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あっぱれ!細川宣伝社 第2話

【第2話】

 東京の下町。僕が暮らす地域には、年に二回、人がどっと押し寄せる。正月の初詣と夏の水かけ祭りのときだ。今日は、その正月のほう。
 元日の午前。自宅からほど近い神社は、想像以上の混みようだった。受験生らしき人たちが目立つ初詣の列は、三十分で十メートルも進まない。
 参拝客が増えたのは数年前から。受験生向けに「ゼッタイ落ちない」と謳った油性マジックと絵馬のセットを販売したところ、SNSで拡散され大きな話題となったのだ。
 気温は低いはずなのに、人混みにいるため、それほど寒く感じない。むしろ首のまわりが熱くなってきて、マフラーをほどいたくらいだ。
「寒いから巻いてなさい」
 はずしかけたマフラーを、母さんが無理やり巻き直してくる。僕は、されるがままだった。冷え性で寒がりの母さんは、周りも自分と同じように寒いと決めつける節がある。子供は風の子という言葉など通用しない。
 隣の父さんは、スマホからのびたイヤホンを耳に差し、両手を小刻みに動かしている。チンドンの曲を聴きながら、太鼓の練習をしているのだ。いうなれば、エアチンドン。
 クリスマスイブに新生細川宣伝社が誕生してから、父さんのやる気が加速した。インターネットでチンドンのCDを購入し、図書館でチンドンの本を借りて読み漁っている。
 僕だって負けていられない。父さんがエアチンドンをする横で、エアゴロスだ。
 ゴロスは本来、片手にタンポのついた大太鼓用のバチを握り、反対の手にドラムスティックを持って演奏する。だけど、両手で違うバチを操るなんて、素人の僕には到底できない。だから使うのは片手だけ。右手に大太鼓のバチを持ち、それ一本で叩いている。
 ドン・ドド・ドンドン、ドン・ドド・ドンドン……。
 基本的には、同じリズムの繰り返し。ケンちゃんのアドバイスだった。「曲によってテンポを変えるだけで大丈夫。オレがそのテンポに合わせるから」と。
 そんなふうに言ってくれたけど、僕のリズムで演奏を先導している自覚はない。いつだって、サックスのメロディに引っ張られてしまう。
「ドン・ドド・ドンドン、ドン・ドド・ドンドン……」
 列の中で手を動かしながら、知らないうちにリズムを口ずさんでいた。
「チリチリ・チンチン・トントン・ストトン、チリチリ・チンチン・トントン・ストトン……」
 僕につられたのか、イヤホンを外していた父さんもチンドン太鼓のリズムを口ずさんでいた。
 周りの参拝客が、怪訝そうにしているのがわかった。わかったけれど、やめるわけにはいかない。なにせチンドン屋は、人様に見てもらってなんぼなのだ。
 ようやく参拝の番がきた。本殿に頭を二回下げる。神社は確か、二礼二拍手一礼。前の人たちもそうしていたから、たぶん合っているだろう。
 願い事は、二つ。
 一つは「チンドンが上手くなりますように」。
 もう一つは「三学期、学校生活が楽しく送れますように」。
 最後に一礼したあと「どうかお願いします」と神様に念を押しておく。
 特に二つ目のほうを、と。

 夕方、新年の挨拶でジイちゃんの家を訪ねた。
 とはいえ、ジイちゃんの家はウチから歩いて五分ほど。頻繁に行き来しているので堅苦しさは微塵もない。いつもと違うのは、お節料理をはじめとした、ご馳走が並んでいるところだ。
 ジイちゃんとバアちゃんに僕らの家族が加わり、五人でテーブルを囲んだ。
 バアちゃんが、お節の重箱を一段ずつ外して並べ始める。
「悠太たちが来てくれると賑やかでいいわ」
 刺身や煮物がひしめくテーブルに重箱を置くスペースを作っていた母さんが、ちょっと困ったような顔をした。
「いいのかしら。去年、お爺ちゃんが亡くなって喪中なのに」
「なに言ってるの。お爺ちゃんが宴会好きだったこと知ってるでしょ。年賀状だって出しちゃったわよ。お爺ちゃんのチンドン写真つきで」
「ウソでしょ?」
「ホントよ。今日だって、いいじゃないの献杯ってことにすれば。それにお酒飲むと、この人も悪態つかなくなるから、私も楽なのよ」
 この人とは、ジイちゃんのことだ。
「誰が悪態つくだって? だいたいお前は、文句ばっかでうるさいんだよ。文句の国から文句を広めに来たようなもんだ」
「その言葉、そっくりお返しします」
 下町育ちのジイちゃんは、口が悪い。反面、下町っ子特有のユーモアも兼ね備えている。それと対等にやりあうバアちゃんも、なかなかのものだ。
「まぁまぁ、お正月なんで、おとうさんも、おかあさんもその辺で」
 父さんが割って入って、共に七十を過ぎた夫婦の言い合いを収めた。
 一時間ほどすると、お節料理やお雑煮を詰め込んだお腹は、はち切れそうになっていた。そんな僕のお腹の事情などお構いなしに、バアちゃんが「ほらデザート」と、この日のために作ったであろう寒天ゼリーを冷蔵庫から出してきた。
 とてもじゃないけど、もう食べられない。慌ててトイレに避難する。
 便座に腰かけたら、扉に貼られたカレンダーが目の前にきた。真ん中の写真を囲むように、一月から十二月までが一枚に収まっているやつだ。
 カレンダーは去年のものだった。年が明けてもそのままにしてあるのは、たぶんわざとのはず。写っているのが、ひいお爺ちゃんだからだ。
 着流し姿でチンドン太鼓を叩いている。目尻に何本も刻まれた深い皺から、白塗りでも笑っているのがよくわかる。
 一昨年、全日本チンドンコンクールで優勝したときの一枚だ。せっかくだからと、母さんが引き伸ばしてカレンダーにしたのだ。
 それにしてもこの写真、臨場感がハンパじゃない。振り上げた左手のバチが残像を引いていた。九十歳を超えているとは、年齢を言われなければわからないだろう。
 ひいお爺ちゃんは、できあがったカレンダーを気に入ったようで「冥途の土産」と微笑んでいた。それが現実になってしまったことが、やるせない。

 トイレから出ると、ジイちゃんと父さんが、連れ立って二階にあがるところだった。
「ひいお爺ちゃんの部屋を見せてもらうけど、悠太もどうだ?」
「行く行く」
 二つ返事でついていく。
 二階の六畳間が、ひいお爺ちゃんの部屋だった。日に焼けた畳に西日が差している。
「死んでからそのままなんだ。チンドンの道具、必要だったら持っていくといい」
 部屋には、衣装やら楽器が所狭しと並んでいた。
 六畳間の一角、九十度にピタリと収まる洋服掛けに、着物がギュウギュウ詰めになっている。三十枚以上はありそうだ。帯も専用のタンスに数え切れないほど。透明の衣装ケースには、新選組の羽織袴に動物の着ぐるみ、バニーガールの衣装までが綺麗に畳んで入っていた。その仕舞い方に、ひいお爺ちゃんの折り目正しい性格が見て取れた。
 カツラも、侍のちょんまげ、角刈り頭、金髪、禿げ頭など、より取り見取り。
 六畳のうち二畳分は、楽器が占めていた。チンドン太鼓が三台、アコーディオン、ウクレレ、ゴロスがニ台ずつ。クラリネットやトランペット、タンバリン、カスタネットも揃っている。
 いま僕らが使っている衣装や楽器は、ここから調達したものだ。
 ひいお爺ちゃんの遺品を眺めながら、ジイちゃんが昔を懐かしむように喋り出した。
「楽隊を雇ってた頃は、衣装も楽器も、これの二倍、いや三倍はあったかな。年とってからは出方専門になって、だいぶ整理したんだよな」
「デカタって何?」
 僕の質問に、ジイちゃんが胡坐をかいて答える。
「チンドン屋を手伝う人のことを、そう呼ぶんだ。フリーの演奏者だな」
 父さんも、ジイちゃんの横に腰を下ろした。正座だ。
「わかりやすく言うと、助っ人。日雇いのアルバイトみたいなものさ。人手が足りないとき、その日だけ手伝うんだ。ですよね、おとうさん?」
「その通り。よく知ってたなぁ」
「チンドン屋の本に書いてありまして」
「勉強熱心じゃないか、さすが二代目!」
 父さんの背中を、ジイちゃんがバチンと叩いた。
「二代目だなんて、自分なんかがおこがましいです」
 顔の前で手を振り、まんざらでもなさそうな父さんに「謙遜するな、二代目!」と、背中にバチンと、もう一発。今度は本当に痛かったのだろう、父さんが顔を歪めている。
 それはそうと、ひいお爺ちゃんが出方をやっていたというのは初耳だ。
 そもそもチンドン屋は、派手な衣装で軽快なリズムを奏でる楽隊のこと。スーパーの特売日や商店街の催しを盛り上げるのが主な仕事だ。そのチンドン屋が街の隅に追いやられたのは、平成に入ってから。テレビコマーシャルのせいだと、ひいお爺ちゃんはよく言っていた。
 なるほど、話が繋がった。そういう事情であれば、亡くなる前に出方をやっていたというのも納得がいく。だとすると、気になるのはトイレのカレンダーだ。
 ジイちゃんに聞いてみた。
「一昨年のコンクールで優勝してるけど、あれも出方で出場したの?」
「あのときは、歳も歳だし最後になるかもしれないからって、昔一緒にやってた仲間三人を呼んで細川宣伝社で出場したんだ。みんなヨボヨボだったけど、腕は確かだからな。付き添いでついてった俺も、演奏を聴いて背筋がゾクゾクしちまった」
 ジイちゃんが窓辺に立って空を見上げる。
「三人のうち二人は、ウチのじいさんを追いかけるように亡くなっちまったがな」
「皆さん今頃、天国で演奏してるかもしれませんね」
 父さんも、隣に立って同じように空を見た。
 頭に輪っかをつけ、白い服を纏って演奏しているおじいさんたちの姿をそれとはなしに思い浮かべる。なんとも微笑ましい光景だ。でも、ちょっと待て……。
「そうなると、残された一人が可愛そうじゃん。仲間外れみたいで」
 自分で口にしておきながら、「仲間外れ」という言葉がブーメランで胸に突き刺さった。ズキリと痛みが走る。
 そんな僕の胸の痛みなど知るよしもなく、ジイちゃんが顔を綻ばせた。
「仲間はずれ? それは、ないない。杉さんの辞書に、悲しい、寂しい、みたいな言葉はないから」
 残された人は、杉さんというらしい。
「杉さん、底抜けに明るいんだ。ただ……」
 言いかけて、ジイちゃんが再び空に目を向ける。
 外は日が暮れはじめていた。冬の夕陽は、傾いてから沈むまであっという間だ。
「体調が悪くて、寝たきりのようだ」
 うす紫色の空を三人で見る。
 しんみりした空気を断ち切るかのように、ジイちゃんが「そうそう」と押し入れをあけて、みかんの段ボール箱を引っ張り出した。
「こんなのがあるんだ」
  箱から手にとったのは、一枚の額縁だった。色褪せた紙に書かれた筆文字に、視線が釘付けになる。
『細川宣伝社チンドン奥義』
「細川宣伝社チンドン……」
 最後の漢字二文字が読めない。首をひねっていたら……。
「おうぎって読むんだ。細川宣伝社の必殺技みたいなもんだな」
 父さんが教えてくれた。
 達筆な字の下には、括弧して「門外不出」と書いてある。これは知ってる。門外不出の味とか、よその店に秘密にすることだ。
 さらに、四つの言葉が並んでいた。一つずつ、ジイちゃんが読み上げていく。
「一、スズメが裏返ってひとっ翔び」
「一、声高く腰は低めのチドリ足」
「一、うるわしきネズミの如し」
「一、おやまいくたび四丁目」
 これが奥義ということか。…………さっぱり意味がわからない。
 父さんも、首を傾げる。
「奥義とありますけど、何について言ってるんでしょうか」
「これはだな……」
 ジイちゃんが、僕と父さんの顔を見る。
「この意味はだな……」
 ジイちゃんが、奥義の文字にゆっくりと視線を落とした。
「俺もわからない」
 僕は思わず、ひっくり返りそうになった。父さんも「はぁ?」という顔をしている。下町っ子のユーモアは、ときどき面倒くさい。
 そのジイちゃんが、額縁の表面をカーデガンの袖口で拭いてから差し出してきた。
「跡を継がなかった俺が言うのもなんだけど、きっと社訓みたいなもんだろ。意味はよくわからないけど有り難い言葉ってあるだろ、孔子様のお言葉みたいな。とりあえず家にでも飾っておくといい」
「ありがとうございます。寅吉さんのチンドン魂、しかといただきました」
 全校集会で表彰状をもらうみたいに、父さんが恭しく両手で額縁を受け取った。
 ジイちゃんは社訓みたないものと言っているけど、本当にそうなのだろうか。切りそこなった小指の爪が靴下にひっかかるように、奥義の二文字が頭の端っこにひっかかる。几帳面なひいお爺ちゃんが、わざわざ書き残しているのだ。なにかしらメッセージが込められているに違いない。だとしたら……。
「この奥義、なんか意味があると思うんだよね。例えば暗号文になってて、解読すればチンドンが超絶上手くなるとか」
「暗号か。あるかもしれんな」
 ジイちゃんが、父さんに渡したばかりの額縁をふんだくり、右手の人差し指で文字をなぞっていく。
「オヤジから聞いたことがある。他人が読めないように譜面をわざと反対から書いたチンドン屋がいたって話を」
「なんで、そんなことしたの?」
「専売特許。自分だけのものにするためさ。自分にしか演奏できないようにしたんだ。その曲は俺のものだってな。そう考えると、だ」
 ジイちゃんが、トントンと奥義の文字を指で打つ。
「オヤジが、細川宣伝社だけが使える技術を残したと考えても、おかしくない。まさに奥義と呼べるワザをな」
 そのとき、父さんが膝を打った。
「二つ目、わかりました! 声高く腰は低めのチドリ足ってのは、酔っ払いのように歩きながら口上するって意味じゃないでしょうか。腰は低くめ、つまり低姿勢で相手と向き合い大きな声で宣伝する」
 ジイちゃんが、ゆっくり首を横に振る。
「残念ながら、それは違うと思う。チンドン屋は、酔っ払いのようなふざけた真似はご法度だ。見ている人が不快になるからな。前に二日酔いで仕事にきた出方に、オヤジが怒鳴ってたのを見たことがある」
 ならばと、父さんが別の予想を口にする。
「おやまいくたび四丁目は、山に行くたび四丁目を通るんですよ、きっと」
「そのままじゃねぇか。しかも、チンドン屋となんも関係ねぇだろ」
「それもそうですね」
 頭を掻いている父さんをよそに、僕はジイちゃんの手にある額縁をマジマジと見た。
 実際にその場に居たわけではないけれど、病室で「チンドンを頼む」と言っていたひいお爺ちゃんの顔が、頭に浮かんだ。
 そしたら、自然と言葉が滑り出た。
「細川宣伝社の伝統を受け継ぐためにも、必ず読み解かなくっちゃ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか、三代目!」
 ジイちゃんが、父さんにしたように背中を叩いてくる。手の平の温もりが、背中から胸の奥にじんわりと染みこんできた。
 三代目。悪くない響きだ。

 夜、家に帰って年賀状の仕分けをした。
 僕宛は七枚。そのうちクラスメイトからは、二枚だけ。その少なさが、学校で置かれている状況を物語っていた。
 一枚は、幼稚園から一緒の沙奈から。裏面にバレエの発表会の写真がプリントされている。
 もう一枚は、五年生から同じクラスになったヤツ。一番もらいたくない純也からだ。イラストも写真もない普通の年賀はがき。あけましておめでとうの挨拶もなく、マジックペンでデカデカと、たった一言。
『チンドン屋頑張って(笑)』
 メッセージを見た母さんは「優しいお友達じゃない」と笑っていたけど、優しいだなんてとんでもない。応援しているように見せているだけだ。いわばカモフラージュ。(笑)という文字の向こうに、うすら笑いを浮かべる純也の顔が僕には見えた。

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