天知る、地知る、我知る_高橋恵

1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書より~

◆経歴

高橋恵氏(サニーサイドアップ創業者。一般社団法人おせっかい協会代表理事)1942年生まれ。3歳で父が戦死し、当時26歳の母のもと、3人姉妹の次女として育つ。その日食べるものに困るような貧乏生活を経て、短大卒業後は広告代理店に勤務。同社を結婚退職後、2人の娘の子育てをしながら保険の外交員やさまざまな商品の営業に従事し、トップセールスを記録。その後、40歳で離婚。42歳で当時高校生だった長女と共に自宅のワンルームマンションで株式会社サニーサイドアップを創業。その後、長女に託した同社は、2008年にジャスダックに上場を果たした。2016年には世界のPR会社19位(日本1位)にランキングされた。
http://www.soseinippon.jp/taidan/2016/201601.htmlより抜粋)
上記サイトの対談もぜひご覧いただけたら幸いです。

◆ちょっとした優しさに人の命を救うほどの力がある

「何で戦死してしまったの。手がなくても足がなくても生きて帰ってきてほしかった!」そう泣き叫ぶ母のそばで、10歳の私は、姉と妹と共に、一緒に泣いていました。(中略)
母はこの時、一家心中の瀬戸際まで追い込まれていたのでしょう。しかし、それを子ども心に感じた時、ガタっという物音が玄関から聞こえたかと思うと、ガラス戸に一枚の紙切れが挟まっていました。そこにはこう書かれていたのです。
「あなたは三つの太陽(子ども)があるじゃありませんか。今は雲の中に隠れていても、必ず光り輝く時がくるでしょう。それまでどうかくじけないでがんばって生きて下さい
その手紙を読み聞かせながら、母は、はっと気がついて、ごめんね、ごめんねと謝って抱きしめてくれたのです。

◆母の言葉

天知る、地知る、我知る。どんなに貧しくなろうとも、心まで貧しくなってはいけません
あなたには、あなたのいっぱい、いいところがあるじゃない
苦しい生活の中で母が繰り返し唱えていた言葉です。母はその通り、本当に思いやりに溢れた人でした。無縁社会という言葉も聞かれますが、どんなに忙しくとも、人を想う言葉さえあれば、たった一言の言葉、たった一枚の紙切れでも、人を救うことができるのです。

◆感想

「人間のちょっとした優しさに命を救う力がある」
この話を拝見し、まさにこのことだと感じる出来事があります。
私が一番大変だった時期は、妊娠中に2歳半の我が子の世話をしながら認知症の母と一緒に過ごしていた頃です。
つわりの気持ち悪さを抱えつつ、公園で遊びたいという息子をなだめながら、身体は健康で足の速い母に自転車で並走する生活。
そのころ、隣に住んでる方が「子供連れて遊びにいらっしゃい」とお茶に招いてくださいました。とても救われたことを覚えています。
高橋氏の「おせっかい」というのは本当に人を救う力があると実体験を通じて感じます。
頂いたご恩を返すためにも、この優しさを広げてまいりたいと思います。

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