リゾーム

概念的な哲学話しかと思ったけどよくよく考えたら身近でリアルな話しだったこと。
鈴木健氏と成田悠輔氏のなにかの対談。

日本随一の頭脳を持つおふたりの会話であるから難解な部分は自分の理解が追いつくように勝手な変換をしているかもしれないがおおよその話しの大意は受け取れだ気がしていてその話しには大いに膝打つものがあった。

人体システムの進化の過程がそのまま社会のあり方に重なると言う論考。
核はそれを守る細胞膜ができたことにより内部を自立的に動かせるようになり、ある一定の排他性を持って外部との関係性を保つ。
そうする事で形而上的には「コレは私のもの」という私的所有の認識を育む。

これってつまり、こういう事か。
人間自体の進化の過程を今の資本主義社会の有り様に例えるならば、資本家と言う核が生まれそれを会社やブランドという細胞膜でラッピングして利潤や名声をエネルギーとして備蓄する。
なんだか強欲でグリーシーなイメージだ。

一方で人体システムを拡張するものとも言えるwebの世界にでは、GAFAの排他性に異を唱える動きが生まれweb.3の時代なんて言われるようになっている。
つまり社会の有り様もまた、国や企業が真ん中にあるようなものからもっと細分化された単位が流動的につながり合う方にシフトするのが必然なんだろうと思う。
流体(リゾーム)が混じりあって入れ替わりながら存在しているという概念の方に今のリアリティと未来を感じるのは自分だけでは無いはずだ。

世界のリアリティは宮沢賢治のイメージに確実に近くなっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?