宇多田ヒカル

テレビに観るべき番組がなくなって久しいが、遂にWEB上にアップされている諸々にも同じ様な印象を感じる日を迎えてしまった。ABEMAにもyoutubeにもその他誰かがなんらかの意図を持って作り声高に自我を主張するあまたの映像ライトコンテンツに観るべきものがみあたらない。なんだこれは。人間の頭の中だけで創造出来るものなんて半世紀も生きていたら予測の範囲に収まってしまうその程度のものなのだろうか。
もちろん腹にズドンとくる映画やドラマは今もってたくさんあるしWEBにだって夢中で一気観してしまう映像コンテンツも日々アップデートされている。だが、自分が映像を消費する量が供給される量を追い越してしまったこともあるかもしれないし、触手の動く良質なコンテンツが観たことのあるような焼き直しのコンテンツに埋もれ見えづらくなっているのかもしれない。
とにもかくにも仕事が一区切りしひとりでビールを飲みたい時に観るものが無いのは困るのだ。人生を考えるようなヘビーなのじゃなくてBGMのように流し続け観ていられる映像が無い。見つからないのだ。森の映像とかカフェボッサとかそんなのではなく、もっとこう。
ひとまず落ち着こうとyoutubeにて宇多田ヒカルの『初恋』をクリックしPCから流れてくる相変わらずの心地よい歌声にひとときの安寧を得る。そしてふと気づく。この歌姫の声は、例えば前歯の差し歯が割れて取れてしまった時の自分の声に感じたなんとも言えないクセになる違和感に少し似ている。予測不能な揺らぎだ。人間の意志の届かぬ制御不能な揺らぎこそが宇多田ヒカルをディーバたらしめているのだ。多分。
そしてそんな揺らぎのある映像を今自分は観たいのだ。きっと。

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