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あっぱれ!細川宣伝社 第4話

【第4話】

 三月半ばの土曜日。
 僕らはショッピングモールでチンドンを披露した。新入学セールの宣伝で、まずまずの出来だった。
 新生細川宣伝社になって一発目の仕事ということもあり、心機一転、それぞれ衣装を新調していた。
 父さんは、白の地下足袋に着流しで、角刈りのカツラ。土地土地を股にかけて旅をする股旅のいで立ちだ。
 ケンちゃんは、黒革のジャケットとパンツはそのままで、首にワンポイント。赤いスカーフをまいている。正義のヒーローを意識したという。
 問題は僕だ。草履に黄色の着物、さらに黄色い半纏も羽織っている。笑点でしょうもないダジャレばかり言っていた人にしか見えない。なにが問題かというと、その落語家が、おバカキャラでお馴染みというところだ。僕までおバカに見られそうで、それが恐い。せめて、花火のものまねが得意なオレンジ色にしてほしかった。
 とはいえ三人三様のいで立ちは、それなり様になっていた。
 見た目だけではない。二か月余り猛練習した甲斐あって、演奏のほうもバッチリだった。
 さっき終わった本番では、割れんばかりの拍手を浴びた。
 ただ、ひとつだけ良くなかったことがある。チラシ配りだ。
 僕の役目だった。
 館内のイベントスペースを振り出しに、父さんとケンちゃんの演奏に合わせ、中庭、フードコート、正面玄関と、場所を変えながら配ったものの、用意した四百枚のチラシが全然減らなかったのだ。チラシを差し出しても、手の平を向けられ断られてしまう。終始そんな感じだった。
 幸い仕事は二週続けて頼まれていて、あと一日残っている。次回、来週の土曜日は、なんとしてでも残ったチラシを捌き切らなければならない。
 控室で着替えているところに担当者がやってきた。
「皆さんお疲れ様です。お客様からの評判も良くて何よりです」
「こちらこそ、ありがとうございます。お役に立てて良かったです」
 父さんが頭を下げる。下に向けた顔が少し引きつっているようだ。
「チラシのほうはどうですか。来週のぶん、たりないようでしたら追加で印刷しときますが」
「た、たぶん大丈夫です。ケン君、あと、あと半分ぐらいだよな?」
「そ、そうっすね。親方の計算通り、今日半分、来週半分で四百枚配り切る感じです」
 父さんとケンちゃんの小芝居だ。本当は、足元の紙袋に三百枚近く残っている。ご機嫌な担当者は、疑う様子がまるでない。
「では来週も、引き続きよろしくお願いします。婦人服売り場は、なかなかの売上げだったみたいですよ。入学式を控えたお母さん方が押し寄せて。これも細川さんのおかげです」
 残念ながら、僕らのおかげではない。たぶん、朝刊の折り込みチラシのおかげだ。それが証拠に、僕らが練り歩き始めた十一時、既に婦人服売り場はセール品を求める女性客でごった返していた。

 母さんが出かけているため、反省会を兼ねてファミレスで夕食をとった。ボックス席に僕と父さんが並んで座り、ケンちゃんとは差し向かい。
 オーダーしたあと、父さんが「ふぅ~」と大きく息を吐いた。
「チラシ、全然減らなかったな」
「何枚配ったかなんて向こうは把握してないでしょうから、こっそり捨てちゃいますか?」
 ケンちゃんの言葉に、父さんが首をブルンブルン横に振る。
「ダメダメ。もし見つかったら二度と仕事が来なくなる」
「冗談っすよ、冗談」
 ふたりの会話を耳にしながら、申し訳ない気持ちになってきた。
「ごめんなさい。僕がちゃんと配らなかったから」
 うつむいたまま、蚊の鳴くような声を絞り出す。これ以上声を大きくしたら、涙声になってしまいそうだ。
「悠太のせいじゃないさ。ゴロスをやらせてチラシ配りも任せた、パパが悪い」
「でも任されたからには、シッカリ配るのは当然だし。僕のせいだよ」
 僕と父さんの会話に、ケンちゃんが割って入ってきた。
「責任を押し付け合うのは見たことあるけど、責任の引き取りあいってのは初めてっすよ」
 ケンちゃんは、いつも僕らの間に入って取り持ってくれる。いうなれば、細川宣伝社の潤滑油。
「とはいえ三百枚って結構な量っすよ。来週、捌き切れますかね」
「仕事なんだから、捌き切らなきゃな。そのための方法を考えないと」
 テーブルに料理が運ばれてきた。僕が頼んだのは、この店で決まってオーダーするジャンバラヤ。いつもなら誰よりも先に食べ始めるのに、きょうはスプーンすら持つ気になれない。
 父さんが心配そうに聞いてきた。
「どうした? 冷めちゃうぞ」
「うん」そう答えるのがやっとだった。
「悠、大丈夫だって。絶対にうまく配るやり方があるから。本当にやばかったら、オレと親方も配るの手伝うから。ホラ、これあげるから元気出せよ」
 ケンちゃんがカレーライスの福神漬けを、ジャンバラヤの横にのせてくれた。
「じゃあ、父さんのもサービスだ。悠太好きだろ、コレ」
 トンカツ御膳についてきた、ひじきの小鉢を差し出してきた。
「親方、そこはトンカツあげなきゃ」
「そうか? だったらそうしよう」
 ケンちゃんに諫められ、トンカツを一切れジャンバラヤの皿に置いた父さんは、引き換えにひじきの小鉢を自分のお盆に戻してしまった。
「わざわざ、ひじきを取り返さなくても、両方あげればいいじゃないっすか」
「でもな、そうすると俺の食うぶんが減っちゃうから」
 なんてことないやりとりだけど、だからこそ有り難い。二人が普通に接してくれることが嬉しい。
 おかげで少し元気が出てきた。
「いただきます」僕は笑顔を作ってジャンバラヤを口に放り込んだ。

 食事を済ませ、三人で一日を振り返った。
 チンドンの演奏は、まぁまぁできたという評価で一致した。披露したのは全部で五曲。『タケス』と『美しき天然』のほか、新たに三曲をレパートリーに加えていた。
『千鳥』と、『軍艦マーチ』と、『四丁目』だ。
 手前味噌になるけれど、『タケス』はやるたびに上手くなってる気がする。裏拍もしっかりとれていた。メトロノームを使った特訓の成果が出たようだ。
 ケンちゃんのサックスは言うまでもなく、父さんのチンドン太鼓も冴えていた。
 ただ、口上だけは客の反応がイマイチ。
 コーヒーカップを口に運びながら、父さんが首を傾げる。
「奥義の通りにやってみたんだけどな。声高く腰は低めのチドリ足」
「父さん、解読できたの?」
「できた、と思ったんだ。高めの声を出しながら、低姿勢で口上する。そう解釈して千鳥の曲でやってみた」
「それで、演奏中にイキナリ口上を始めたんすね。でも、それって……」
 言いかけたところで、ケンちゃんが腕組みをして目を瞑った。父さんの考えに疑問を感じているようだ。
 実は、父さんの解釈には僕も納得できなかった。普通に考えて、演奏中に口上なんてありえない。大事な宣伝文句が、演奏にかき消されてしまう。
 思ったことを、そのまま突きつけた。
「演奏中に口上したら、逆に口上が聞こえづらくなりそうじゃない?」
 僕の視線を受けて、父さんが言い訳するように答えた。
「だから声を大きくしたんだ。千鳥のリズムに合わせて、流れるように口上したら、みんな足を止めてくれると思ったんだけどな。とざいと~ざい、やかましき鳴り物を持ちまして~、ってな具合に」
 突然、声を張り上げたものだから、店の客がいっせいに僕らのほうに振り向いた。
 いくつもの突き刺さすような視線に気づいたケンちゃんが「すみません」と口だけ動かし、それぞれのテーブルに頭を下げる。
 一通り謝ってから、ケンちゃんが正面に向き直った。
「たぶんですけど親方、声高く腰は低めのチドリ足は、口上のことを言ってるんじゃないような気がします。たぶんですけど」
 たぶんを二回使うところに、目上の人をたてる人柄が見てとれた。ちゃんとした人なのだ、ケンちゃんは。
「口上は、今まで通りで問題ないはずです。現に親方が口上を始めると、行き交う人たちも足を止めてくれるし」
「そうか。じゃあ次の口上は、これまでと同じようにやってみる。そしたら改善すべきはチラシ配りだな」
 父さんが僕を見た。ケンちゃんの視線もこっちを向いている。
「悠は、今日はどれくらい配った?」
「百枚いってないかも」
 やり取りを聞きながら、ケンちゃんが椅子にあった紙袋からチラシを取り出す。五十枚ずつ束になったものが六つ。それとバラで三枚。三百三枚残っていた。
 父さんがチラシを一枚手に取り、差し出してきた。
「どういうふうに配ったんだ?」
「普通だよ。入学セール、お願いしますって」
 ケンちゃんが、テーブルに両肘をついて顔の前で指を組む。
「もらってくれる人は、どの年代が多かった?」
「ほとんどが、おばさん。母さんくらいか、ちょっと上だったかもしれない」
「ママより上っていうと、この春に子供が中学、高校の入学式を迎える母親ってことだな。だったら次回は、その世代を狙って配るってのはどうだろう」
「親方、それだと三百枚なんて配り切れないっすよ。広い世代に万遍なく渡さないと」
 三人とも口をつぐんだ。
 これといった解決策も浮かばないまま、近々もう一度集まることにして、その日は解散となった。

 月曜日。
教室の席に着くと、純也が嫌らしい笑いを浮かべて近づいてきた。子分の博も一緒だ。
 僕の机に寄りかかるように、お尻を乗せた。
「これは、これは、チンドン屋の悠太君。土曜日はお疲れ様でした……チラシ配り。してたんだよな、博?」
 どうやら、博に見られてしまったらしい。
「黄色い浴衣なんか着ちゃって、前に笑点に出てたおバカキャラみたいだった」
「だっせー」
 博の告げ口に、純也が手を叩きながら大げさに反応する。
 浴衣じゃなくて着物なんだけど……心の中で言い返した。こんな奴らは相手にしないのが一番だから。
 無視を決め込んだのが気にいらなかったのか、純也が教室中に響き渡る声で叫んだ。
「それでは皆さん、ご唱和ください」
 またか。
 純也が頭上で両手を振り始める。四拍子の指揮だ。
「いち、いち、いち、いち、いち、にの、さん、ハイ!」
「バ~カ、カ~バ、ちんどんや~。お前の母さん、出~ベ~ソ」
 歌っているのは、純也と博をはじめとしたクラスの男子たち。女子だってご唱和こそしないものの、一緒になって笑っている。
 これが、クラスで置かれている僕の現状。
 僕は、チンドン屋をしていることをバカにされていた。
 
 発端となった出来事は、去年の十月。
 猛暑の名残も消え、頬を撫でる風がようやく秋らしくなった頃だった。
 ひいお爺ちゃんが長年やってきたのを引き継ぐ形で、町内会の秋祭りでチンドンを披露した。父さんが親方になって、初めての現場だ。
 練習を始めたばかりで、当然断ると思っていたら、父さんは二つ返事で引き受けてしまった。「町内の人が相手だから、少しくらい下手でも大目に見てくれるだろう。初陣にはちょうどいい」と高をくくっていたのだ。それが間違いだった。
 ケンちゃんのおかげでメロディラインはどうにかなったけど、僕らがそれを台無しにしたのだ。チンドン太鼓とゴロスの音はバラバラで、父さんの口上もつかえてばかり。とうてい人様に聞かせるレベルではなかった。
 特に酷いのが僕だった。
 履き慣れない雪駄に、これまた着慣れない着物。裾を踏んづけてつんのめり、前にいた父さんを巻き添えに二人で転んでしまったのだ。全身に浴びた嘲りと憐みの視線が、いまも頭に焼き付いている。
 その大失態を、運悪く純也に目撃されていたのだ。週明けの月曜には、僕がチンドン屋をやっていることが、五年二組のクラス中に広まっていた。
 黒板にデカデカと『チンドン悠太ズッコケる』と書いてあり、ご丁寧に着物姿で転んだイラストつき。描いたのは、無駄に絵がうまい博だろう。
 そのときはまだ「やめろよ、恥ずかしい」と笑い飛ばしていたけれど、数日後、事態がおかしなほうに転がり出した。純也が家の人にでも聞いてきたのか、チンドン屋という言葉が放送禁止用語だと触れ回ったのだ。
「チンドン屋って、土方や乞食と同じで、テレビで使っちゃいけないんだってさ」
 博が合の手を入れる。
「てことは、チンドン屋の悠太のウチは……あぁ、これ以上は可哀想で言えない」
 わざとらしく両手で口を覆って、含み笑いをする。
 もう五年生だ。そのたぐいの放送禁止用語が、どんな意味を持つかはわかっている。
 チンドン屋が差別的に扱われていたことくらい。
 でもそれは、ずいぶん昔の話だ。今はテレビでも「チンドン屋さん」と普通に使われている。実際に、ひいお爺ちゃんがテレビの取材を受けたときも「日本最高齢のチンドン屋さん」と紹介された。
 母さんから「チンドン屋は立派な仕事」と言われて育ったこともあり、ひいお爺ちゃんがチンドン屋だからと、僕は引け目なんて感じていない。
 ただ……心のねじれている奴らは、粗探しが大好きだ。
 その次の日、純也が今度は「ば~か、か~ば、ちんどんや~」というチンドン屋をバカにする歌の情報を仕入れてきた。そして、当然のように僕をディスってきたのだ。クラスの男子を巻き込む大合唱で。
 教室で孤立したのは、そのときから。クラスメイトもリーダー格の純也に右へならえで、僕はあっけなく輪の外に弾き出された。
 クラスで変わらず接してくれたのは、幼馴染みの沙奈だけだった。
 その沙奈も、僕と親しくしていたせいで、ほどなく標的にされてしまう。純也から「お前も放送禁止用語の仲間になっちゃうぞ」とからかわれるようになったのだ。
 けれど沙奈は、そんなこと全く意に介さない。それどころか「大丈夫。うちのパパも土方だから、そもそも差別されてるし」と言ってのけるありさまだった。
 そうだった。沙奈のお父さんは、市議会議員にして建設会社の社長だった。その父親を土方と言ってしまうなんて、どれだけ肝が座ってるんだ。そうなると、純也だってもう何も言い返せない。
 家が近所で幼稚園から一緒の沙奈は、本人曰く、大きな目がチャームポイント。スカートなんて滅多に履かず、髪もショートカットでボーイッシュという言葉がピッタリだった。曲がったことが大嫌いな性格で、特技はバレエ。
 クラスで弾かれてから、帰りに一緒になったりすると、沙奈は大きな目を細めて僕を睨みつけてきた。
「黙ってるから、つけあがるのよ。もっと悠ちゃんも胸を張ればいいのに。チンドン屋で何が悪いんだって」
 それができたら、とっくにそうしている。できないから、いつまでたっても状況が変わらないのだ。そのことがわかっているから、余計情けなくなってくる。
 純也にバカにされ、言い返せずに悔しい思いをした日には、ベッドにもぐって、声に出しながら自分に言い聞かせた。「あんな奴、放っておくのが一番」と。強がりであり、言い訳であることも、わかっている。
 そのあと決まって「六年は純也と同じクラスになりませんように」と神様にお願いするのだから、ほとほと自分が嫌になる。

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