「海辺のストルーエンセ」について考えすぎてわからなくなっている②(クリスチャン編 辛口注意)

書ききる前に梅田院が開院してしまう苦笑。
本日はクリスチャンとか右腕について。

よく考えるとクリスチャンって…

クリスチャン王、よくよく考えると歴史改変の歪の影響結構受けてる役ですよね。
だってあのクリスチャンなら自分の力で政治できそうじゃない?なぜ傀儡に甘んじて戻るのか。。。
史実と違い精神疾患があった訳ではないし、ストルーエンセとカロリーネを守るためについた嘘を直後に謝る気遣いができ、ストルーエンセの暴走にも自分で落とし前をつけ、何より国民に愛され太陽のような存在。先生と一緒に勉強もしていたみたいだし、メガネ君も王太子の成長待たずにクリスチャンと組んで政治やったら上手くいきそうなのに。

舞台上のクリスチャン

でも不思議なことに一度も舞台観てるときはそんな疑問は持たず。これまた冷静になぜ疑問を持たなかったか考えてしまったら、舞台上のクリスチャンが拙かったからかなと。
縣くん、トークを見たり読むとすっごく深く考えているし、多分この台本も相当読み込んでる、右腕の使い方(これはまた後程)もやろうとしていることはわかる、ただいかんせん声の表現が拙くて勿体ない。
音程の不安定さが王の精神的な不安定さを感じさせてる演出と言うことにすれば良いの?という冒頭のソロ。ロック調と酔ってるということで音程の事故っぷりを隠そうとしてたけどその分歌詞が最後まで聞き取れないテーマソング。これでは国を任せるには心もとない。
歌は言わずもがなだけど何気にお芝居も結構だなと思っていて、叫ぶか呟くかの2パターンで、台詞が何ていうか客席に届く前に落ちていくからこっちまで届いてこない。紅茶飲んでる所もお芝居かかりすぎて演じるということが話の一つのキーなのにこのコントな感じは何?と。ヨハンの最期の後の「芝居が下手だな」とか芝居最後の「今日は海が~」とか芝居上手い人がやったらどんな感じだったのかな…とか思ったりしてました。
対して宮廷チーム、全員上級生、安定感あり。感覚的に政治任すならこっちだわ、負けるわクリスチャンと思って何の疑問を挟まず観劇していましたとさ。
でも仮面舞踏会のダンスとかやっぱりめっちゃカッコ良い。真風さん的確変を期待(まもなく研9…頑張れ)

「右腕」について

クリスチャンを考える上で重要なもの。
まず冒頭ムチで打たれた嫌な記憶から始まり、宮廷でサインしまくった後つまらなそうに手を振って去っていくのが印象的。
その後「私の右腕として」ヨハンが秘書官長になり、最初はウキウキとサインをしていた右腕が自分の意思と離れた動きをしていく流れ、ヨハンがクリスチャンから離れて暴走しているとわかる(あとから考えたら)。
そして不倫の盛り上がりピークでヨハンに右腕を噛まれるクリスチャン。飼い犬に手を噛まれる的な感じかなと思っていたら、北欧神話の狼は軍神の右腕を噛みちぎったとか、この辺りも絡んでるのかな。
あと酒場のシーンで毎日腕を噛まれていたってブラントが言ってたから、クリスチャンが噛まれたってのがヨハンとクリスチャンの主従関係がひっくり返ってるって暗示なのかなとか考えたり。
その後のシーンでしきりに右腕をさするクリスチャン、色んなトラウマの象徴としての右腕をさすると彼の不安定さが高まっているんだろうなと思いながら観ていました。そう、表情とか動きとかは悪くないのに…頑張れあがちん。

宛書について考えすぎた

あーさの主演作品で言うと、棒気味のりさちゃんを狐の娘という人間じゃない役にした谷先生、縣くんをモプシーにして出番は多いけど主題に関わってこない(極論いなくても根幹のお話は回る)役にして、アダムによって変化していくのはひまりちゃんとカセキョーにしたキムシンはすごいな、物語の主題にがっちり関わるラストシーンを若い二人にやらせたさっしー無理させすぎじゃない?と思っていたのですが、歴史を改変した結果エピソードで出せなくなった王の頼りなさを縣くんの演技力で表現しようとしたの?さっしー?と一瞬思ったり。
でもそんなことないですよね、もしそうならそんな逃げ方は好きじゃないよ!!!

DC公演は今日からですね。どんなふうに変化しているのかなぁ。無事に全公演できますように。

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