孔子が天命を知ったのはいくつだったのか

ラーメンブロガーになったら人生終わりよ!と小さいころから言われて育ちましたが美味しかったので文章をしたためることにします。


齢35にしてようやく二郎インスパイアのすごさに気付いた私こと犬畜生ですが、連日ラーメンを食べに行ってきました。



まだまだ浅学の身ゆえ、お店の成り立ちに深く言及するのは避けますが、とにかくまぁ美味しいんです。



日曜日満を持して食べに行ったんですが、蒲田店限定の汁なしを頼みそびれまぜそばにしてしまいました。


その店のことを知りたければ、その店が最も食べてほしいものを食えというのは海原有山ではなく、今私が思いついた言葉ですが、心理だと思います。


昨日の愚行を少しでも薄めるため、本日汁なしを食べるためにはせ参じたわけです。


二年も続く在宅勤務で、なまりになまった体を引きずること10分。昨日と同じ時間に鷹の目蒲田店につきました。


10組近く待ち列が伸びていた昨日と違い、平日の11時台は並ぶことなく入れました。


人のことを言える立場ではありませんが、皆様仕事などされているのでしょうか。ラーメンを食うことが仕事になっていませんか?そうですか。そうなりますよね。わかります、いえわかるようになってきたというのが正しい表現かもしれません。


蒲田店限定の汁なしを注文すべく、券売機と相対したところ、幸か不幸か本日は通常の限定ではなく、本日のみ限定がニボシまぜそばになっているとのこと。


私も何を言っているかわかりませんが、本日の限定は通常の限定ではなかったんです。


動揺した私は昨日と同じまぜそばを頼みました。こういうところで冒険できない点が今後の私の人生の課題だと感じています。いつも妻にも指摘されます。



冒頭のツイートを再度引用しますが、到着したのがこのまぜそば、いや神です。


まぜそばミニ、うずらダブル、ニンニク、あぶら、ガリマヨです。


一度目は手合わせ、二度目にしてようやく味を知るではないですが、味わって食べることを念頭において対面しました。


はじめに、うずらの味玉をガリマヨにつけて食べた時、私の頭の中で一つの言葉が浮かびました。


孔子が天命を知ったのはいくつだったのか


私は齢35にして天命を知ったのかもしれません。あぁ、ウズラをガリマヨにつけて食べるために私は生まれてきたのだと。


問題はここからです。東京の掃きだめ、東京都川崎区こと蒲田に10年も住んでいて、この味、このうまさを今の今まで知ることができなかったのだろう、と。


家とお店が線路を挟んで反対側にある、とか、よく歩くルートから外れているとかあるんですが、言いわけの余地もありません。


それほどまでに、うずらは、ガリマヨは私の心の隙間に染み入っていく味だったんです。



値上げされるそうですが、推しに一度当たり課金できる額が増えるのでうれしい限りです。


この文章を書いている今現在も、明日何時にお店にお伺いしようか考えていますし、本店の獨協大学前や、大宮店にも足を運びたいと思っています。


私の店名はうずらにガリマヨをつけて食べることだったのか、もしくはそれ以上に美味しいラーメンがまだ待っているのか。


まだ汁なしを食べれていない私にはしるよしもありません。汁なしだけに。


おあとがよろしいようで。

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