着と好走し、日本ダービーでは掲示板入りを逃してしまうも、ほかの重賞レースでも彼を父に持つ子が走るのをよく見るようになった。

「菊花賞では絶対タイトルホルダーが来るから」

2021年の日本ダービーの結果を見届けた後友人にそう豪語した時、あの日父の競馬新聞を指さした時と同じような不思議な自信が渦巻いていた。


そこで、彼はどうやら『すごい血統』だったのだということを思い出した。今後、その血統を欲しがる人たちはたくさんいるだろう。

ウマ娘には彼の登場はほぼ不可能、ということは風の噂で知っていたけど、リアルの競馬のほうが本筋なんだから、そちらで彼の子供たちを応援できれば良い。引退してから5年、種牡馬としての評価もきっとこれから伸びるはずで、もっとこれから、地方中央問わずたくさんの子供たちが走って、勝っていく様を見ていける。

はずだった。


2021年8月31日。

言い方はとても悪いが、『動物が死んだ』というニュースだけであんなに泣くと思わなかった。

知りたい人もいないだろうからわたしのその時の様子は詳しくは書かないけれど、本当に大泣きした。会いたかった、現役の時でも、引退後でも、忙しさなんて理由にせずに会いに行けばよかったのだ。こんなに早くいなくなるなんて思わなかった。そんな後悔なんてなんの意味もなさないほど、彼は一生をものすごいスピードで駆け抜けてしまった。

そして、彼がいなくなってから半年以上が経過した今。

タイトルホルダーが菊花賞という父が獲れなかった最後の一冠を勝ち取り、スターズオンアースは桜のティアラを戴冠した。あの日私が惹かれた『すごい血統』は今もなお、日本の競馬に爪痕を残し続けている。

その血が持つ弱さもタイトルホルダーは引き継いでいるようで、彼もクラシックでの有馬記念の後不調が見つかった。春まで休養を取りつつも始動戦の日経賞では見事1着をつかみ取った。G2の『すごさ』が今ならわかる。この後は、その血を以って父が見られなかった舞台を超えていく番だ。その後ろにはたくさんの産駒たちが控えている。

そして、春の色が濃くなっていくにつれ、8月31日は少しずつ近づいてくる。私は、その日をいったいどんな顔をして迎えればいいのかと一丁前に考えてしまう。多分ドゥラは賢いから、人間ごときがそんなことを気にするなというそぶりを見せるだろう。

その通り、貴方が元気なうちに貴方に会いに行けなかった人間風情が何を言っても仕方がないのです。だからせめて、今走っている馬たちがあまりにも早くターフを去らなければならないことがないように、ターフの上でその生涯を閉じてしまうことがないように、祈ることしかできないのです。


明日はクラシック一冠目の皐月賞。彼の産駒も一頭、狭き門を通って出走予定だ。
あの日の彼のことを思い出しながら、レースを見届けようと思う。

願わくば全馬無事で、彼らがこれからもどうかたくさんの人に夢を届けて欲しいと願ってやまない。

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