・私とモーニング娘。

大好きなモーニング娘。
そして、モーニング娘。’23を応援している

・黄金期
時代は2001年に遡る。当時小学1年
モーニング娘。を幼稚園の卒業前からなんとなーく認知していた程度だった。(アサヤンは放送局が映らないから見れないし、曲もほとんど聴いたことがなかった)
しかし、クラスの女子達の話題は『モーニング娘。』持ち物もモーニング娘。の文房具を使う子が多かった時代。

・私にとってのモーニング娘。
子供の頃憧れのアイドルであり学校の友達が熱中していて休み時間の話題が常に「モーニング娘。の誰々が〜」や、ブロマイドのトレードを放課後遊びに行った時にしていた。その子はたくさんのブロマイドを持っていてコレクションを見せてもらった時の興奮は今でもハッキリ覚えている。特に矢口真里が好きだったのでミニモニの矢口とモーニング娘。の矢口真里を見比べるのが楽しかった。
夏祭りには出店でモーニング娘。のグッズ販売がありお小遣いを握りしめて、くじ引きをした。新垣里沙の下敷きが当たって当時、新垣里沙の魅力にはまだまだ気づけなかった。大人になってからプラチナ期のガキさんを見て度肝を抜かれたのだ。
学年が上がって、クラスで班に分かれてだしものをするイベントがあった。私達は3人で『モーニング娘。』の『Go Girl 〜恋のヴィクトリー』を歌って踊って披露した。正直、2003年ごろにはモーニング娘。への興味は落ち着いていた。大好きだったミニモニのベストアルバムも聴かなくなっていた記憶がある。(28歳になってから志村けんとのコラボ曲のトランス調の楽曲を爆音で聴くことにはまった。調べてみると静かな方のアイーンの唄はつんく作詞ではなかった。私はつんくの音楽が好きなのだ。)
この頃聞いていた音楽は大塚愛やオレンジレンジなどに移行していた。(クラスのお楽しみ会でのBGMや給食の放送の影響)特に皆んなが話題にしない曲を聴いていた。バラードが好きな小学生だったのだ。カラオケで『モーニング娘。』やハロプロを歌う子が居なくて段々と憧れの気持ちが周りの目を気にすることによりかき消されていった。

しかし、そんなミーハーな私も違和感を持ち自分が聴きたい音楽を小学5年生ごろから選ぶようになった。地元のインディーズバンドのCDをCDショップに電話で問い合わせて取り寄せをしてもらったり、サンテレビでインディーズバンドなどを紹介する神戸コーリングを夕方かかさずチェックしたり。

スカパーの無料開放デーにはスペースシャワーTVを観たり。

その流れでどんどんモーニング娘。と私はかけ離れていくのであった。

そんな私が28歳になり、12月加賀楓卒業公演を観に行くことになるとは当時の私は知る由もないのである。

語り出すとキリがないので今日はここまで。

本日の一曲
モーニング娘。『リゾナントブルー』

疲れた時大熱唱しながら脳内で一人モーニングごっこをするのが楽しい。
名曲過ぎて曲の良さは説明できない。

MVはナイトシーンバージョンが好きで、メンバーひとりひとりの表情が素晴らしいです。

おすすめメドレー
無敵になれるメドレーです。
『モーニング娘。’18』コンサートツアー秋
GET SET,GO!〜ファイナル飯窪春菜卒業スペシャル

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