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あっぱれ!細川宣伝社 第9話

【第9話】

 本番の土曜日まで、自宅で女形の練習に打ち込んだ。一番苦戦したのが、歩き方だ。膝に習字紙を挟んで歩くのは、思っていた以上に難しかった。
 一方で、驚かされたこともある。習字紙を挟むと内股になって歩幅がせばまり、自然とすり足になるのだ。
 歩き方をやっとのことでマスターし、そこにプリンス直伝の表情や所作を組み合わせてみる。
 なで肩にして、フォークとナイフを持つようにバチを打つ。中指一本分口を開いて、すり足で進みながら、顔から動かす流し目。
 そばにいた母さんが「すごいじゃないの」と、両手でオーケーマークを二つ作った。

 葬儀の日は、あいにくの曇り空。
 プリンスのアドバイスに従い、前の晩は豚バラソテーをたくさん食べた。準備は万端だ。女形として、ノリノリでチンドンできるに違いない。
 セレモニーホールの控室で、浴衣に袖を通す。薄い青地に牡丹柄。女の子用の着物が用意できず、沙奈から借りたものだ。
 着付けとお化粧をするため付き添ってくれた母さんが、藍色の帯をギュッと締める。みぞおちの下あたりが圧迫されて苦しいけれど、帯はきつめがいいらしい。我慢するしかなさそうだ。
 カツラをかぶって白塗りのお化粧を始めてすぐだった。母さんが「あら」とドーランを塗る手を止めた。
「子供は脂が多いのか、お化粧のノリが良くていいわね。それとも悠太が、たんなる脂性ってだけかしら」
 ひとしきり感心したあと、再びドーランのついたスポンジを僕のおでこに押しあててくる。
「それにしてもノリがいいわね」塗りながら、母さんが同じことをまた口にする。本当にお化粧しやすいのだろう。そんなふうに思っていたら、プリンスの言葉がふと頭に浮かんだ。
 ノリが良くなる。豚バラがいい。
 それって、まさか。
「もしかして、豚バラの脂が浮いて、化粧のノリが良くなったんじゃない?」
 前に父さんが、ギトギトの豚骨ラーメンを食べて「顔に脂が浮いた」と言っていたのを思い出した。
 僕の予想が当たっているか確認するように、母さんが僕の鼻の脇を小指でこすってきた。
「まぁ、ホント! 脂っぽい。悠太の言う通り、きっと豚バラのおかげよ。ポークソテー食べさせたママに感謝してちょうだい」
 感謝しなければいけない相手は、母さんではなく流し目プリンスだ。
 タクシーで聞き取れなかったところは「化粧のノリが良くなる」だったんだ。
 いろいろ気にかけてくれたプリンスのためにも、今日のチンドン、失敗は許されない。
 手鏡で自分の顔を見て、気合を入れる。しかし、映っているのは、白塗りに真っ赤な口紅の女形。自分ではないみたいだ。

 ホールの入り口に、杉さんの生前の写真が何枚も飾られていた。ほとんどがチンドンの格好だ。どれも笑顔で、悲しみを誘うようなものは一つもない。
 参列者は、百人以上いるだろうか。葬儀は午前十一時からで、チンドンで送り出す出棺は昼過ぎになるという。
 それにしても、ケンちゃんのいで立ちが、これほど馴染んだ現場は初めてかもしれない。黒皮のジャケットとパンツが、喪服の参列者に違和感なく溶け込んでいる。スカーフを赤から紺に変えてきたのも良かったようだ。
 焼香の列が短くなったので、僕らも最後尾について焼香させてもらうことにした。九十代半ばの大往生とあって、葬儀場も打ち沈んだ感じはあまりない。とはいえ、着流し姿の父さんと女形になった僕だけは、それでもやはり浮いていた。浮いていたけど、亡くなった杉さんがこれを望んでいたのだ。なにも恥じることはない。
 焼香台の前に立ち、親族にお辞儀をすると意外な人物と目が合った。
 白いワイシャツに黒いカーデガンを着ている小学生。
 なんで?
 どうして純也が、こんなところに座っているのだ。
 すっかり動揺してしまい、焼香したあと、親族席に頭を下げるのを忘れてしまった。

 出棺の準備中、僕らはホールの駐車場で最終確認を行った。祭壇から棺を運び出すタイミングでチンドンを始め、霊柩車が駐車場を出るまで先導する。
「よし。しっかり送り出そう」
 父さんが気合を入れたところで、後ろから肩を叩かれた。
 振り向くと、純也がいた。
「よぉ」と言って、ぶっきらぼうに話しかけてきた。
「死んだの俺のひい爺ちゃん。母ちゃんのほうの。なんだか、今日は悪いな」
「あ、いや別に。大丈夫。ご愁傷様でした」
 二人だけで話すのは、おそらく初めてだ。回線状況が悪いときの動画のように、会話がカクカクしてしまう。
 純也が何か言いたそうにしている。でも、なかなか喋り出さない。
 僕は僕で、動揺を悟られないよう必死で表情を作っていた。もっとも、白塗りだから、そうそう気づかれもしないだろう。お化粧をしていて助かった。
「なんだ、友達か」父さんに聞かれ、首を横に振るわけにもいかず黙って頷く。
 純也も居心地が悪かったのだろう。「じゃあな」と手をあげて行ってしまった。
 杉さんは、純也のひいお爺ちゃんだったのか。そこに潜んだ事実に気づくのは、黒いカーデガンの背中が、だいぶ小さくなってからだった。
 純也も僕と同じ、チンドン屋のひ孫だったというわけだ。
 だったらなぜ、チンドン屋をあんなふうにバカにしたのだろう。
 純也の気持ちが理解できない。

 出棺のときが迫っていた。
 空は相変わらずどんよりしている。いつ雨が降りだしてもおかしくない空模様だ。
「出棺が終わるまで、天気もってほしいよな」
「そうっすね。楽器は雨に弱いっすからね」
 父さんとケンちゃんが、天気を心配している。チンドン屋にとって雨は大敵だ。
 祭壇のほうが、俄かに慌ただしくなってきた。棺の蓋に釘を打つ儀式が終わり、出棺の準備が整ったようだ。
 僕らの出番がやってきた。おのおの楽器を手にしてスタンバイする。
 ホールスタッフの指示のもと、親族が棺をゆっくり持ち上げた。それが演奏開始の合図となる。
 一曲目は、杉さんがよくやっていたという『川の流れのように』。ホールに横付けされた霊柩車の横で、居つきでやる。居つきとは、歩かず立ったまま演奏することだ。
 今日は女形。
 自分に言い聞かせてから、口を半開きにして、肩甲骨を寄せて肩を落とす。バチとスティックは、フォークとナイフを持つように。不思議とその体勢になると、女の人になったような気になってくる。
 霊柩車に棺を乗せるタイミングで、二曲目。やはり杉さんが好んでやっていたという『上を向いて歩こう』だ。
 僕らの姿が生前の杉さんと重なったのか、ハンカチで目頭を押さえる人がいた。
 ハッチが閉められ、霊柩車の脇に家族が立ったところで、僕らは演奏を止めた。家族が乗り込んだら、『四丁目』で車を先導する段取りだ。
 改めて姿勢と表情を整え、霊柩車の前でいつもの隊列を組んだ。
 父さんが運転手に向かって「では」と軽く頷く。いよいよだ。
 父さんの打ち込みから僕の三つ打ち、そしてケンちゃんの演奏へ。流れるように音のバトンが渡され、『四丁目』が始まった。
『四丁目』は、他の曲に比べて起伏が激しくリズミカルだ。それでも、懐かしさを秘めたメロディゆえか、葬儀の場でもシックリくる。
 父さんが歩き出し、続いて僕も一歩を踏み出す。
 浴衣の中でひざをくっつけて、すり足。曲のテンポは速いのに、ゆっくり進んで何ら問題はない。これも『四丁目』という曲の性質だろう。甲子園の入場曲に、星野源の『恋』が使われても、違和感がなかったのと同じだ。
 道路までは五十メートルほど。気づけば、僕らの歩く両脇に参列者が並んでいた。杉さんを送り出す道……天国への花道だ。
 みんな、霊柩車が前を通るときに頭を下げている。こんなふうに送り出されるなんて、杉さんは幸せ者だ。
 並んだ人の中に純也の姿もあった。神妙な面持ちで、両手を腰の前で重ねている。
『四丁目』の演奏が二巡目に入り、さっきより少しテンポが速くなった。それでも歩くスピードは変わらない。
 左右に並ぶ人々に、口を半開きにした表情で会釈する。バチを持った甲を向けて、手も振った。自分でやろうしたわけではなく、体が自然に動いたという感じ。
 そうだったのか。
「女形は演じるのではなく、役に演じられるもの」
 プリンスは、このことを言っていたんだ。
 既に半分ほど歩いてきた。僕らが先導できるのは、あと二十五メートル。
 場所が場所だけに拍手こそ起きていないが、女形になった僕を参列者が食い入るように見てくれている。いつかのギャラリーみたいに、曲芸するマルチーズを見るような目ではない。
 チンドン屋の僕を、ちゃんと見てくれている。
 このシチュエーション、流し目をやるにはうってつけだ。プリンス直伝の流し目を、ついに披露するときがきた。
 まずは、左側の参列者から。首だけ捻って、一呼吸おいてから目だけをスーッと動かす。
 参列者がキョトンとしている。しかし、それが流し目だとわかると、一様にウンウンと大きく頷き始めた。お腹のあたりで、音が出ないように手を叩く人もいる。
 続いて右側。流し目を送ると、同じような反応が返ってきた。うまくいったようだ。
 ひいお爺ちゃんが残した奥義『おやまいくたび四丁目』。
 テンポアップする『四丁目』にのせて、幾たびも流し目を繰り返す。
 天気がガラリと変わったのは、そのときだ。
 足元には短い影。見上げれば、空を覆っていた雲が消え、太陽が顔を出している。晴れ間が見えるどころか、快晴になったのだ。
 すると直後に、今度はポツポツと雨が降ってきた。
 日照り雨。
 別れを惜しむ杉さんの涙雨かと思ったけれど、そうじゃない。
 これは、底抜けに明るい杉さんの嬉し涙に違いない。気持ちいいほどに広がっている青空が、何よりの証拠だ。
『四丁目』が三巡目に差し掛かったところで、霊柩車が車道に出た。テンポの速くなった演奏で杉さんを見送る。真っすぐに続く道で黒い車が見えなくなるまで。
『四丁目』は、一日の仕事を締めくくる曲。その曲で人生を締める。チンドン屋として生きた杉さんに相応しいグランドフィナーレだ。
 そろそろ演奏が終わるというとき、掛け声が飛んできた。
「あっぱれ細川宣伝社!」
 誰が言ったか、わからない。なぜなら、すぐあとに参列者が僕らのもとに押し寄せてきたからだ。
 最高だったと賛辞を述べる人がいれば、握手を求めてくる人もいた。挙句の果てには、僕を抱え上げてしまう人まで。
 家族だけでなく、そこにいる全ての人たちが喜んでくれたようだ。
 父さんは、もみくちゃにされながら「チンドン屋冥利に尽きる」と涙をこぼしていた。

 週が明けた月曜日。
 教室で沙奈に着物のお礼を言っていたら、「なぁ」と純也が寄ってきた。
「いい葬式だったって、じいちゃんもばあちゃんも喜んでた。俺も少し感動した」
「それは良かった」
 素っ気なく返すと、純也が下を向いて問わず語りに喋り始めた。
「おとといバレちゃったけど、俺のひい爺ちゃんもチンドン屋だったんだ。それがずっとイヤだった。父ちゃんが子供のとき、チンドン屋の孫というだけでいじめられたって聞かされてたから。だから自分の家族にチンドン屋がいることも隠して、悠太のこともバカにした」
 そんな理由でチンドン屋の僕を標的にするなんて、お門違いも甚だしい。
 口を尖らせた僕を、純也が真面目な顔で見てきた。
「でも、きのうの葬式を見て考えが変わった。あんなに大勢の人を感動させるチンドンの力ってスゴイと思った。ウソじゃない」
 そこで言葉を切ると、純也が背筋を伸ばして姿勢を正した。
「いままで、ゴメン。これからは一緒に遊んだりしないか」
 バカにしてきた事情はわかった。わかったけれど、いきなり遊んだりしようと言われても困ってしまう。
 考えた末、僕は心を決めて純也を見た。
「一緒に遊んでも、いいよ」
 硬かった純也の表情がみるみる緩んでいく。それを確認して、僕は続けた。
「だけど、そのうちね。いまチンドン屋の稽古で忙しいから」
 やられてきたことを思い返すと、やっぱりそう簡単に許せない。
 純也は唖然としている。そして、居たたまれなくなったのか「じゃ、そのうちってことで」と背中を向けて行ってしまった。
 やりとりを見ていた沙奈が、口元に手を当て「ウフフ」と笑っている。
 僕は心地よい風が入ってくる窓辺に立ち、開いた窓から上半身を出すようにして青空を見上げた。
 澄み切った空の向こう、ひいお爺ちゃんと杉さんが天国でチンドンをやっている姿を思い浮かべる。
 チンドン屋のひ孫同士、僕と純也が仲良くなったら、きっと二人も喜んでくれるに違いない。チンドンは人に喜んでもらってナンボ。だとしたら純也とのことも、もう少し前向きに考えてもいいかもしれない。
 とりあえず、帰りに神社に立ち寄って、逆さに掛けた絵馬を引きあげておこう。

                             おわり

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