見出し画像

あっぱれ!細川宣伝社 第6話

【第6話】

 四月。一週目の金曜日。
 校庭の桜は、数日前の強風ですっかり散っていた。
「またかぁ……」
 言葉と一緒に大きなため息が漏れてしまう。今日から小学校最後の一年が始まるというのに、最悪の気分だ。教室から見える葉桜が余計に気持ちを沈ませる。
 新しいクラスは六年一組。純也とまた一緒だった。
 窓際の席で頬杖をついて外を眺めていたら、ふいに声を掛けられた。
「今年もヨロシク」
 机の横に沙奈が立っていた。沙奈とはこれで六年間同じクラス。「なんか運命感じちゃうね」と続いた言葉に、ちょっぴりドキリとしてしまう。
 運命を感じるって、どんなつもりで言ってるんだろう。考えたら耳が熱くなってきた。
 顔に出てしまったのか、沙奈が慌てた様子で「やだ、深い意味はないから」と両手を大きく横に振っている。
「別に深読みなんかしてないし」
 動揺を悟られないように答えながら「それにしても」と沙奈の顔をまじまじと見てしまう。五年生のときから、印象がだいぶ変わった。髪が肩のあたりでフワっとなっていて、どこか大人っぽい。
 なかなか目を逸らさないものだから、沙奈に睨まれた。
「なに?」
「いや、その髪型」
「春休みに少し伸びたから、ボブっぽくしてみたの」
 ボブっぽくという控えめなところも、ちょっと大人っぽい。以前だったら「ボブだけど、悪い?」と間違いなくつっかかってきたのに。女子のほうが何かと成長が早いというけど、全くもってその通りだ。
 二人で話しているところに、純也がやってきた。
「よっ、ご両人アツイね~」
 いつもなら子分の博が、一緒になって「ヒューヒュー」囃し立ててくるとこだけど、今日はそれがない。別のクラスになったのだ。一人になってもからかってくるなんて、純也もよほど暇なのだろう。そう心の中で呟いて、ふと気がついた。
 そういえば、純也が博以外の人と仲良くしているところを見たことがない。
 五年のときはクラスメイトを巻き込んで僕をバカにしてたけど、考えたら、子分を引き連れ一人を標的にする奴と、友達になりたい人なんているのだろうか。いないはずだ。
 だとしたら、次に孤立するのは純也かもしれない。そうなってくれたら嬉しい。

 週末、僕らは車で富山をめざしていた。
 東京を早朝に出て、かれこれ五時間以上。関越自動車道、上信越自動車道、北陸自動車道を経由して、間もなく富山市に入るところだ。430キロもの道のりを、父さんとケンちゃんが交代で運転してきた。
 サービスエリアで休憩しながらとはいえ、長いこと同じ姿勢だったので腰が痛い。何度か父さんに「座りっぱなしで体は平気か」と聞かれたけれど、その都度「全然大丈夫」と強がってきた。ハンドルを握る二人のほうが大変なのだ。座っているだけの僕が、辛いだなんて言ったら申し訳ない。
 一泊二日の旅の目的は、一年に一度行われる全日本チンドンコンクール。チンドン屋の日本一を決める大会だ。
 昭和三十年に始まった歴史あるコンクールには、全国のチンドン屋が集まってくる。ひいお爺ちゃんも、毎年のように参加していたという。
 そのコンクールに僕らも出場する……と言いたいところだけど、そんなのおそれ多くて冗談でも口にできない。他のチンドン屋の前で演奏できるほどの技術もなければ、度胸もない。だから今回は、見学だけ。今後の参考にするためだ。
 会場の県民会館では、既に予選が始まっていた。参加しているのは三十二チーム。それぞれ割り当てられたスポンサーを宣伝するというルールで競い合う。スポンサーとは、お金を出してコンクールを支援する地元企業や団体のことだ。
 客席に陣取ってすぐ、ステージに釘付けになった。
 企業のサービスを替え歌にするところもあれば、ダジャレで攻めたてるところも。趣向を凝らしたパフォーマンスは、どれもが興味深かった。八チームがコマを進めた明日の決勝が楽しみだ。
 予選が終わった夕方、関東のチンドン屋の宴会に参加させてもらうことになった。
 昼間、ひいお爺ちゃんと親交のあったチンコロ屋の親方に挨拶したところ、誘ってくれたのだ。チンコロの親方については、ジイちゃんから六十代後半と聞いていたけど、実際の年齢よりずいぶん若く見える。
 宴会が開かれる居酒屋では、既に二十人ほどがお酒を酌み交わしていた。年に一度チンドン屋が集結するコンクールは、チンドン屋同士が交流を深める場でもあるようだ。
 貸し切りにしているらしく、それほど広くない店内に他の客は見当たらない。テーブルごとに塊ができていて、何人かはすっかり顔を赤くしていた。大半が年配者で、若くても五十代といったところ。
「リズム感が悪くなった」「口上を忘れちまった」「バチが肩から上にあがらない」チンドン談議に花を咲かせる人たちの前に、チンコロの親方が歩み出た。パンパンと、威勢よくかしわ手を二つ打つ。
「皆さん、ちょっとお耳を拝借。こちら、去年亡くなった寅吉さんの跡を継いだ細川宣伝社の皆さんです。コンクールを見学しに来たっていうから、無理やり誘って顔を出してもらいました」
 おぉ~、と店内がどよめいてから大きな拍手が響いた。みんな笑っている。身に余る歓迎ぶりだ。
「じゃ御三方は、長老のテーブルで」
 手で示されたほうを見ると、長老と呼ばれた老人が手招きしていた。白いひげを蓄え、見た目が仙人のようだ。天乃屋の親方だという。歳は七十代半ば、いや八十歳を過ぎているかも。
 テーブルに着くなり話しかけられた。
「あんたら寅ちゃんのご子息けぇ」
「いえ。私は寅吉の孫娘の夫で、武といいます。隣に控えるのは楽士のケン、息子でゴロスの悠太にござりまする」
 緊張からか、なぜか口上っぽく僕らを紹介した父さんの隣で、ケンちゃんと一緒に頭を下げる。それを見て、長老が僕を指差してきた。
「てぇことは、こっちの子は寅ちゃんのひ孫ってわけかい。ひ孫が跡を継いでくれるとは、寅ちゃん今頃、草葉の陰で笑ってらぁ」
 わかる。草葉の陰とは、お墓の中という意味だ。前に母さんがその言葉を口にしたあと調べておいた。だから、長老が言ったのを聞いて、棺におさまり笑顔でピースサインをしているひいお爺ちゃんが頭に浮かんだ。
 長老が、父さんとケンちゃんのグラスにビールをついでいく。僕にはオレンジジュース。栓抜きであける瓶のやつだ。
「みんなグラス持ってくれ。寅ちゃんの跡継ぎさんたちに乾杯、じゃなくて献杯だな」
 長老の「献杯」の声に合わせ、全員が黙ってグラスを掲げてくれた。
 ビールを一口飲んだ父さんが、長老にビールをつぎ返す。
「そちら様は、寅吉との付き合いは古いんですか?」
「そちら様なんて、しゃらくせぇ。長老って呼んでくれりゃいいさ。もうチンドンの盃を交わした仲なんだからよぉ」
 父さんが恐縮して頭を掻く。
「では、お言葉に甘えて。長老さんは、寅吉とはどういったご関係で」
「寅ちゃんはよ、俺の兄貴分ってとこだな。同じチンドン屋で修業してたんだ。まだお互い二十代。寅ちゃんがひとつ年上で、弟子入りしたのも俺より半年ほど早かったかな」
「え~~っ!」父さんと僕は、驚きのあまりのけ反っていた。ひいお爺ちゃんのひとつ下ということは、今年九十六歳。とても見えない。
 きっと一昨年までは、ひいお爺ちゃんが長老のような存在だったのだろう。
「長老のところは、後継者はいらっしゃるんですか?」
 父さんのぶしつけな問いかけに、目尻を下げていた長老の表情が険しくなった。近くにいたチンコロの親方も、「あっ」という顔をしている。踏み込んではいけない領域だったようだ。
 それでも長老は、すぐ笑顔に戻って答えてくれた。
「俺が辞めたら天乃屋は廃業だ。なにせ俺以外は全員出方だしな。サラリーマンになった息子はとっくに定年を迎えて、ご隠居生活だ。いい歳してチンドンなんてみっともねぇと俺のことバカにしてらぁ。だから、寅ちゃんが羨ましい。孫娘の婿殿と、ひ孫が看板を背負ってくれるなんて、これほど嬉しいこたぁないじゃねぇか。あんた、これからのチンドン業界を引っ張ってってくれよ」
 父さんのグラスになみなみとそそがれたビールの量が、長老の期待の度合いを表しているようだった。
 父さんをチンドン業界の後継者と勝手に決めつけた長老は「俺の経験が役立つなら」とあらゆる武勇伝を語ってくれた。でも、それは最初の十五分だけ。いつの間にかチンドン業界の愚痴に変わっていた。
「いまの若いもんは全くダメだ。全然なってねぇ」
 チンコロの親方が首をすくめる。長老のいう「若いもん」は、きっと五十代六十代を指している。だとすれば、僕なんてまだ赤ちゃんだ。
「居つきも五分とやってらんねぇ。演奏に自信がないから、すぐ歩き出してごまかすんだ」
「居つきってのは、店頭で立ったまま演奏すること」
 チンコロの親方が小声で教えてくれた。
「楽器の手入れもなっちゃいねぇな。太鼓は湿気に弱いのに、物置にそのまましまってる奴がいるってぇんだから、信じらんねぇ。そんな野郎、チンドンなんてやる資格はねぇ」
「ですよね~」物置に太鼓をしまっている父さんだ。
 お酒が入った長老の喋りは、ますます滑らかになっていく。
「このままだとチンドンは廃れちまう。もっと若いもんに、頑張ってもらわなきゃな。今なんて、ヤリチンで名を売る奴もいなけりゃ、ハッタリをかます奴もいない。ましてやネズミなんて知ってる奴も少ないくらいだ」
「それって、どういうやつですか?」
 話を遮るように、僕は身を乗り出していた。
「ヤリチンはソロ演奏。ハッタリは大げさなパフォーマンスで盛りあげること」
 さっきと同じようにチンコロの親方が説明してくれた。でも、僕の知りたいのは、ヤリチンでもハッタリでもない。最後のやつ、ネズミについてだ。
 ひいお爺ちゃんの奥義にあった『うるわしきネズミの如し』と、何か関係があるかもしれないと思ったからだ。
「長老、ネズミについて教えてください。僕、ネズミのこと知りたいんです!」
「ネズミが気になるのか。そういや、寅ちゃんの十八番だったもんな」
 ネズミがひいお爺ちゃんの十八番? ますます、何かありそうだ。
 長老が、遠い昔を懐かしむように目を細める。
「ネズミってのは、チンドンの歩き方だ。後ろ向きに歩いて、途中からネズミ花火のようにクルクル回って演奏するんだ」
「もしかして、美しき天然やりながらですか」
「そう。一番シックリくるんだな、あれが」
 聞けば、『美しき天然』は、明治時代に作られた日本初のワルツという。そのリズムが、ネズミの歩き方にバッチリはまるらしい。
 間違いない。奥義にあった『うるわしきネズミの如し』は、『美しき天然』でネズミをやるという意味だ。
「長老、見せてください。ネズミを教えてください。お願いします!」
 考えるより早く頭を下げていた。このチャンスを逃す手はない。
 ところが、だ。
「ダメだ、できねぇ」
 キッパリ断られてしまった。理由を聞いたら納得せざるを得なかった。
「ネズミはよ、そう簡単にできるもんじゃねぇ。足の運びがべらぼうに難しくて、膝がうまく使えねぇと怪我しちまうんだ。だから八十過ぎてからは俺もやってない。すまねぇな」
 長老が片手拝みで謝ってきた。年齢も年齢だ。無理強いはできない。諦めるしかないだろう。
 そう思ったら、涙がツーっと頬を伝った。
 ネズミを教えてもらえないから泣いてるんじゃない。奥義を託そうとしたひいお爺ちゃんの気持ちに応えられないのが、悔しかった。
 手の甲で涙を拭いていると、しばらく黙っていた長老が人差し指を突き出してきた。
「わかった。いっぺんだけ。いっぺんだけ見せてやる。寅ちゃんの跡継ぎがやりたがってるのに、教えてやらないのは天乃屋の名がすたるってもんだ。明日の大パレード、目ん玉ひんむいてシッカリ見とけよ。たぶん俺にとって、最後のネズミだ」
 思いがけない申し出だった。
「ありがとうございます!」
 声が二つ。父さんとケンちゃんだ。僕より先にお礼を言ってくれたのだ。話の途中で、二人の中でもネズミと奥義が結びついたのだろう。
 慌てて僕も頭を下げる。
「本当に、本当に、本当にありがとうございます」
 ネズミを見せてもらえることになったのに、どういうわけか涙が止まらない。それが嬉し涙だとわかったのは、父さんがニコニコして僕の頭をポンポンやってきたからだ。生まれて初めての嬉し涙だった。
「まぁ、いいってことよ」
 長老は照れくさそうにビールをイッキに飲みほした。

 翌日。チンドンコンクールの決勝も無事終わり、イベントを締めくくる大チンドンパレードが始まった。壮大なパレードを一目見ようと、大勢の人が沿道を埋め尽くしている。
 僕らは、長老に指定された場所に陣取っていた。ゴールの手前、一番盛り上がる場所だという。
 既に目の前を何組かのチンドン屋が通り過ぎて行った。それでも、後ろにはまだまだ集団が連なっている。総勢二百人が大通りを練り歩くさまは、なかなかの見応えだ。
 先頭のチンドン屋が通ってから十五分ほど経った頃。ようやく天乃屋の幟が見えてきた。
 きた。長老だ。
 頭には日本手拭い。着物は腰まで裾をたくし上げ、水色の股引に脚絆をつけている。足元は、白足袋に草履。時代劇のドラマで見たことがあるいで立ちだ。抱えたチンドン太鼓は『天乃屋』の看板つき、そこに書かれた勘亭流と呼ばれるぶっとい筆文字が勇ましい。
 カッコいい。
 惚れ惚れするカッコ良さだ。
 見とれていると、長老のチンドン太鼓が聞こえてきた。チンチンチンチンと鉦を早く打ち鳴らしている。演奏していたタケスが終わるようだ。
 間を置かず『美しき天然』が始まった。緩やかで、さみし気なメロディ。それが、どうしてだろう。僕らの演奏より楽しく聞こえる。
 あ、テンポだ。テンポが若干速いんだ。
 長老がグングン迫ってくる。そして、切れ長の目で合図を送ってきた。
「いっぺんしかやらねぇから、よく見とけ」
「わかりました」
 アイコンタクトを交わした次の瞬間、長老が歩きながら後ろ向きになり、僕らの目の前でクルクル回り出した。九十代とは思えない気迫のこもったパフォーマンス。そこだけスポットライトが当たっているかのように、輝きを帯びていた。
 後ろ向きの体勢から、連続七回転。
 これがネズミ花火か。
 曲のテンポが速いのに、まるでスローモーションのようだった。そこまで鮮明に見えたのは、完成度が高いからに他ならない。
 回り終わると大喝采が沸き起こった。長老のネズミ花火を沿道の人々が讃えている。天乃屋の後ろに控えたチンドン屋も、演奏そっちのけで手を叩いていた。
 遅れて僕も、精いっぱい拍手を送った。感謝と敬意をたくさん込めて。

 帰りの道中、車の後部座席で目が覚めた。時計を見ると深夜0時近く。事故渋滞にでも巻き込まれたのか、ようやく首都高に入ったところだ。
 その車の中で、次の仕事の内容を知った。声を潜めて話す二人の会話が耳に入ってきたのだ。僕がまだ寝ていると思っているらしい。
「西中からの依頼で、今月の終わりに記念祭に呼ばれたから。ゴールデンウイークだけど、ケン君スケジュールどうかな」
「いまのところ大丈夫っす」
 西中は母さんの母校だ。もっと言えば、ひいお爺ちゃんとジイちゃんも卒業生。細川家が代々通ってきたその中学が、今年創立百周年を迎える。それを祝う記念祭に、地元のアーティストやパフォーマーを招くというのだ。細川宣伝社も、ひいお爺ちゃんが卒業生ということで声がかかったらしい。
「どんなグループが参加するんすか?」
 地方出身で西中とは何の縁もないケンちゃんが、運転しながら助手席の父さんをチラリと見る。
「ママさんコーラスグループ、ブレイクダンスチーム、ちびっこマーチングバンド。吹奏楽部のOBも出るって言ってたな。ウチらを含めて十組くらい」
「それじゃ宣伝ナシで、パフォーマンスだけでいいんすね」
「そういうこと。とはいえウチはチンドン屋だから、一応西中にエールぐらいは送らないと。気の利いた口上の一つや二つ添えてさ」
 チラシ配りをしなくていいのであれば、思う存分パフォーマンスに集中できる。
 だったら、やってみたい。試してみたい。
 ふつふつと沸きあがってくる気持ちを抑えきれず、後部座席から身を乗り出した。
「ネズミ花火、やってみたい!」
「ビックリした! 起きてたのか!?」
 助手席の父さんが、飛び跳ねる勢いで振り向いた。
「せっかく奥義を解読できたんだから、チャレンジしない手はないと思う」
「でも悠太、あと三週間しかないぞ」
「うん。でも、やってみたい。長老のネズミ花火、ちゃんと目に焼き付けたから」
「悠、やってみればいいじゃん。いいっすよね、親方」
 バックミラーミラー越しにケンちゃんが目配せしてきた。
「長老がまわってるとこ、オレ、スマホで撮影しといたから、必要だったら言ってくれ」
 まつ毛の長い目元が映るバックミラーに、コクンと頷く。
 父さんも「しょうがないなあ」と承諾してくれた。
 すっかり眠気が覚めた目で前方を見ると、追い越し車線にテールランプが尾を引いていた。まるで流れ星のようだ。なんだか、いいことがありそうな予感。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?