御家人の屋敷のはなし
おはようございます。こんにちは。こんばんは。(お読みいただいている時刻に合わせて選んでください)
さて、鎌倉市図書館note「図書館たち読みひろい読み」もやっと3回目、まだまだ慣れないので、えっちらおっちら作業しております。努力を汲んでいただけたら嬉しいです。褒めて伸びるタイプですので、ぜひ"いいね"をお願いします。皆様あっての図書館はnoteでも変わりません(*´∀`*)。
・・・無駄口はこれくらいにします、すみません。図書館のnoteだけふざけ過ぎていると怒られそうだし・・・
さてさて本題。
当然ですが、鎌倉市図書館なので、わりとよく「私、御家人の子孫です」という方からお電話をいただきます。あまりによくいただくので、「あ、そうですか」と普通に受け答えしてしまい、「本当ですよ!調べたんですから‼」と言われることもままあります。
決して疑っているわけではなくて、よくあるので驚かなくなっているだけなんです、すみません。そして、付随して最近よく聞かれるのが、「私の先祖の屋敷は鎌倉のどこにあったのでしょうか?」というものなのですが・・・えっと、これ、すごーく難しい質問なのです。
まず、現在のように住宅地図があったわけではありませんので、『吾妻鏡』などの史料の記載から推測するしかなくて、史料に記載がなければ、どうにも知りようがありません。あったとしても何丁目何番地と記されているわけではありません。
ましてや、御家人が全員鎌倉に屋敷を持っていたわけではございません。現代だって、国会議員が全員、東京都千代田区に自宅を構えているわけではないですよね?それと同じです。御家人は自分の領地を「一所懸命」経営していたのですから、多くは自分の国の自分の領地にいたのであって、鎌倉にいたわけではないのです。
「一所懸命」
①賜った一カ所の領地を生命にかけて生活の頼みとすること。また、その領地。②物事を命がけですること。必死。
(『広辞苑 第7版』より)
だから「いざ鎌倉」で、地元から鎌倉に駆けつけるのです!鎌倉に宿所や屋敷を持っていた御家人も、VIPならともかく、いつもそこにいたとは限りません。用事がなければ自分の領地に戻り、宿所には留守番の人を置いていました。
時には、その屋敷が旅人や町の人に貸し出されて、家賃収入を得たりしていたこともあります。このあたりのことは、『都市鎌倉の中世史』(秋山哲夫/著 吉川弘文館)などが参考になりますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。もちろん、鎌倉市図書館でも所蔵しております。
いつもは自分の領地にいて、鎌倉に用事があるときは、親兄弟の屋敷や友人知人の家に泊まり、用事が終わったらまた自分の領地に戻る。そういう御家人の方が多かったのです。中には一度も鎌倉に来たことがない、という御家人だっていたのです。
そんなわけで、御家人の子孫の皆さま。ご先祖のお屋敷が鎌倉になくてもがっかりしないでくださいね。ご先祖様は地元で頑張っていたのですから!
ぜひ、ご先祖が領地を持っていた地元の自治体史(県史とか市史とか町史とか村史)を開いてみてください。鎌倉にある本より、よほどご先祖様のことが分かる場合がありますよ。
さて、これで終わるとがっかりな方も多いと思いますので、VIP御家人の屋敷の場所を調べるのに、私たちが良く手にする資料をご紹介。
◆『全譯吾妻鏡 別巻(新版)』貴志正造/編著 新人物往来社
P419~ 鎌倉幕府御家人邸宅一覧表
◆『鎌倉市史 総説編』 鎌倉市史編纂委員会 吉川弘文館
P301~ 御家人らの住居
・・・皆さんが期待するのとはちょっと違います。『吾妻鏡』の記事のどこに「御家人●●」の屋敷について記載があるか、というものです。
『吾妻鏡』に記事があっても、だいたい「若宮辻より甘縄の間」というような、場所については漠然としたものです。
せめて推測できる分だけでも地図に落としてくれ!という方は、『全譯吾妻鏡 別巻』の旧版にとじこんである「吾妻鏡鎌倉地図」がおすすめ。これが一番いいんじゃないかな。
そして、『吾妻鏡』に出てこない御家人さんの屋敷は、ほぼ、わからない!と思っていただいていいと思います。
100年前の鎌倉だってひとりひとりの家の場所はわかりませんでしょ?
ましてや800年以上前のことだもの。