駄随②

特に何も言ってはいないが、我が家の子供たちはYouTubeも見ないしゲームもしない。それが良いこととも悪いこととも思わない。しかし少しだけ心配になった。…クラスの会話に入れないのではないか?

かつて自分はクラスメイトとの会話に入りたい目的で深夜のテレビ番組を観たし、好きでもない音楽を聴いた。両親の影響でオフコースや中島みゆきやビートルズを聴いていたのに、無理矢理にBOOYやBUCK-TICKを聴いた。

じゃあ後悔しているのか、と言われるとそうは思わない。ビートルズを聴いていてもBOOYを聴いていても、自分はこうでした、というだけ。大人になった今では、の話。

子供たちにはその先が大人よりはるかにある。かつて伊集院光さんと電気グルーヴのピエール瀧さんがいじめについてラジオでトークした文字起こしを読んだ。

「いじめている人間も、いじめられている人間も、お前ら将来伸びるから死ぬな」。とか、「今自分の周りに30人敵がいるとして、その周りに300人、さらにその周りに3000人の敵がいる時もある。けど、その周りにいる30000人が味方するときもある。」とか。ゲラゲラ笑いながら。

大人として、寄り添う、とか、応援する、とかではなく、大きくなったらこんな感じだよ、社会ってこんな場所だよ、と教えているだけ。大人の立場と視点で。子供には今しか見えてないし今が全て。特に小学生なんかは家と学校とせいぜい習い事が全て。選択肢がない、というか選択肢をまだ作れていないだけ。この文字起こしを読んで先の心配はかき消された。

そんな選択肢作りの段階に、これは良いがこれは良くない、と幅を狭めるのはどうなのか。もちろん人としての善悪の行いは別。よく子育ては「子供の目線に立って」というが、余暇の過ごし方については人道を外れない限り子供が選び自己を形成していくべきなのだろう。。。という駄随でした。



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